宝塚駅(たからづかえき)は、兵庫県宝塚市栄町二丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・阪急電鉄の駅である。阪急電鉄の駅にはHK-56の駅番号が設定されている。宝塚市の中心となる駅であり、阪急電鉄とJR福知山線の駅がある。なお、阪急電鉄の宝塚駅は阪急宝塚本線と阪急今津線との乗り換え駅である。福知山線は「JR宝塚線」の愛称区間に含まれている。JR西日本の駅は、JR宝塚線という福知山線の路線愛称が示すとおり同線の中核をなす駅であり、すべての営業列車が停車する。JR発足前後から輸送改善を続けた結果、大阪方面へは所要時間の面で阪急より優位に立っており、もはや日本国有鉄道(国鉄)時代のような阪急の輸送シェア独占状態は解消している。。阪急の駅は、宝塚本線と今津線の共通の終着駅である。もともと当地は阪急の牙城であり、それを反映してか駅の規模も大きい。戦前には当駅からさらに有馬温泉まで線路を延ばす計画があったが、六甲山系の山々に阻まれて実現することはなかった。両駅は駅前ロータリーをはさんでペデストリアンデッキで結ばれている。タクシー乗り場はJR側・阪急側の両方にある(JR側は主に立花神姫タクシー(旧全但タクシー)、阪急側は主に阪急タクシー)。ロータリーには阪急バスや阪急田園バスに加え、阪神バスに西日本JRバス・JRバス関東の「ドリーム号」が乗り入れる。阪神バスおよび「ドリーム号」はJR側、阪急バスおよび阪急田園バスは阪急側に(大阪空港行きのみJR側)乗り入れる。当駅前に阪神バスが乗り入れているのは、かつて阪神電気鉄道が宝塚までの鉄道路線の建設を計画し(宝塚尼崎電気鉄道)、その後計画が専用道路(現・兵庫県道42号尼崎宝塚線)を走行するバス路線によって代替されたためである。両駅とも、ICOCA(JR西日本)およびPiTaPa(スルッとKANSAI協議会)の利用が可能(他の相互利用ICカードはそれぞれの項を参照)。加えて阪急の駅ではラガールカード等のスルッとKANSAI対応各種カードが利用できる。単式・島式ホーム複合2面3線を有する地上駅になっている。南側の単式ホーム(1番のりば)が三田・篠山口方面行き、北側の島式ホーム(2・3番のりば)が尼崎・大阪方面行きホームとなっている。下り本線は1番のりば、上り本線は3番のりば。中線である2番のりばは両方向の入線・出発に対応しており、2015年3月14日改正ダイヤでは大阪方面行きの当駅折り返しおよび快速・特急の接続待ちを行う列車が使用しているが、国鉄時代は三田方面行きの列車が2番のりばに入線して後続の特急列車を先に通す運用があった。利用客数が比較的多いにもかかわらず、2008年まで戦前からの駅舎を改装して使用していた。また地上駅時代、各ホーム間は跨線橋で連絡していたが、エレベーターやエスカレーターはなくバリアフリー面で課題があった。そのため2006年6月より駅の橋上駅化に着手し、2007年9月にはエレベーター付きの仮跨線橋が設置された。2008年4月には70年以上に渡って使用されてきた駅舎を閉鎖して仮駅舎へ移転、同時に長距離特急・急行が停車していた時代の名残でもある有効長の長いホームを活かし、列車の停車位置を三田側に移動して駅の営業が工事に支障が出ないようにした。2010年2月に完成した新駅舎はレンガ調の外観で、改札口前にはシャンデリアがあり、大正から昭和初期をイメージしたレトロ調となっている。商業施設はコンコース階に「エキマルシェ宝塚」(2010年3月8日開業)があり、駅北口の「ソリオきたユニベール」とも直接連絡している。旧駅舎の解体後は、2面4線への拡張に備えた構造になっている。2005年4月25日のJR福知山線脱線事故発生後、同年6月18日まで当駅 - 尼崎駅間が不通となり、三田側からの列車は当駅で折り返すこととなったが、折り返しに使用できるのは2番のりばのみであり、ラッシュ時には跨線橋が乗客であふれかえる事態となった。そのため、駅本屋に直結(当時)していた1番のりばの線路上に仮設ホームを設置し、本来2番のりばである線路を1番のりばとして使用した。この仮設ホームは運転再開の前日である6月18日に撤去された。