杉戸宿(すぎとじゅく)は、奥州街道、日光街道の5番目の宿場町である。江戸時代に整備され、宿場町に設置した。現在の埼玉県北葛飾郡杉戸町中心部に相当する。日光街道の江戸・日本橋から数えて5番目の宿場である。古くから利根川(現・古利根川)の渡し場があり、日本武尊が東征を行った際にこの付近に上陸し、そこが杉の木が茂る港(水門)であったことから杉門と名付けられたとする伝説がある。宿場自体は五街道の整備に伴い、1616年(元和2年)に近郊の郷村を集めて成立した。宿場は街道に沿って町並みを構成し、5と10のつく日には六斎市が開かれ、近郷商圏の中心地となっていた。町中は新町・下町・中町・上宿に分かれ、それぞれに名主や問屋が置かれ、本陣・脇本陣はいずれも中町に置かれていた。1843年(天保14年)の改めによると、宿の往還は、長さ16町55間、道幅は5間、宿内家数365・人数1,663、本陣1・脇本陣2、旅籠屋46(大4・中7)であった。現在の町並みは、都市化の影響をさほど受けていないためか旧家も比較的良く残り、旧宿場街の面影を感じさせる。杉戸宿では、安政2年10月2日安政江戸地震による被害があった。震度は、「ⅤとⅥの 中間,それもVIに近い方とみられー(中略)ーこの地震では、荒川沿いに震度Ⅴ以上の所が北にのび熊谷に達している」。『安政二卯年十月、大地震ニ付潰家其外取調書上帳幸手宿村々』 によると、幸手宿周辺の村々の安政江戸地震の被害の記録があり、杉戸宿は家数589軒に対し、潰数0軒、人家土屋物置等潰同様207軒との被害があったという。
出典:wikipedia
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