白 仁天(はく じんてん、ペク・インチョン、、1943年11月27日 - )は、韓国出身のプロ野球選手(捕手、外野手)・監督。韓国人プロ野球選手の草分けであり、韓国プロ野球界の重鎮。韓国の京東(キョンドン)高校から韓国農業銀行を経て、に東映フライヤーズに捕手として入団。当時の野球協約では、入団時に外国籍でも出生時に日本国籍を持っていた選手を外国人扱いとしない規定だった事から、日本人扱いとなる。日本で野球の勉強をするというつもりだったが、入団時の触れ込みは『韓国球界が生んだ最強捕手』。韓国側では外国在勤者として兵役を免除した(のちに方針変更、詳細は後述)。に初出場。翌年からレギュラーに定着し、三振の少ないシュアな打撃で活躍。からは外野手に転向した。1970年5月23日の対近鉄戦で、ルーキーの太田幸司との対戦に際どい球で三振と判定されたことに激高、元ボクサーでアクションジャッジで有名だった露崎元弥球審と大立ち回りを演じ暴行で退場となる。2日後に同球審より暴行傷害の罪で刑事告訴されたが、これはプロ野球史上初の出来事であった(28日に和解成立・白事件)。チームが日本ハムになった翌年のに東田正義との交換トレードで、太平洋クラブライオンズに移籍。同年は打率.319で首位打者を獲得(日本プロ野球史上初となる「規定打席ちょうどの首位打者」でもある)し、ベストナインにも選出された。に安木祥二と共に、長谷川一夫、倉持明と交換トレードでロッテオリオンズに移籍。に近鉄バファローズに移籍し、同年限りで退団。20年の長きにわたり日本球界で活躍した。に発足した韓国プロ野球のMBC青龍に入団。同年に選手兼任監督(指名打者)として打率.412をマークし、初代首位打者を獲得。この記録は現在まで韓国プロ野球史上シーズン最高打率で、また彼は韓国プロ野球史上唯一の4割打者である。に、韓国で姦通罪で逮捕された。このため、シーズン途中でMBCの監督職を解任、選手としては同球団から放出された。釈放された後は、三美スーパースターズに移籍。選手兼任打撃コーチを務め、に現役引退。現役引退後、5年間現場を離れていたが、からまでLGツインズの監督として復帰。1990年にはリーグ優勝に導いた。からまで三星ライオンズの監督を務めるが、1997年シーズン中に脳出血で倒れた。一時休養の後、復帰したが、体調が戻らずシーズン途中で監督職から退いた。からまでロッテ・ジャイアンツの監督を務めるが、成績不振で2003年シーズン途中解任され、再び現場に復帰することはなくなった。ロッテの監督を辞任した後は、個人事業を営みながら、解説者の活動を並行するが、2007年に突如健康が悪化、休養した。2008年より、読売ジャイアンツのホームゲーム韓国放送権を確保したSBSスポーツチャンネルと3年間の専属解説委員契約を結ぶ。李承燁の視察の為、毎年巨人の春季キャンプを訪れている。2009年、日本の外務省の外郭団体である日韓文化交流基金よりプロ野球を通じた日韓交流と友好親善への功績が評価され、同団体より日韓の文化交流に貢献のあった韓国人に贈られる「日韓文化交流基金賞」を受賞した。高校卒業後、明治大学の島岡吉郎監督に誘われて、留学を希望していたが、当時の日韓間の関係や兵役を終えていないことが理由でかなわなかった。東映は日本の韓国大使館などに働きかけ免除を継続してもらうよう要請したが、結局帰国命令が出たため12月に日本に妻子を置いたまま帰国、翌1971年5月1日に復帰した。実際兵役に就いたのかについては再来日直後に口ごもりながら「軍隊には行かなかった。兵役検査も受けなかった」と述べ、約5カ月間、父親が経営を始めた牧場の手伝いと体調を崩していた母親の看病をしていたとし、日本へ戻るのが開幕1ヶ月後になったのは期限切れのビザの再発行手続きを韓国側がなかなかしてくれなかったためと説明した。韓国政府が「軍隊に行かず日本で野球をしている」という韓国内の批判をかわすために白を一時帰国させて表向きは軍にいたように見せかけ、日本へ戻すにしても開幕に合わせて戻したのではあまりにも露骨なため、時期をわざと遅らせたのが真相といわれている。なお同年の成績は前年からは大きく下落したが、「事情が事情だけに今回は特例」という球団側の情状酌量で年俸は現状維持に据え置かれた。1967年7月19日の対近鉄戦で逆転サヨナラスリーランを打つも前のランナーを追い越してしまいホームランを取り消され、おまけに延長戦の末、チームは負けてしまった。また白をよく可愛がっていた張本勲が守備練習中にお世辞にも上手いと言えない白の一塁守備を褒めたところ、三塁手から送球が来たにもかかわらず白はクルリと回ってお礼を言ってしまい、顔にボールが直撃してしまったと言われている。東映時代、ある試合で南海の野村克也の囁き戦術への対抗策として、耳栓をして打席に入った。しかしそれを見た野村から、投手との勝負が二の次になって勝機ありと見られ、結局内野フライに打ち取られた。日本プロ野球では日本人扱いとなっているが、韓国籍で韓国の学校を卒業しているため通算成績を外国人扱いにしてほしいと2009年に『野球小僧』のインタビューで語っている。
出典:wikipedia
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