第1空挺団(だいいちくうていだん、JGSDF 1st Airborne Brigade)は、陸上自衛隊の団のひとつで、自衛隊唯一の空挺部隊。中央即応集団隷下で千葉県船橋市の習志野駐屯地に団本部を置く。部隊の標語は「精鋭無比」。陸上自衛隊唯一の特殊部隊である特殊作戦群の母体ともなった。第1空挺団は空中機動作戦、即ち航空自衛隊の輸送機(C-1・C-130H)からの落下傘降下による空挺作戦(エアボーン作戦)と、陸上自衛隊のヘリコプターを使ったヘリボーン作戦を展開する能力をもった空挺部隊である。また、各国軍の空挺部隊と同様、精鋭軽歩兵としての位置付けがなされている。そのため、正規軍相手の防衛作戦以外に、ゲリラコマンドの潜入に対して即応することを要求されている。長らく東部方面隊隷下ではあるが、防衛庁長官直轄の機動運用部隊と位置付けられてきた。その後、2007年、高い即応性を持つ機動運用部隊として創設された中央即応集団の隷下に編成替えとなっている。第1空挺団の事実上の前身は、太平洋戦争(大東亜戦争)緒戦の南方作戦(蘭印作戦)のパレンバン空挺作戦などで活躍し、「空の神兵」と謳われた帝国陸軍挺進団(第1挺進団・第2挺進団・滑空歩兵連隊・挺進飛行団:第1挺進集団)である。第1空挺団は、初代空挺教育隊長を務める衣笠駿雄元陸軍少佐(第1空挺団初代団長)に率いられ、帝国陸軍挺進団の元隊員らから構成される第1次研究員20名によって創設された。2008年(平成20年)4月、現在の空挺団の編制は団本部および団本部中隊(自由降下課程を修了した隊員を中心とする降下誘導小隊、偵察小隊で編成され、先遣降下を任務とする)を中心とし、3個普通科大隊、特科大隊、通信中隊、施設中隊、後方支援隊(隊本部、整備隊、輸送小隊、衛生小隊、落下傘整備中隊)となっている。定員は1,900人。1999年(平成11年)、海外における邦人保護を目的とした50人規模の「誘導隊」が第1空挺団内にローテーション編成された。ほかに空挺教育隊があり、空挺隊員の育成はそこで行っている。なお、1975年(昭和50年)当時の隊員数は1,350人で、編制は団本部、普通科群、特科大隊等であった。第1空挺団は、様々な大会に出場し、嘗ては上位入賞の好成績を挙げていた。実際に、富士山で行われる富士登山駅伝では、滝ヶ原自衛隊(富士教導団普通科教導連隊など)と毎年優勝争いをしていた。また自衛隊内での交流試合や大会などにおいても常に優勝していた。近年では、銃剣道は初戦敗退等衰退が著しい。またラグビー部は関東社会人リーグ1部に所属している。駐屯地の住所は千葉県船橋市薬円台であり、船橋市習志野台や習志野市ではなく、駐屯地名とその住所は一致しない。駐屯地の名は、かつて付近一帯が習志野と呼ばれていたことに由来する(明治天皇が1873年(明治6年)4月の陸軍演習行幸後、指揮官の篠原國幹陸軍少将を皇居に呼び、演習した土地を「習志野原」(「篠原に習え」の意味。正しくは「倣え」)と命名した。駐屯地は国道296号(成田街道)沿いの船橋市と習志野市に隣接する住宅地の真ん中にあり、演習場の半分以上は八千代市高津となっている。また演習場の南側一部の境界はそのまま習志野市と八千代市との境界になっている。最寄駅は新京成線習志野駅、または東葉高速線八千代緑が丘駅。
出典:wikipedia
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