長征(ちょうせい、Chang Zheng)ロケットは、中国の人工衛星打上げロケットである。名称は中国共産党の長征の故事にちなんだもの。中国語名称の頭文字を取ってCZ-xxと表記する他、英語名称のLong MarchからLM-xxとも表記することがある。長征1号は単段式の東風3号(DF-3)型IRBMに第2段を付加し射程を伸ばした東風4号(DF-4)型IRBMをベースとして第3段に固体燃料モータを搭載し人工衛星打ち上げ用に開発された。長征2号は東風5号(DF-5)型ICBMをベースに人工衛星打ち上げ用に改修を行ったものであるとされるが、DF-5の開発遅延や中国初の有人ロケットとして設計された風暴1号の先行もあり、これら3機種は並行開発されたと見るのが適切である。これ以降長征4号系列までの長征ロケットは全て長征2号Aからの改良型であるが、長征5号は長征4号までとは大きく異なり、液体水素と液体酸素を推進剤として使用するメインエンジンを採用、離昇推力を稼ぐためケロシンと液体酸素を推進剤として用いる新開発の液体ロケットブースタを併用するとされている。後述の大事故もあったが、2014年12月時点で200機以上の打ち上げに成功しており、100機目以降の打ち上げに限れば打ち上げ成功率は世界最高である。2015年以降の打ち上げを目指している大型ロケット長征5号をベースにして、小型の長征6号と、中型の長征7号も開発中である。さらには、衛星打ち上げ用としては中国初となる固体ロケットの長征11号も開発されており、2016年の初打ち上げを目標にしている。さらにはサターンVロケットを越える130トンもの打ち上げ能力を持つ超大型の長征9号ロケットの開発も検討されている。ソ連から中国への技術導入はヤンゲリ設計局(OKB-586)の技術陣によって1957年12月24日から行われ、中ソ対立の進行によってソ連共産党指導部による技術陣の引き上げが完了する1960年6月まで2年半続いた。この期間はR-1やR-2、R-5といったV2ロケット系統のIRBMの技術移転が行われ、これらを国産化した東風1号(DF-1)型MRBMと東風2号(DF-2)型MRBMの開発が行われたのみであった。中国は技術陣引き上げ後にヤンゲリ設計局が開発したR-12型IRBMの技術移転を求めたものの要求は拒否されている。このような背景から長征1号ロケットのベースとなったDF-3の計画は1964年から独自開発という形で開始されることとなった。DF-3で使用されたYF-1エンジンの燃料供給系はV2ロケット直系の構造であり、R-12のRD-214エンジンにおけるヴァレンティン・グルシュコの手によるこの時期のソ連製エンジン特有の構造とは全く異なる構造である。風暴1号、長征2号、DF-5はDF-3やDF-4と同様1964年から開発が開始された。独自開発したそれまでの2倍強の推力をもつエンジンを搭載し、構造材へアルミニウム合金を採用、デジタル式の姿勢・誘導制御装置の搭載、推進剤タンクの自己加圧など新規技術が多数導入されており、それまでの長征1号とは一線を画したものとなった。これらのロケットの開発においては1935年に渡米し1955年に帰国した銭学森が中心的な役割を果たした。銭学森はセオドア・フォン・カルマンの助手も務めたアメリカにおける初期の弾道ミサイル制御研究の第一人者であり、ジェット推進研究所(JPL)の共同設立者の一人でもある。長征1号の初飛行は1970年で、同国初の人工衛星「東方紅1号」を軌道に乗せ、世界で5番目の衛星打上国となった。2003年10月15日に、有人宇宙船「神舟5号」の打上げに用いられた長征2F型は、低軌道人工衛星打上げに用いられる長征2E型の信頼性を向上させ、非常脱出装置などの有人支援機能を追加したものである。LEOへの最大搭載能力は9,200キログラム(長征2E)、GTOへの最大搭載能力は5,200キログラム(長征3B)である。後継機種である長征5号のバリエーションは将来的により多くの打ち上げ能力を持つとされている。長征1号系列の第1段では赤煙硝酸とUDMHの組み合わせを使用し、最上段に固体燃料ロケットを使用しているが、その他の長征ロケットのメインステージ及びブースタでは常温で保存可能なNOとUDMHを推進剤として使用している。例外として長征3号シリーズの上段(第3段)は、液体水素と液体酸素 (LH2/LOX) を燃料とするYF-73/YF-75エンジンを使用している。