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鉄道唱歌

「鉄道唱歌」(てつどうしょうか)は、明治時代に作詞された唱歌。。第1集東海道編第1番の歌詞である、「汽笛一声新橋を はや我汽車は離れたり……」は広く知られている。長らく日本一歌詞が長い歌だったが、1987年に発表された「石坂まさを一人旅して─全国我が町音頭」(県別編・市町村編合わせて3355番)に記録を大幅に塗り替えられた。また、一部のカラオケでは第一集66番をすべて歌うことができ、その曲長は15分59秒であり、カラオケで収録されている歌としては有数の長さを誇る。発売されたCDとしてはボニージャックスが334番全集(北海道編は含まない)、キドブラザーズが省略せずに399番を収録したCD集がある。大阪の出版社「昇文館」を主宰する市田元蔵が企画し、大和田建樹に作詞を、多梅稚と上眞行(うえ・さねみち)に作曲を依頼したことから「鉄道唱歌」は誕生した。しかし、昇文館の経営状態はすでに悪化していた。1900年5月10日に第1集東海道篇を発売したものの、印刷部数はわずか3,000部であり、宣伝資金もなかったために、ほとんど売れないまま、昇文館は倒産した。この「鉄道唱歌」の版権を市田から買収したのが、大阪で楽器店(現在の三木楽器)を営んでいた三木佐助である。第1集東海道篇は三木によって再度出版され、楽団を乗せた列車を走らせるなどの奇抜な広告戦略の効果もあって大流行した。さらに、この年の年末までに第5集までが発表された。詞はいずれも大和田建樹によるもので、曲は第1集・第2集が多梅稚と上眞行、第3集が多梅稚と田村虎蔵、第4集が納所辨次郎と吉田信太、第5集は多梅稚が2種といったように、各曲に2つずつつけられた。これは「鉄道唱歌」が書籍の形式で販売されたので、「読者に好きな方を歌ってもらおう」という、最初の企画者・市田元蔵のアイディアだったといわれている。だが第1集から第3集、そして第5集の曲の1つであった多梅稚のそれが、抒情的な上眞行の曲よりも、ヨナ抜き音階のピョンコ節でメロディーが覚えやすく、余りにもテンポがよく旅情がそそられるといった事情のためか広く歌われるようになって、他の方の曲はほとんど歌われなくなってしまった。現在知られているのはもちろん多梅稚の曲である。ちなみにテンポ良く聞こえるのは歌詞が7音、5音、7音、5音、7音、5音、7音、5音となっているのも要因の一つである。異説として、最初から三木の企画だったとする説、無名の一青年の詞を買い取り大和田が補筆したとの説がある。「鉄道唱歌」の書籍は大正初期までの20年間に総計2000万部を売ったという。「地理教育鐵道唱歌」と銘打たれているように、元々は子供の地理の学習のために作られた曲であった。膨大な詞の中に沿線の地理や歴史、民話や伝説、名産品の紹介を織り込んだこの曲は、大人の間でも人気となった。そのため、発表直後から模倣作品が多く製作された。なお東京都千代田区の交通博物館(2006年5月閉館)には、大和田建樹直筆の鉄道唱歌第一番の歌詞が飾られていた。また、この交通博物館の最終営業日の閉館時には、この歌を歌い閉館を惜しむ人たちが見られた。現在、大和田建樹の直筆書は埼玉県さいたま市の鉄道博物館に所蔵されている。歌詞の方は基本的に沿線に沿って七五調で順々に詠っているが、沿線に作者(大和田建樹)の好んだ場所や歴史的な場所のようなところがある場合、またその路線の終点の場合などは、そこに多く歌詞を割り当てたり、さらには「寄り道」していることもある。たとえば以下の最初にある鎌倉の場合、その直前に「横須賀行きは乗り換えと / 呼ばれて降るる大船の」とあり、横須賀線に乗換えて寄道することが歌詞になっている。また、線路が必ずしも旧街道に沿っていないために、各方面の街道の峠などの地形や旧跡、名物等が駅や線路から離れていることがあるが、そういった点でも必ずしも正確でないこともある。各集の歌い始めは以下のようになっており、いずれも旅立ちの印象を強く読者に与えるものとしていた。なお第3集と第4集は、上野駅から大宮駅に至る区間で重複しているが、それぞれにおいて歌う場所をずらすなどの配慮をし、特色を持たせてある。また各集の最後ないし最後の1つ前に当たる所、また、東北線の終点「青森」の歌詞(第3集40番)では、以下に示した通り急速に発達した鉄道網を賞賛する歌詞が見られる。その他、最後では以下のように次の旅(次の集)へ続くことを表したもの、または旅の終わりを祝うないし惜しむ歌詞も見られる。