『獅子の時代』(ししのじだい)は、NHKが1980年(昭和55年)1月6日から12月21日に放送した18作目の大河ドラマ。全51回。大河ドラマで1967年(昭和42年)の『三姉妹』以来13年ぶりに、架空の人物が主人公になった。会津藩の下級武士である平沼銑次に菅原文太、薩摩の郷士の苅谷嘉顕に加藤剛が起用された。勝者である薩摩藩の嘉顕と、敗者である会津藩の銑次がそれぞれの生き方を貫いて幕末・明治維新を生き抜く様を描いた。それまでの大河ドラマとは異なり山田太一によるオリジナル脚本であり、しかも宇崎竜童(ダウン・タウン・ファイティング・ブギウギ・バンド)によるロック風のテーマ音楽が使用されるという、極めて斬新な作品だった。最高視聴率26.7%、平均視聴率21.0%と当時の大河ドラマの水準としては高い視聴率ではなかったが、パリ万国博覧会、樺戸監獄、秩父事件、自由民権運動など、これまで取り上げられる機会の少なかった出来事が描かれた。それまでの大河ドラマが中央政権の近くにいる有名武将など傑出した英雄たちのドラマだったのに対し、本作は地方に生きる草の根の庶民(に近い層)にスポットライトが当てられており、歴史に翻弄された人々の裏面史と言える内容になっている。特に、明治維新で“賊軍”の汚名を着た会津藩士の運命を描いている点で、旧来の英雄譚とは明確に一線を画しており、後の『琉球の風』や『炎立つ』、『八重の桜』の先駆と言えるものだった。映画『仁義なき戦い』シリーズや『トラック野郎』シリーズをヒットさせ、当時の日本映画を代表する俳優の一人であった菅原が、1年拘束される大河ドラマに出演することは、東映にとって興行の柱の一つを失うことであったが、菅原にとっては新たなジャンルに挑戦する作品となった。また鶴田浩二はじめ、山田のドラマ『男たちの旅路』と共通の出演者もいた。本作以降の歴代大河ドラマは、放送回、総集編ともに、全映像をNHKが保存している(2インチVTRから代わって安価の1インチVTRになったため)。2012年11月より2013年11月初頭までNHKオンデマンドで本編放送回の配信が行われていた。本作はまずメインタイトルが表示され(バックには獅子=ライオンが登場)、その回の導入部(アバンタイトル)が流れてからオープニングクレジットタイトルに入る。曲中で3ヶ所(第14話以降は4ヶ所)にその回のハイライト・シーンが織り込まれる。但し第11話「死の影」の様に本編未使用カットが挿入されたり、第13話「蝦夷島共和国」の様にハイライトではなくアバンタイトルから本編へのブリッジ的な映像が挿入される事も数回あった。宇崎は音楽担当の依頼を受けた時に「大河ドラマは年寄りが見るもの」と抵抗感があった。しかし大河ドラマが幅広い世代で見られていることを知り、「ロック(特にエレキギターの音)に偏見を持っている人達に1年間ロックを聞かせることで親しみを持ってもらい、偏見を無くすチャンスだ」と考えて音楽担当を引き受けた。序盤の主要舞台であるパリでのロケは、放送前年の1979年(昭和54年)9月に20日間行われた。当時、パリ総局長だった磯村尚徳がフランス国鉄に撮影許可をとっていたが、ロケ現場のパリ・リヨン駅の駅長が撮影前日になっても許可せず、交渉の結果、午前中のみの撮影、一般乗客を大写しにしないこと、人の整理はNHKでやること、トラブルを起こさないこと、などを条件に撮影が許された。コンコルド広場で馬車を走らせるシーンのときは、撮影許可時間が午前6時~8時だったが、午前6時はまだ暗く、ようやく8時から始めた撮影では、観光バスが来るとストップと書いたプラカードでスタッフが止めようとしたり、パトカーが来ると50フランと記念品を渡して見逃してもらうなど苦労が多かった。パリから南へ500キロのビバレー鉄道でSLでの撮影では中国人に間違われたという。国内でも「外でやりたい」という菅原文太の希望もあって、放送前年10月に東京近郊で4日間、11月は鹿児島・宮崎で6日間、12月は10日間、放送開始の1980年(昭和55年)1月は2日間、2月は3日間、3月は7日間、4月はなし、5月は3日間、6月は2日間、7月は9日間、8月は北海道で10日間、9月は4日間、10月は9日間、各々ロケが行われており、これは当時の大河ドラマとしては画期的な多さであり、この作品のロケ日数を同枠で超えるのは『太平記』まで待たねばならない。
出典:wikipedia
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