服部 雄節(はっとり ゆうせつ、享和2年(1802年) - 天保13年(1843年)は、江戸時代の囲碁棋士。安井知得仙知門下、服部因淑を継いで服部家二世となった。元の名は黒川立卓。七段。御城碁6局を務めた。安知得仙知門下となり、文政2年(1819年)に初段。翌年三段。当時、服部因淑の養子だった服部立徹(井上幻庵因碩)が井上家養子となったため、文政3年に因碩の推薦により服部家養子に迎えられる。天保3年(1833年)五段の時に御城碁初出仕。天保9年まで御城碁6局を務め、その間六段に昇段し、後七段。幻庵因碩の弟子の加藤正徹を養子とし、天保13年に雄節が没すると、正徹が服部家を相続した。天保6年の松平家碁会では、林元美と対戦した(先番中押負)。天保4年の知得戦に、関山仙太夫「雄節の技柏栄より勝れり然るを仙知如此打つ愈妙なり」の評がある。
出典:wikipedia
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