なお、全374番の歌詞を続けて歌うと1時間30分以上かかる。附録として第3集に「松島あそび」、第5集に「奈良めぐり」が付いている。またその後、鉄道唱歌に倣って各地の鉄道を歌った歌(「豆相鉄道唱歌」・「沖縄県鉄道唱歌」・「東京地理教育電車唱歌」など)が発表された。大和田建樹自身も、その後伊予鉄道を歌った「伊予鉄道唱歌」、「鉄道唱歌」の改訂版といえる「東海道唱歌」・「山陽線唱歌」・「九州線唱歌」や、大阪市電を歌った「大阪市街電車唱歌」、大韓帝国の鉄道・南満州鉄道を歌った「満韓鉄道唱歌」などを作成している(詳細は後述)。また、昭和期には「鉄道唱歌」に倣う形で「新鉄道唱歌」が作成されている。これには「日本放送協会編」と「鉄道省編」の2種類がある。鉄道省編は1929年に応募曲として発表され、日本放送協会編は1937年に国民歌謡の一つとして作られた。新幹線が開通する直前、詩人の谷川俊太郎が「新・鉄道唱歌」を作った。夢の超特急をユーモアと風刺で包んだ落首、つまり戯れ歌で1節目に「予算の山に入りのこる 八百億を友として」というが、この八百億とは報じられた予算超過額だった。3節までの短いものだった。なお、TOKIOの「AMBITIOUS JAPAN!」は発表当時のJR東海社長だった葛西敬之が、作詞・プロデューサーを担当したなかにし礼に「新しい鉄道唱歌を作って欲しい」と依頼したというエピソードがある。鉄道唱歌は、国鉄時代に、電車特急・急行の車内放送の前に流す車内チャイムの一つとして使用された。東海道新幹線でも初代の車内チャイムは鉄道唱歌を使用していた。しかし、JR発足から相当時が過ぎた現在においては、485系に代表される国鉄時代に製造された特急形車両の廃車や運用機会の減少が進んでいるため、それを耳にすることは非常に少なくなってきている。2002年6月からは品川駅開業130周年を記念し同駅東海道線ホーム(5・6・11・12番線)の発車メロディとして採用されている。メロディの最後には蒸気機関車の汽笛が流れるが、これは現在「SLばんえつ物語号」を牽引している機関車「C57 180」のものである。11番線に関しては、2015年4月からの1年間は別の曲に変更されていたが、2016年4月から他番線と異なるアレンジ(汽笛は同様に流れる)で使用が再開されている。2015年3月からは北陸新幹線西日本管内上越妙高駅 - 金沢駅間の接近メロディとして採用されている。なお『ズームイン!!朝!』(日本テレビ)では、「路線別 鉄道唱歌の旅」のコーナーとしてこの鉄道唱歌の歌詞と同じルートで旅をする特集が組まれた(ただし、前述した「北海道唱歌」も鉄道唱歌の曲に載せて歌い込んでいた)。NHKのテレビ番組『クインテット』には、山手線の全駅をこのメロディーに乗せて歌う「鉄道唱歌 山手線」というコーナー(外回り・内回りの2種類)があった。また、同局で放送されていた番組『ハッチポッチステーション』でも、この曲をアレンジしたメロディが流れていた(音色は三味線風)。アニメ『クレヨンしんちゃん』では登場人物の一人・黒磯がカラオケでの十八番にしており、第438話「先生たちの合コンだゾ」ではカラオケで66番まである第1集を熱唱するというとんでもないエピソードもある。この他、キリスト教の聖書の順番を覚える歌(通称・そうしゅつレビみん)においても、多梅稚による鉄道唱歌の曲が流用されている。またこの歌は、太平洋戦争前に日本が朝鮮を統治していたことや満州に影響を与えていた関係もあってか、それらの地域にも伝わっている。現地では曲だけが流用されて歌詞は別のものが付けられ、鉄道とは全く異なる意味の歌となっている物が多い。例として、韓国では「学徒歌」と称し、学生啓蒙の歌となっている。モンゴルでは「人類」の題で、女性解放を唱えた歌になっている。1970年代には、大木製薬の乗り物酔い止め薬「トリブラ」のテレビCMにおけるCMソングとしてカントリー風にアレンジされ、歌詞も製品名連呼を交えた替え歌となって使用されたことがある。またWコミックがほぼ全てのコントで繰り出す「1、2の3の4の2の5、3、1、4の2の4の2の5」というギャグのメロディーにも使用されている。変わった所ではEXIT TUNESの発車メロディーのコンピレーション・アルバム『駅トラ』にRyu☆による鉄道唱歌のトランスミックスが収録されている。(路線名は現在の名称による。抜けている区間は当時未開通だった区間である)

出典:wikipedia

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