土湯温泉(つちゆおんせん)は、福島県福島市土湯温泉町(旧国陸奥国、明治以降は岩代国)にある温泉。福島市郊外南西(土湯温泉町地域)の安達太良山連峰の中腹から峠付近に位置する温泉街。10種類以上の泉質を持ち、伝統工芸品こけし発祥の地として有名である。福島城下町から会津方面へと向かう会津街道(土湯街道)の宿場としての役割を兼ね備えた温泉郷として1400年以上の歴史を持つ温泉である。現在も県都福島市から会津地方へ向かう最短ルート国道115号(土湯街道)沿いに立地する。安達太良山連峰の峠付近に位置する温泉施設も『土湯温泉郷』に含まれることも多い(鷲倉温泉、赤湯温泉、野地温泉、新野地温泉、幕川温泉)。温泉街近郊の仁田沼周辺には、ミズバショウやカタクリの花が咲き、女沼などの自然観光スポットも存在する。荒川沿いに19軒の大小の旅館ホテルが並ぶ。昔からの歴史ある温泉街で、最近は旅館やホテルなども充実していおり。町内には足湯が4か所存在し全て無料で利用できる。共同浴場は2軒存在する。中の湯・こけし湯(サンスカイつちゆ)。土湯温泉にはいくつもの源泉があり10種類以上の泉質の温泉が楽しめることができる。開湯伝説では、オオムナチノミコト(大穴貴命)が荒川のほとりで地面を鉾で突いて発見したとされる。鉾で突いたことから「突き湯」となり、それが転じで「土湯」となったという。土湯こけしは福島市を代表する郷土玩具。三大こけし発祥の地で有名な温泉地であり(残りは鳴子温泉と遠刈田温泉)土産物としてはもちろん温泉街の様々な場所のモニュメントにも使われておりこけしの温泉街としての特徴が強い。土湯見聞録館やこけしの展示館などが存在する。土湯系の特徴は、頭部には蛇の目の輪を描き、前髪と鬘の間にカセと呼ぶ赤い模様がある。胴の模様は線の組み合わせが主体である。2011年の東日本大震災以降、最も廃業が目立った温泉地としても報道され16件あった旅館は11件にまで減少した。主な要因として原発事故後の風評被害が挙げられるものの県内他の温泉地はそこまで廃業が相次ぐほどには至っていない。これは震災直後、土湯が被災者や避難者を受け容れたことと、その後の反動が大きな要因である。避難者を受け容れていた8月までは結果的にツアーバスなど観光目的の立ち寄りや受け容れによる宿泊施設等の稼働率確保ができていた。しかし8月を目処に避難者が他所に移ったため稼働率が3割未満に急落し人件費など過剰となった運営費用が旅館経営を圧迫したためである。その結果、半年で5件の旅館が廃業や休業に追い込まれ温泉地は存亡の危機に立たされた。そのため地熱発電所を誘致する計画なども立てられている。一方で2013年以降は1件の旅館が再生に漕ぎ着け、他2件の廃業旅館も復興労働者用の保養施設や市民の共同浴場などを設ける計画が立てられるなど新たな兆しも見られている。
出典:wikipedia
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