長く非電化であった国鉄時代は相対式ホームに中線1本という駅構造だったが、尼崎駅と当駅の間が電化された1981年頃には現在の2面3線となった。また、全線電化された1986年までは改札制限をしていたため、旧駅舎のコンコースには待合室を兼ねて多数のベンチが置かれていた。当駅から生瀬駅方面に惣川まで側線があり、砕石ホッパーから線路のバラスト用砕石が積み出される。俗に「惣川工臨」と呼ばれるDE10形牽引の砕石列車がこれを輸送している。駅長が配置された直営駅であり、管理駅として福知山線の伊丹駅 - 新三田駅間の各駅を管理している。朝のラッシュ時は大阪方面の運行本数が非常に多い。日中は1時間あたり快速(丹波路快速含む)・普通とも4本(快速の2本は当駅折り返し)が発着する。夕方時間帯は福知山行きの列車も発着する。JR東西線に直通する快速は朝晩のみ設定されている。初電は4時51分と早く、終電も0時44分(新三田行き)であり、当駅終着の終電到着は0時58分である。当駅での夜間滞泊は行わず、北伊丹駅まで回送される。2番のりばに停車する列車は、車内保温のため、ドア横の開閉ボタンを使って乗り降りする。頭端式ホーム2面4線を有する高架駅。ホーム有効長は10両だが、宝塚線2006年10月・今津線2009年3月20日現在のダイヤでは10両編成の列車は当駅に入線しない。原則的に今津線は1・2号線ホーム、宝塚本線は3・4号線ホームを使用する。なお、平日ダイヤ10時(9時56分発) - 17時および土曜・休日ダイヤ9時 - 19時(阪神競馬開催日は15時46分)においては、今津線と宝塚線の間で乗り換えの利便性を確保するため、今津線は3号線からの発車となり、1・2号線ホームは閉鎖される(臨時列車運転時にはこの限りではない)。このため、当駅ではのりば番号の部分にもLEDが使用されている特殊な発車標が設置されている。また、それ以外の時間帯でホームがそれぞれ1線で足りる場合には、今津線は2号線、宝塚線は3・4号線のみを使用する。1・2号線ホームと3・4号線ホームは末端部でつながっており、今津線が1・2号線から発車する時間帯にも、これを利用することで2階部を経由せずに宝塚本線・今津線相互間の乗り換えが可能である。1号線は平日朝6時57分から9時7分まで2号線と交互に使うほか土日で阪神競馬場で競馬がある日や嵐山への臨時特急が運行されるといった臨時ダイヤの際に使われる。地上駅時代は今津線1本と宝塚本線2本の2面3線ホーム(今津線が4両編成の時代は3面3線)で、なおかつ宝塚本線のホームは乗車ホームと降車ホームに分かれていた。列車は乗客を降ろしたあとに引き上げ線に入り、再度乗車ホームに入線していたが、1960年代に編成両数増大に伴い乗降分離の取扱いが廃止された。駅周囲が民家で囲まれていたため、8両編成分以上のホーム延伸が困難でかつ駅構内も狭かった。今津線ホームは6両編成分であったため、朝ラッシュ時の今津線経由準急梅田行(8両編成)は宝塚本線ホームに入線していた。駅舎は宝塚大劇場等と共通した外観で、阪急百貨店を核とする店舗群と一体となっている。さらに駅屋上の一部は駐車場となっている。ホームにある駅名標には宝塚大劇場前の副駅名が記されている。以前は付近にあった遊園地にちなみ宝塚ファミリーランド前と記されていた。2014年3月21日から発車メロディとして宝塚本線は「すみれの花咲く頃」が、今津線は「鉄腕アトム」が使用されている。かつては阪急電鉄の利用が多かったが、JR西日本も沿線の開発やJR東西線の開通もあって利用客が増加した。昭和末期までは三田駅方面からの乗客が、単線非電化で足も遅かった国鉄から阪急へと乗り継いで大阪(梅田)に向かう例もあったが、福知山線の複線電化後は大阪までそのままJRに乗車するようになった。各年度の一日平均乗降・乗車人員推移は下表のとおり。阪急側の駅の高架化以前、駅前から宝塚ファミリーランドへの道筋には土産物店が並んでいた。このように、温泉地として開発され、小林一三の手によって発展を遂げた宝塚駅周辺は行楽地の雰囲気をたたえていたが、宝塚ファミリーランドが閉園してからはそれも薄らいでいる。
出典:wikipedia
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