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ジョニー・ウォーカー (プロレスラー)

ジョニー・ウォーカー("Rubberman" Johnny Walker、1940年 - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー。サウスカロライナ州チャールストン出身。生年は1938年ともされる。正義派の覆面レスラー、ミスター・レスリング2号(Mr. Wrestling II)での活動で知られる。1970年代から1980年代初頭にかけて、南部のNWAジョージア地区(ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング)を主戦場に、当時のアメリカでは珍しい覆面のベビーフェイスとして人気を博した。パット・オコーナーらのトレーニングを受け、1956年に後年の居住地でもあるハワイにてデビュー。以後、"ラバーマン" ジョニー・ウォーカー("Rubberman" Johnny Walker")のリングネームでカナダのトロントやテキサスのダラスなどを転戦、1960年代初頭はWWWFの前身団体であるNWAノースイースト地区のキャピトル・レスリング・コーポレーションでも活動した。1960年代後半からはテネシーのNWAミッドアメリカ地区を主戦場に、同地区認定のローカル・タイトルを再三獲得している。1969年11月には日本プロレスの『NWAシリーズ』に初来日。当時のNWA世界ヘビー級王者ドリー・ファンク・ジュニアをはじめ、ダニー・ホッジ、ハーリー・レイス、ブル・ラモスらビッグネームが参戦した同シリーズにおいては目立った活躍は残せなかったものの、ラバーマン(ゴム人間)の異名通りの柔軟な体を駆使したクラッチ技を披露し、中堅どころの日本勢を翻弄した。1971年、エディ・グラハムが主宰するNWAフロリダ地区で覆面レスラーのザ・グラップラー("The Grappler")に変身。3月23日にレネ・グレイから南部ヘビー級王座を奪取し、飛躍のきっかけを掴む。後に素顔に戻り、1972年6月24日にはボリス・マレンコと組んでフロリダ・タッグ王座も獲得した。また、フロリダでは本家ミスター・レスリングのティム・ウッズとも邂逅している。1973年、再興したジョージア・チャンピオンシップ・レスリング(GCW)では興行の目玉として人気マスクマンのミスター・レスリング(ティム・ウッズ)の招聘を計画していたが、当時フロリダでトップスターだったウッズはスケジュール調整が困難だったため、「第2のミスター・レスリング」を新規にプロデュースしてジョージアに登場させることになった。打診を受けたフロリダのエディ・グラハムは、同じく覆面レスラーとして活動し、ウッズとの対戦経験もあるウォーカーをGCWに紹介。以後、ミスター・レスリング2号("Mr. Wrestling II")に再変身したウォーカーは、少年ファンのヒーローとして大ブレイクを果たすことになる。GCW登場後の同年3月2日には、空位となっていたNWAジョージア・ヘビー級王座の争奪トーナメントに優勝し、新王者となる。以降1980年1月にかけて、ビル・ワット、ロン・フラー、バディ・コルト、アブドーラ・ザ・ブッチャー、ニコライ・ボルコフ、ディック・スレーター、スタン・ハンセン、マスクド・スーパースターらを破り、GCWのフラッグシップ・タイトルである同王座を通算9回獲得した。また、ティム・ウッズともミスター・レスリング1号&2号としてタッグチームを結成し、ジ・アサシンズやミネソタ・レッキング・クルー(ジン・アンダーソン&オレイ・アンダーソン)とジョージア・タッグ王座を争っている。NWA世界ヘビー級王座にも再三挑戦しており、専門誌のモースト・ポピュラー部門のレイティングでは常に上位にランクされるなど、ジム・バーネットの主導で全米有数の繁栄マーケットとなったGCWの隆盛を支えた。GCWを主戦場とする一方、南部エリアの各テリトリーにも参戦し、1979年2月16日にはアーニー・ラッドからミッドサウス地区の北米ヘビー級王座を奪取。古巣のフロリダでは1981年12月にザ・スポイラー、1982年4月にJ・J・ディロンを破り、フロリダ・ヘビー級王座を獲得している。1983年にジョージアを離れ、ビル・ワットの主宰するMSWAに転出。一時的にヒールのポジションに回り、1984年にジャンクヤード・ドッグやマグナムTAと北米ヘビー級王座を争った。同年10月より、ベビーフェイスに戻ってWWFに登場。アイアン・シーク、グレッグ・バレンタイン、ブルータス・ビーフケーキ、アドリアン・アドニス、カウボーイ・ボブ・オートン、ランディ・サベージ、ブレット・ハートらと対戦し、1985年11月25日にはニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンにてテリー・ファンクとの「NWA対決」も行われたが、WWFでは活躍の機会に恵まれず、1986年初頭に離脱した。以降はアラバマのコンチネンタル・チャンピオンシップ・レスリングを経てインディー団体を転戦後、1980年代末に引退。1993年にはWCW殿堂に迎えられている。引退後はハワイのホノルルに居住し、2006年より現地の団体のヘッド・トレーナーを務め、試合にも時折出場していた。2007年10月13日にはミスター・レスリング3号ことスティーブ・コリノと組んで同団体認定のタッグ王座を獲得している。2008年8月に脳卒中を患ったが、その後回復。2012年にはNWA殿堂に迎えられている。全盛時はNWAルートで全日本プロレスへの参戦が有力視されたものの、人気選手としてアメリカで多忙だったこともあり、ミスター・レスリング2号に変身後の来日は実現しなかった。

出典:wikipedia

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