寺尾 次郎(てらお じろう、生年不明 - )は、日本の映画字幕を中心とした翻訳家、元ミュージシャンである。シュガー・ベイブメンバー、映画美学校講師を歴任。映画翻訳家協会会員。生年不明、東京都に生まれる。生年に関してはミュージシャン時代から一貫して非公表である。慶應義塾大学卒業。1974年(昭和49年)に学生時代の佐野元春のバンド「バックレーン元春セクション」にベーシストとして加入。翌1975年(昭和50年)にはハイ・ファイ・セットのバックバンドに在籍、同バンドに後から参加した伊藤銀次や上原裕と共に活動する。同時期、メンバーチェンジを機にリズムセクションの強化を考えていた山下達郎からシュガー・ベイブへの誘いを受け、同年3月より伊藤・上原と共に同バンドのメンバーとなる。同年4月25日は、寺尾らが参加した同バンドのアルバム『SONGS』がリリースされる。同年6月25日にリリースされたガロのアルバム『吟遊詩人』では、細野晴臣と連名でベーシストとしてクレジットされている。以後、1976年(昭和51年)のシュガー・ベイブ解散まで活動し、その後、同年まで、山下と伊藤が参加した大瀧詠一が主宰するナイアガラ・レーベルをめぐるセッションのほか、同年3月25日にリリースされた『NIAGARA TRIANGLE Vol.1』のレコーディングに参加する。同じく、ソロとなった山下のライヴや『資生堂 MG5』等のCM音楽制作、大貫妙子のライヴや同年9月のアルバム『Grey Skies』、小室等のレコーディングなどにも参加した。同年12月23日、山下のソロライヴ以降、ベーシストとしての活動の形跡はない。1981年(昭和56年)、のちにミュージシャンとなる娘の寺尾紗穂が誕生する。バンド在籍時から、東京にある国立のフィルム・アーカイヴであるフィルムセンターに通うほどの映画好きが高じて、時期は不明だが山田宏一に師事し、1980年代後半(昭和60年代)からフランス映画を中心に字幕翻訳に着手する。初期の作品は、デイヴィッド・クローネンバーグ監督の『デッドゾーン』(1983年製作、1987年日本公開)、ジャック・ドワイヨン監督の『ラ・ピラート』(1984年製作、1989年日本公開)等で、1989年(平成元年)には渋谷にオープンした映画館ル・シネマの開館作品『遠い日の家族』(監督クロード・ルルーシュ、1985年製作)を手がけている。1997年(平成9年)には、上映時間9時間30分におよぶクロード・ランズマン監督のホロコーストをめぐる映画『SHOAH ショアー』(1985年)の膨大な字幕翻訳を手がけている。手がけた字幕翻訳は、劇場公開作だけでも200作を超え、そのほかにも多くの映画祭で上映作品の字幕翻訳を手がけている。寺尾が仕事をした日本公開年順に配列。タイトルは50音順ソート。国立国会図書館蔵書。
出典:wikipedia
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