価値論(かちろん)とは価値の本質や価値と事実の関係、価値判断の基準などを扱う哲学の一部門であり、最終的には永遠的価値の探求やその確立に繋がるとされる。価値哲学ともいう。経済学では、価値論ないし価値の理論とは、財の交換比率を決定に関する理論をいう。19世紀にカントの影響を受けたロッツェによってはじまり新カント学派の中でも西南ドイツ学派のヴィンデルバントやリッケルトが継承した。ウィンデルバントは哲学を普遍的かつ妥当的な諸価値に関する批判を行う学問に過ぎず普遍的な価値を研究しなければならないとした。また彼は普遍的価値は法律や道徳、宗教などの文化行為により現実化されており文化または文化価値が価値生活の規範であるとも考えた。リッケルトは価値論によって歴史の方法論を基礎づけた。その後価値論はリッケルトの弟子のラスクに引き継がれた。彼は判断の正否または意味の真偽に対し根本的基準を提供するのは真の客観的かつ無対立な価値でなければあり得ないと考え価値論を徹底させた。経済学では、市場取引における財の交換比率を決定するものとして価値を考える。古典派経済学では、価値には、使用価値と交換価値とのニ側面があるとされた。デイヴィッド・リカードやカール・マルクスは、価値を決定するものとして労働量を考えたので、通常、かれらの理論は労働価値説labor theory of valueと呼ばれる。リカードは、しかし、『経済学および課税の原理』の第3版(1821)では、(投入原材料に含まれる労働量や固定資本から移転される労働量と生きた労働量とを含む)投下労働量と価格とがかならずしも比例しないことに気づいており、労働価値説には修正が必要であるとした。古典派経済学の祖といわれるアダム・スミスは、未開社会では労働価値説が成立すると考えたが、文明社会では、地代や利潤を考える必要があるとした。これは、リカードやマルクスによって「価値構成説」として批判された。マルクスは、『資本論』第1巻と第2巻では労働投入量が価値を決めるとしたが、第3巻では、価格と労働価値との不比例性に言及し、より交換価値に近いものとして生産価格を導入した。労働価値と生産価格とがどのような関係にあるかをめぐって、後に転形問題が起き、その論争は現在に及んでいる。マルクス派は、総じて労働価値説をマルクスの価値論とし、それ以外の価値論を価値論と認めない傾向がある。しかし、スラッファの価値は、投入財の価格も修正された生産価格であり、リカードが排除した価格の需給理論とはことなり、生産費が価値を決定するという古典派価値論の基本的性格を維持している。塩沢由典は、スラッファの価値を古典派の価値論として認識しなおすところに経済学再建の鍵があるとしている。1870年以降に登場した新古典派経済学では、価値論ないし価値の理論theory of valueは価格の理論にほかならない。たとえば、ジョン・ヒックスの最初の著作『価値と資本』およびの『価値の理論』は、いずれも競争市場における価格理論である。ただし、価値の理論は相対価格を、価格理論(theory of prices)は価格水準に関する理論と分けて考えられることがある。新古典派価値論の考え方を最初に明確にしたのはウィリアム・スタンレー・ジェヴォンズである。新古典派の経済学者たちは、古典派が供給条件を重視したのに反発して、需要側の主観的な評価が価値を決めると主張した。新古典派の集大成者といもいわれるアルフレッド・マーシャルは、価格は供給曲線と需要曲線の交点に定まる、はさみの二つの刃が噛み合って布を切るとき、どちらの刃がきったというのが意味のないように、需要・供給のどちらがか価値を決めるという主張は、根本的には誤りであるとした。古典派価値論は、基本的に、生産費を基礎にする考え方といえる。また、生産費のような客観的あるいは物の世界で追跡できる費用を中心としている。この意味で、古典派価値論は客観価値説ともいえる。新古典派価値論は、財の効用を中心に考える。財の効用から中間財の効用が定まり、さらに波及して生産要素(土地や労働)などの評価も定まると考える。この意味で、新古典派価値論は主観価値説といえる。資本を将来の予想収益の割引現在価値とする考え方(アーヴィング・フィッシャー)も、予想収益が主観的な期待であることを考えると主観価値説である。
出典:wikipedia
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