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ラッキーゾーン

ラッキーゾーンは、野球場で本塁打を出やすくするために意図的に外野フィールドの内側に施した柵と、その柵から本来のフェンスの間の空間のこと。和製英語(=日本独自の通称)であり、英語に相当する単語はない。本来の外野の柵とは別に、外野フィールドが広すぎる、ホームランをたくさん出るようにしたい等といった理由で意図的に本来のフィールドから狭めるためにフィールド内に新たに仮柵を設置した場合に、ラッキーゾーンと呼ばれる。そのため、通常の野球場を少年野球、あるいはソフトボールの試合などに使用する際にも同様の柵が設けられるが、これは一般にラッキーゾーンとは呼ばれない。柵の外はプレイングフィールド外として扱われ、打者が打ったフェアの打球が地面に着くことなくラッキーゾーンに飛び込めば、本塁打となる。外野フィールド内側の柵は本来仮柵であるために撤去しやすいように金網であることが多いが、藤井寺球場ではコンクリート製だった。ホームランの量産を意図したものではあったがコンクリート製だったため、ラッキーゾーンに含めるか否かは意見が分かれている。ラッキーゾーン内に投球ブルペンが設置されることが多い。日本におけるラッキーゾーンの第1号は阪神甲子園球場である。柵越え本塁打が注目されるようになってから、球場での本塁打率が悪かった事を危惧した管理者の阪神電鉄が、1947年の5月26日に外野の両翼から左・右中間付近にいたる付近に金網を設けて本塁打を出やすくしようと試みた。この甲子園のラッキーゾーンは形を変えながら1991年シーズンまで存続し、シーズン終了後の12月5日に撤去している。現在、フェンスは甲子園に距離的に最も近い高校と言われている兵庫県立西宮今津高等学校の中庭に記念碑として立っているほか、阪神甲子園球場内の甲子園歴史館にもフェンスの一部がラッキーゾーン設置時の両翼だった91mのプレートをつけた状態のままで展示されている。それ以後、鳴海球場、阪急西宮球場、明治神宮野球場、西京極球場、倉吉市営野球場にそれぞれ設置された。しかし、選手の体格向上やバットやボールの品質改良によってホームランの本数が増加し、夏季オリンピック実施競技に野球が加えられた1980年代以後、各地に国際競技規格に適合ないしはそれに準ずる球場が新規建設されたり、改修でも外野の拡張が実施されるようになったため、ラッキーゾーンそのものの存在価値もなくなり、現在はラッキーゾーン内にナイター設備(照明灯の支柱)があるため撤去が困難とされる倉吉を除く各球場でラッキーゾーンが外されている(鳴海は1958年で球場そのものが閉鎖、神宮は1967年にラッキーゾーンがなくてもグラウンドが同規模程度になるようスタンドが改修されているが、2008年に再拡張された)。なお、日本女子プロ野球機構では、2012年から西京極(わかさスタジアム)での開催に限り、両翼90mの箇所にラッキーゾーン(仮設ネット)を設置した。2013年には宮城球場(楽天Koboスタジアム宮城)に本塁打を増やすため「Eウィング」と言う外野スタンドがフィールド内に増築された。球団では増設した座席を「ラッキーゾーンのような」という説明がされており、正式に呼ばれているわけではない。従来のスタンドの前に特別席を常設するという国内では今までにない形式となっている。このEウィングにより、12球団本拠地最長だった101.5mの両翼が100.1mとなり、左右中間が1mほど縮まる形となった。2.8m - 4.1mあったフェンスも2.5mに統一された。座席数は90席で、総工費4億円。2015年には福岡ドーム(福岡 ヤフオク!ドーム)に「ホームランテラス」と言う外野スタンドがフィールド内に新設された。ホームランテラスによりフェアゾーンの面積は東京ドームとほぼ同じとなり、12球団本拠地で1番の高さを誇っていた5.84mの外野フェンスも東京ドームより僅かに低い4.20mまで引き下げられた。また、センター付近やポール際などスタンドを設置できない部分(公認野球規則により両翼・中堅はこれ以上縮められない)には従来のフェンスにホームランテラスから連なる形で金網を貼り付け、同じく4.20mの高さにあるオレンジのラインを越えた部分に当たればホームランとする措置を取っている。球団からの発表にはラッキーゾーンという言及は無いが、改修に関する多くの報道ではラッキーゾーンと呼んでいた。命名後はホームランテラスの名称を使用するのがほとんどである。座席の命名権はANAと山九が取得。座席数は約340席、総工費3億円。常設ではなく撤去が可能で、撤去と設置をそれぞれ24時間で行える。大韓民国の韓国プロ野球ではソウル特別市にある蚕室総合運動場野球場で、LGツインズが主管試合を開催する場合に限り、球場の広さからホームランが出にくいとして、センターを中心に左中間・右中間を4mほど狭めた脱着ネット式のラッキーゾーンを2009年と2010年に設置していた(2011年からはラッキーゾーンは設置しなくなった。また同じ球場を使っている斗山ベアーズはラッキーゾーンを基から設置していない)。後楽園球場では、1953年より1957年まで外野ポール付近に「アンラッキーネット」を設置していた。ただしこれはフェンウェイ・パークのグリーン・モンスターなどと同様に、球場の狭さ(当時の後楽園球場は両翼が78mしかないためでホームランが出やすかった)をカバーして本塁打を出にくくする(プロ野球が2リーグ制となった1950年には両リーグで1500本以上の本塁打が飛び交った)という、ラッキーゾーンとは全く逆の目的のものである。後楽園のアンラッキーネットは、1957年のシーズンオフにフィールドを拡張し、フェンスそのものを高くする改装工事に伴い、翌1958年の長嶋茂雄入団時に撤去されている(実際、1960年には両リーグの合計本塁打数が1000本以上に回復し、1968年以降は1500本以上となった)。過去のアメリカ合衆国の野球場においては、変形かつ広大な外野フィールドを持つ球場が大半であったために、ラッキーゾーンに相当するフェンスの位置変更は頻繁に行われていた。いくつかの例を挙げるならば、旧ヤンキースタジアムの左中間は改修のたびに縮小され、その場所にブルペンや記念館が建築されており、クリーブランド・スタジアムでは開場から閉鎖までの60年間にセンターまでの距離が20m以上も短縮された。また、ドジャースがロサンゼルスに移転した当初に使用したロサンゼルス・メモリアル・コロシアムは本来陸上競技場だったので、フィールドがレフト側に極端に狭く、ライト側は逆に極端に広すぎた。そのため野球開催時には仮設フェンスを設置していた。本塁から左翼ポールまで約76.2mの長さしか取れなかったため、レフト側のフェンスは高さが40フィート(約12.2m)もあった。

出典:wikipedia

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