菊富士ホテル火災(きくふじホテルかさい)は、1966年(昭和41年)3月11日未明、群馬県の水上温泉にあった菊富士ホテルで発生した火災。菊富士ホテルは群馬県利根郡水上町(現・みなかみ町)湯原750にあったホテル(温泉宿、旅館)である。現在、この住所にはリゾートマンションの「サニックス水上壱番館」が建つ。1930年(昭和5年)11月創業で、豪華な大理石造りの風呂や、鍋料理を自慢としていた。出火時刻は1966年(昭和41年)3月11日、午前3時半頃。鉄筋コンクリート造、地上3階・地下1階建ての菊富士ホテル新館1階にあった警備室が火元となった。室内で仮眠をとっていた警備員が誤って石油ストーブを転倒。目を覚ました警備員が火災に気付き、消火器を使っての消火を試みるも失敗。部屋を出た警備員はホテルのフロントで火災報知機を作動させ、火事を知らせに別棟の従業員宿舎へと向かった。このとき、玄関を開放したことで建物内に風が吹き込み、延焼に拍車を掛けた。結局、新館のみならず木造2階建ての客室、社長宅など5棟、2,640平方メートルが全焼。さらに隣接するホテル白雲閣の木造3階建ての建物2棟、1,650平方メートルが全焼した。この火災で菊富士ホテルに宿泊していた219人のうち、30人が死亡、12人が重軽傷を負った。茨城県東茨城郡御前山村(現・常陸大宮市)の葉タバコ耕作組合の団体客が犠牲となった。宿泊客のほとんどは酒を飲んで熟睡中で、炎や煙、臭いで目を覚まし、火事に気付いた。火災報知機は作動していたが、非常ベルの音の大きさは、宿泊客らに火災の発生を知らせるには不十分なものであった。非常口の扉は内側から鍵が掛けられており、避難しようとした宿泊客のみならず、駆けつけた消防士らの行く手をも阻んだ。死者のうち半数の15人は火の手が及ばなかった客室に居たが、煙による一酸化炭素中毒で命を落とした。
出典:wikipedia
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