『夏の花』(なつのはな)は、原民喜の短編小説。自身の広島での被爆体験を基に書いた作品。被爆直後にしたためられていた原の日記(「原爆被災時のノート」)をもとに、1945年11月までの数ヶ月の間に、避難先の広島県佐伯郡八幡村(現在の広島市佐伯区東部)で執筆された。原題は「原子爆弾」であった。最初『近代文学』創刊号に掲載される予定であったが、GHQの検閲を考慮し、1947年6月号の『三田文学』に発表された。また原の承諾の上で、被爆者の描写などいくつかの箇所について削除がなされ、題名も一見戦争とは関連性が薄い「夏の花」と改められた。発表後、1948年の第1回水上滝太郎賞を受賞した。この作品に続いて発表された「廃墟から」「壊滅の序曲」の2作品とあわせて「夏の花三部作」と称された。1949年2月には、三部作の他に小説3作品や詩1編、エッセイなどを収録した単行本『夏の花』が能楽書林から刊行された。しかしこの時点でも初出時の削除部分は欠落したままであり、原の原稿をもとに作品が完全な形で公表されたのは、彼の死後1953年3月に刊行された『原民喜作品集』(角川書店版)においてであった。私は亡き妻と父母の墓に、なんという名称か分からないが、黄色の可憐な野趣を帯びた、いかにも夏らしい花を手向けた。その翌々日、街に呪わしい閃光が走り、私は惨劇の舞台に立たされる。川に逃げ、次兄と出くわす。次兄と上流へ遡って行く際に、私は、人々の余りにも目を覆う惨状を目の当りにする。やがて、私と次兄は甥の変わり果てた姿を確認する。次兄の家で働いていた女中も落ち合い、一緒に避難する。彼女は赤子を抱えたまま光線に遭い胸と手と顔を焼かれていた。「水を下さい」と哀願し続け、一か月余りして死ぬ。Nはトンネルの中であの衝撃を受ける。妻の勤めている女学校に向かい、次に自宅、更に通勤路を辿ってNの妻を捜した。死体を一つ一つ調べたが、妻の姿を見出す事は出来なかった。主人公である「私」を含め、ほとんどの登場人物は、最後まで名前は明かされない。「私」の親族は、後出の被爆死した甥「文彦」唯一の例外として、「私」との続柄で記されている。その他の登場人物は、ごく一部がイニシャルで名前を記されているほかは被爆後に出会った人々など、すべて無名の人物である。原爆被災直後の広島市内を中心に物語が展開されるため、作品中には広島市民にとってはなじみ深い地名が多く登場する。本作品を収録する主要な文庫本を示した。いずれも「三部作」を収録作品の中心にしている。
出典:wikipedia
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