羅州市(ナジュし)は大韓民国全羅南道の市。韓国有数の梨の産地として知られ、市のシンボルマークのモチーフともなっている。日本統治時代、羅州に多く暮らしていた内地人が朝鮮人に梨の栽培方法を教えたことに起因する。敗戦後、梨園は韓国人に引き継がれ、現在に至っている。全羅南道の西南部、栄山江流域の羅州平野に位置する。総面積 608平方㎢。北は光州広域市、東は和順郡、南は霊岩郡、西は務安郡、咸平郡と接する。行政区域は1邑 12面 6洞よりなる。2013年末の人口は87,734人。1968年は247,071人であったが、現在に至るまで減少が続いている。2004年に10万人を割った。百済の発羅郡の地で、678年に統一新羅の全国九州設置時にも発羅州となり、757年錦山郡と変わり、903年に羅州と命名された。後三国時代には後百済の領域に入った。高麗時代の983年羅州牧に昇格し、1018年に設置された全国八牧制度でも羅州牧が続いた。羅州は古代から全羅道南部地域の中心で、全羅は全州と羅州を意味するが、観察使が駐在するようになったのは、1895年に二十三府制の施行により羅州府が置かれてからである(同時に牧を郡に変更)。しかし翌1896年には十三道制となることで全羅南道の道庁所在地は光州に置かれ、羅州はその管轄に入った。1914年、羅州郡と南平郡が合併して新・羅州郡が成立し、1931年に羅州面が邑に昇格した。羅州駅にはKTXの一部(一日4往復)と、KTXを除く全ての旅客列車が停車する。KTXでソウル特別市の龍山駅への所要時間は3時間。光州松汀駅へ10分。老安駅・南平駅に停車する列車はない。市内バスでも光州と結ばれている。ほか栄山江流域は5世紀頃の日本式前方後円墳が存在することで有名であり、羅州市内にも伏岩里古墳群、潘南面古墳群、大安里古墳群、徳山里古墳群、新村里古墳群などの古墳群が密集、倭系集団が築いたと指摘される古墳群もある。さらに李氏朝鮮時代の羅州邑城や植民地時代の栄山浦灯台、東洋拓殖株式会社建物、本町通りなどが残る。
出典:wikipedia
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