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加古川線

加古川線(かこがわせん)は、兵庫県加古川市の加古川駅から丹波市山南町の谷川駅に至る西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(地方交通線)である。兵庫県の中央部を流れる加古川に沿って山陽本線と福知山線を結んでいるが、パークアンドライドの普及とともに、神戸市や大阪市への通勤輸送が増加する一方、地域輸送も担っており、朝夕は特に混雑が激しい。1995年に発生した阪神・淡路大震災の際には、東海道・山陽本線(JR神戸線)の迂回路の役割を果たした。しかし単線・非電化であったことから迂回路としての機能強化を求める声が起き、2004年12月19日には全線が直流電化された。2013年4月1日には加古川駅 - 厄神駅間、同年8月10日には厄神駅 - 西脇市駅間が開業100年を迎えた。全線が旅客営業規則の定める「大阪近郊区間」に含まれている。路線記号は I 。ラインカラーは青緑()で、車体色や駅名標でも使用されているが、これは神戸支社が管轄していたときの独自のものであった。2015年3月14日の路線記号導入にあわせて、ラインカラーの拡充が行われた。加古川駅 - 久下村駅間は近畿統括本部、谷川駅付近は福知山支社が管轄している。2016年3月26日から、ICカード「ICOCA」が加古川駅 - 西脇市駅間で使用可能になった。全線を通して運転される列車は下りの1日1本のみで、厄神駅・西脇市駅で運転系統が分かれている。ただし、全線を直通する列車も西脇市駅で列車番号が変わる。全列車が全線でワンマン運転を行っている。全列車ともドアは半自動となっている。日中時間帯は加古川駅 - 厄神駅間と加古川駅 - 西脇市駅間の列車が交互に運転されており、1時間あたり加古川駅 - 厄神駅間で2本、厄神駅 - 西脇市駅間で1本運転されている。加古川駅 - 粟生駅間の区間運転列車も平日の朝夕に4往復設定されている。西脇市駅 - 谷川駅間は1日9往復(土曜・休日は8往復)が運転されており、ほかの区間より運転本数が少なく3時間ほど運転がない時間帯がある。2010年度までは4・8・12月以外の第4土曜日に保守工事のため厄神駅 - 谷川駅間で日中の列車が運休していたが、2011年度からは運休は取り止めとなっている。保守労力軽減のため、狭隘な箇所における速度制限 (25km/h) が日本へそ公園駅 - 黒田庄駅間などで実施されている。年に数回、貸切列車として車内で生バンド演奏に合わせて童謡や唱歌などを乗客が合唱する「歌声列車」が運転されている。1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災では、JR神戸線が寸断され、播但線と共に、迂回路線として非常に重要な役割を果たした。加古川線は播但線よりも迂回距離・所要時間も短いが、ワンマン運転が主体の線区で列車の行き違いのため編成両数が制限されること、および谷川駅の福知山線と加古川線を結ぶ構内配線が非常用の分岐器しかないことから福知山線への直通運転ができず、線内列車の増発および増結で対応した。加古川線では西脇市駅で運行形態が分かれており、西脇市駅で乗り換えが必要であったが、乗り換えを解消して直通列車を設定し、震災前に9本しかなかった直通列車は同年2月6日には45本に増加し、ほとんどの列車で直通運転が行われた。また加古川駅 - 谷川駅間で快速も運転された。現在使用されている車両はすべて電車で、網干総合車両所明石支所加古川派出所に所属する125系および103系(3550番台)で運転されている。西脇市駅を境に、南北それぞれの区間で需要に大きな差があり、加古川駅 - 西脇市駅間には2両や4両編成が必要になることから103系が優先的に使用されており、需要が格段に少なくなる西脇市駅 - 谷川駅間には、当線の電化に合わせて製造された1両で運行可能な125系が基本的には全列車で使用されている(検査などで103系3550番台による代走の場合がある)。そのため、125系の運行は加古川駅 - 西脇市駅間では本数が少なくなっており、主に加古川駅 - 厄神駅間の区間列車に使用されている。朝ラッシュ時には125系による3両編成運行もある。後述のラッピング車以外の103系の塗色は、かつて走っていた常磐線の103系と同じ青緑1号である。2004年12月19日の電化時から、103系に横尾忠則がデザインしたラッピング電車が運行され、2007年6月には4本目となる列車の運行が開始された。