長征5号はそれまでのロケットとは全く異なるものとなっており、液体酸素を酸化剤とし、ケロシンや液体水素を燃料として用いる。中国国内に存在する下記4つの発射場を利用する。長征ロケットを用いた商業打ち上げの大半は、四川省西昌市にある西昌衛星発射センターから打ち上げられている。海南島の海南衛星発射センターは拡張中であり、将来的には主要な商業打ち上げ用の射場になると考えられる。軍事目的の打ち上げは、甘粛省・内モンゴル自治区の境の酒泉衛星発射センターからも行われ、有人宇宙船神舟の打ち上げもこの射場から行われた。太原衛星発射センターは山西省にあり、太陽同期軌道への衛星打ち上げに集中して利用されている。中国の商業打ち上げサービスは中国長城工業公司が管理している。1990年代中盤、アメリカ合衆国は中国の軍事研究に利用されることを恐れて中国製ロケットによる企業の衛星打ち上げを禁止したため、中国の通信衛星打ち上げサービスは大打撃を受けた。この問題に直面したタレス・アレニア・スペース社は、Chinasat-6B衛星の製造にあたってアメリカ製部品をまったく使わずにすませた。そのためこの衛星は、アメリカの武器輸出規制に抵触することなく中国製ロケットで打ち上げることができるようになった。この打ち上げは2007年7月5日、長征3Bロケットで行われ、成功した。1970年以降80回以上の打ち上げ成功を誇る長征シリーズだが、大きな犠牲の上に開発されてきた歴史も無視できない。1995年1月26日に西昌衛星発射センターより打ち上げられた長征2E型は打ち上げ直後に爆発。少なくとも20人が死亡している。1996年2月14日には、インテルサット708を搭載し西昌衛星発射センターより打ち上げられた長征3B型1号機が打ち上げ直後に機体が傾きだしコントロールを失い、そのまま近くの村に落下。新華社はその後報道で死亡者6名、負傷者57名と発表した。しかし当時撮影された墜落現場の映像や目撃証言などから、西側メディアの推測では死亡者は推定200~500人で、史上最大の惨事をもたらしたとされる。中国政府は否定しており、真相は明らかになっていない。現地にいた米国人技術者の目撃談などを基にまとめた記事によれば、打上げ9秒後に機体が水平方向に傾き、打上げ22秒後にロケットは山腹に激突した。衛星を搭載した部分はその少し前に荷重に耐えられなくなってちぎれ落下した。衛星組み立て棟から見学していたアメリカ人技術者たちの所にも爆発の衝撃波がおよび、ガラスの破片が飛び散った。幸い、有毒ガスは検知されず、風で流された。ロケットが落下した場所は宇宙センターのゲートの隣で、その場所には打ち上げ前に数百人の村人たちが集まって見学していた所だった。中国当局者は打ち上げ前には、彼らを全員退避させたと語ったが、それは疑わしい。ホテルなどがある居住地域に戻ると、損傷を受けていない建物はなかった。ホテルに入るとすべての部屋の窓やドアは吹き飛ばされており、壁にも穴が開いていた。数百人の軍隊が集まっている様子は、死体回収のためではないかと疑った。多数の救急車以外にも、多数の軍用トラックの荷台に散乱した遺体を積んでいるのを目撃したとの話しもある。このアメリカ人技術者たちは、米国製の衛星の破片が中国側に渡らないよう、数週間かけて残骸の回収を行った。2週間後、中国の新聞は、この事故の死亡者は6人、負傷者は57人であったと発表した。この数は、技術者たちの被害としては現実的だと思うが、集まっていた村人たちのうち、どのくらいが死んだのかはわからない。だが数百人が死んだのは間違いないだろう。その教訓を元に各部の改善をすすめ、1996年10月20日から2009年4月22日まで、シリーズ全体で75回連続成功した。北京時間2009年8月31日17時28分(日本時間18時28分)、四川省の西昌衛星発射センターからインドネシアの通信会社インドサット社の通信衛星パラパDを載せた長征3号Bロケットを打ち上げた際には、第3段の再着火時のトラブルにより所定の軌道への投入に失敗した。しかし衛星側のエンジンを使うことでパラパDは3日後には自力で予定の静止トランスファ軌道(GTO)高度に到達し、10日後には予定された静止軌道にあることが発表された。ただし軌道投入のために燃料を予定より消費したことで静止衛星としての寿命が短くなったと見込まれる。
出典:wikipedia
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