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マツダ・ロードペーサー

ロードペーサー("ROADPACER" )は、かつて発売されたマツダのプレステージカー(高級車)。発売当時はマツダの排気ガス対策装置「AP」を付けられた「ロードペーサーAP」と称されていた。マツダ初の3ナンバー車及びフラグシップモデルであった。セダンタイプの乗用車としてはマツダ車で一番大きいボディ(全幅ベースにて計算。全長は初代センティアが最大)を持つ。1970年代前半、それまで日本メーカーによる富裕層向け最高級乗用車はトヨタ・センチュリーと日産・プレジデントに限られていたが、日本の経済成長によって最高級車市場の拡大の動きがあり、マツダは三菱自動車工業、いすゞ自動車とともに最高級車市場への参入を図った。しかしマツダや三菱自動車、いすゞ自動車はトヨタや日産のように高級車を自社独自で開発するような企業体力はなかった。そこで三菱自動車といすゞ自動車は外国メーカーとの提携関係を活かし、日本と同じ右ハンドルであるオーストラリア製の乗用車を輸入し、日本の基準に適合するよう最小限の改造(当時日本で認可されていなかったドアミラーをフェンダーミラーにするなど)を施した上で自社系販売店で販売した。だがマツダは外国メーカーとの提携が全くなかったため(当時フォードとはまだ提携していなかった)、オーストラリアのGMホールデンと部品購入契約を交わすことで最高級車を開発した。こうしてロードペーサーが誕生したのであった。ボディはホールデンが生産していた主力大型車・HJシリーズの最上級グレード「プレミアー」がベースで、前輪独立懸架、後輪固定車軸の後輪駆動という、当時の大型車としてはごく一般的な構成である。このモデルのベース車はホールデンの親会社であるGMのインターミディエート・クラスで、アメリカでは中級サイズにあたるが、日本では大型セダンとして通用するものであった。オーストラリア本国では、基本プラットホームをそのままに4回のビッグマイナーチェンジを受けつつ1971年から1984年まで生産されたロングセラーであり、HJは1974年から1976年まで生産された最初のマイナーチェンジ型である。プレミアーは当時いすゞが上記の施策により輸入したステーツマン・デ・ビルの姉妹車でもある。このボディを日本向け高級車仕様の内外装にしつらえたうえ、マツダ独自のパワーユニットとして13B型ロータリーエンジンを搭載し、トランスミッションは日本自動変速機(現ジヤトコ)製3速ATを組み合わせた。当時ロータリーエンジンを自社のイメージリーダーにしていたマツダが、軽量で高出力を得られる自社製パワーユニットという特性を利用して、ロードペーサーにもこれを搭載したものであった。元より、当時のマツダは6気筒・8気筒の大型レシプロエンジンを製造しておらず、いすゞのようにホールデンHJのエンジンを流用しない限り、手持ちエンジンとしては額面上最強となるロータリーエンジンを使わざるを得なかったのも一面であった。目標販売台数は月間100台であった。なお、前期型では四角形のメーターパネルだったが、これは後期型では丸型に変更され、フロントグリルの格子の形状も変えられている。当時の価格はセンチュリーやプレジデントをも上回る高価格で、日本市場では割高に感じられ、販売不振であった。ロータリーエンジンは、1975年当時の日本で進行中であった厳しい排気ガス浄化規制にも対処が容易であったため、当初は官公庁からの若干の需要もあったが、それも限られたものであった。高価格のほか、本来、日本向け高級車のデザインではなかったボディを流用したモデルで、スタイリング面で日本の想定ユーザー層の好みに合わなかったことや、従来、大衆車・商用車販売を主としてきたマツダの既存販売網が大型乗用車の需用者への営業力を欠いたことも不振の一因ではあった。しかし何よりも、自動車としての成り立ちがあまりにもアンバランスであったことがロードペーサーの問題点であった。ベースとなったホールデンHJは、本来、大型アメリカ車同様に大排気量で低回転域から大トルクを出せるエンジンを搭載されるクラスであり、最低のベースモデルでも直列6気筒2.8L-3.3L、それ以上のグレードは4.1L-5.7LのV型8気筒レシプロエンジンが搭載されていた(バッジエンジニアリング車であったいすゞのステーツマン・デ・ビルはV型8気筒5Lエンジンをそのまま搭載し、ボディに見合った性能を確保していた)。そのような大きく重いモデルのボディに、軽量高回転だが低回転域のトルクが弱く燃費も良くないロータリーエンジンを搭載しても、自動変速機のトルクコンバーターでトルク増大を図ったところでなお実用上の動力性能が甚だしく不足し、しかも燃費は非常に悪くなったのである。力のあるV型8気筒エンジンを搭載し十分な動力性能を得ていたセンチュリーやプレジデントに比べ、これは致命的なマイナスであった。その後、1977年に3代目ルーチェが発売された。先代よりボディサイズが拡大し見た目の高級感が増した(なおかつ日本における5ナンバー規格に収まり、ロータリーとレシプロ双方のエンジンが選択でき、市場適合性のあった)新型ルーチェがマツダにとっての最高級グレードを担う格好となり、ルーチェよりも価格が圧倒的に高く販売も低迷していたロードペーサーの生産は打ち切られた。以降は1979年まで在庫車の新車販売が行われたに留まった。総生産・販売台数は799台。

出典:wikipedia

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