2010年5月15日から車両の全般検査のため順次運用を終了し、2012年11月18日をもって運行を終了した。各編成の運転開始日・終了日・テーマは次の通り。現車に施された4種類のラッピング以外にさらに2種類ラッピング案が存在していたが、諸般の事情により採用されなかった。加古川機関区所属のキハ20形などの気動車が使用されるとともに、同区所属のC12形蒸気機関車を牽引機として貨物列車が運行された。蒸気機関車は1972年3月で運用を終了した。蒸気機関車の運用終了後、キハ37形やキハ30・35形、キハ23形、キハ40・47形が投入される。国鉄分割民営化直前には、車両転属により加古川気動車区から姫路機関区へ籍を移している。分割民営化後はキハ40・47形の転入によって他形式の気動車は運用を外れ、1999年にキハ37形が運用を離脱した後はキハ40・47形のみで運用されるようになる。2004年12月に電化され、当路線で使用されていた気動車は、JR西日本のほかの非電化路線へ運用の場を移している。1989年にワンマン運転を開始した当初は、ワンマン運転対応車は非対応車と区別するため全ての扉をオレンジに塗装していた。1998年10月には、イラスト列車が運行された。車体のイラストは全国公募により2作品が選ばれ、川魚やトンボをデザインした列車を「せいりゅう号」(キハ40 2134)、恐竜の親子をデザインした列車を「きょうりゅう号」(キハ40 2133)と名付けた。イラスト列車は各1両のみだが、加古川線全体の運行車両数が多くないため、見かける機会は結構多かった。「せいりゅう号」は兵庫県加古川市在住の米田昌広、「きょうりゅう号」は東京都八王子市在住の主婦のデザインだった。その後、約5年間運行されたが、車両の全般検査に伴い2003年7月に「せいりゅう号」、同年11月に「きょうりゅう号」が元の塗色に戻されイラスト列車は姿を消した。加古川水系の舟運を代替する目的で設立された播州鉄道と、その路線を譲り受けた播丹鉄道(播但線の前身である播但鉄道とは別)が開業させた路線を、戦時買収したものである。そのため、同じ播丹鉄道に属していた支線の高砂線・三木線・北条線、鍛冶屋線とは密接な関係があり、高砂線を除いてほぼ一体となった運行形態であったが、そのすべてが特定地方交通線として廃止・転換され、本路線のみがJR線として残っている。播州鉄道は加古川およびその支流で行われていた舟運を鉄道に代替する目的で路線を敷設したため、加古川線の各駅は物流拠点付近に設置されており、集落から離れた場所であることが多い。旅客の流動に合わない路線設定ゆえに旅客需要は伸び悩んでおり、各支線への直通列車も多かったが乗客は少なかった。ただし西脇市については、鍛冶屋線西脇駅が中心市街地至近に立地していたため同駅の利用は多く、加古川線の多くの列車が鍛冶屋線へ直通し西脇駅発着となっていた。前述の国鉄の特定地方交通線の廃止・転換の結果、各支線との直通がなくなり、また実質的な本線区間であり需要の大きかった鍛冶屋線野村駅(現在の西脇市駅) - 西脇駅間も失ったことから利用者は減り続けた。民営化後には通勤利用を狙って朝ラッシュ時間帯に加古川行きの快速列車を設定したりとテコ入れがなされたが、充分な効果が得られず快速列車も数年で取りやめになるなど明るい話題に乏しかった(快速列車自体は、国鉄時代にも需要の少ない駅を通過する形態で日中に運行されていた)。さらには大阪・神戸方面への需要に対しては、直通列車がないこともあり西脇市内や滝野・社地区の市街側から発着する高速バス(大阪駅発着の中国ハイウェイバスと三宮駅発着の西脇方面の急行バス)に圧倒されていた。1995年の阪神・淡路大震災の際には、播但線などとともに寸断された山陽本線の迂回路の役割を果たした。谷川駅の1日の乗り換え客が8,500人に達するほどであったという。しかし単線非電化であったことから迂回路としての機能強化を求める声が起き、2001年10月には、加古川線電化を行うことがJR西日本から発表された。2004年12月19日には全線が電化され、125系や103系電車が走るようになった。総事業費は約60億円で、うち45億円をJR西日本や兵庫県などの沿線自治体が負担し、残る15億円を沿線地域での募金などにより民間が負担した。中間駅のうち、神野駅・厄神駅・粟生駅・西脇市駅の4駅がジェイアール西日本交通サービスによる業務委託駅であり、それ以外の各駅は無人駅である。中間駅には直営駅は存在しない。日岡駅 - 神野駅間で新駅設置の構想がある。( )内は加古川駅起点の営業キロ。

出典:wikipedia

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