千歳郡(ちとせぐん)は、北海道(胆振国)石狩支庁にあった郡。1875年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、千歳市・恵庭市にあたる。飛鳥時代から平安時代初期にかけて、後の恵庭市に相当する地域では茂漁古墳群(柏木東遺跡)と呼ばれる群集墳が築かれた。これは江別市の江別古墳群や北東北の終末期古墳と同様の古墳で、和同開珎や律令時代の六位以下の位階を示す帯金具などが出土している。また、平安時代に流通していた皇朝十二銭の隆平永宝が現在の恵庭市の茂漁8遺跡から、同じく富寿神宝などが千歳市のウサクマイ遺跡群から出土している。江戸時代の千歳郡域は東蝦夷地に属し、島松川流域には石狩十三場所のひとつであるシュママップ場所が松前藩によって開かれた。その範囲には現在の恵庭市に相当する地域も含んでおり、幕末ころまで存在した。一方、現在の千歳市に相当する地域にはシコツ場所が開かれていたが、こちらは後に南に隣接するユウフツ場所に編入されている。また、江戸時代初期の万治元年には千歳神社の起源である弁天堂が建立された。江戸時代後期、国防のため寛政11年千歳郡域は天領とされ、文化年間には勇払から千歳に至る千歳越が開削されている。文政4年には一旦松前藩領に復したものの、安政2年再び天領となり仙台藩が警固をおこなった。安政4年には銭函から千歳に至る札幌越新道(千歳新道)が開削されている。天領時代に開削された千歳越や札幌越新道は札幌本道や国道36号の前身にあたる。戊辰戦争(箱館戦争)終結直後の1869年、大宝律令の国郡里制を踏襲して千歳郡が置かれた。
出典:wikipedia
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