ホビーパソコン("Hobby Personal Computer")とは趣味や嗜好、娯楽などのために供されるパーソナルコンピューター(パソコン)の総称である。1980年代〜1990年代中頃はまだまだ本格的なパソコン(ここでは、PC-9800シリーズなどの1980年代における位置付けを指している)は高価だったため、ホビー用途に的を絞った安価なパソコンも比較的多く発売され、普及していた。英語圏には、Apple IIなどを代表とする"home computer"()という語およびカテゴリがあるが、日本で巷間言われる「ホビーパソコン」と必ずしも一致するわけではない(また日本では輸入品としてApple IIなどは高かったという事情により、同機の位置付けも少し違うという面もある)。ホビーパソコンは、個人が家庭などで趣味や嗜好、娯楽のために利用していたパーソナルコンピュータ製品である。事務処理などといった実用面よりも、娯楽性や玩具として弄り回されることを前提としており、その多くでは当時のコンピュータ製品の中でも、取り分け安く低性能な部類(廉価版)に含まれる。これらの所有者はその趣味性にも拠り、限られたリソース(ハードウェアの能力・資源)の中で如何に楽しむかを模索した。当時家庭向けのコンピュータは、実用性や利便性はともかくとして、さまざまな未来的可能性を感じさせる、目新しい玩具として販売され利用されていった。今日のパソコンでも、テレビ受信機の機能が標準で搭載されたり、高性能な音声出力機能により楽器としてDTM等に利用されたりする物などが、これらに分類されると推測される。しかしこれらは既存の汎用のパソコンに必要なオプションハードウェアを搭載したり必要なソフトウェアをインストールすれば、たいていのパソコンで同様の機能が追加できることから、相互の差は余り明確ではない。古くは、BASICなどの高級言語でコンピュータプログラミングを行い、雑誌上などのプログラムの腕を競い合う場も多かったことから、「趣味のプログラミング」を行う環境にも利用されていた。これら趣味のプログラマーの中には、後に商業プログラマーとなった人も少なくはないとみられる。販売ルートとして当初は、ワンボードマイコンの延長としても扱われたことから、電子部品などを扱っていた無線機販売店のほか、電器店や家電量販店の走りともなったディスカウントショップやホームセンターなどで主に扱われた。次第に「一般向けのパソコン」という地位を築き始めると、いわゆる「パソコンショップ」などの専門店も出るようになった。ただ専門店化では、最初は無線機販売店などが店舗を分ける形も多かったため、現在でも秋葉原界隈のパソコン専門店には屋号に「無線(ムセン)」とつく所も見られる。日本国外では、ホームコンピュータが一般家庭向けに販売されるようになったのは、マイクロプロセッサの大量生産が可能になったことが背景にある。名前の通り家庭でのホビー向けである。これはまた、それまでのマイクロコンピュータと呼ばれていたはんだ付けをして組み立てる必要のある基板むき出しのコンピュータと区別する意味もあった。北米では1980年代の終わりと共に、ヨーロッパでも1990年代初めに、更に日本でも1990年代半ばのWindowsブームの頃にはホームコンピュータ時代は終わりを告げ、PC/AT互換機の時代となった。1980年代から1990年代初頭にあっては、パソコンは家庭向け・ホビーユースの物と、事務や製図・各種制御用に用いられる物とにはっきりと分かれており、家庭向けを意識した製品では、高性能なCPUによる高速な計算能力や、潤沢なメモリやハードディスク装置の搭載といった多くの記憶容量よりも、FM音源による豊かな音楽表現や、多くのVRAMやスプライト機能・ハードウェアスクロール等による表示機能を強化したものに人気が集まった。8ビットパソコンの時代では、中でもコンピュータゲームでの表現力の強化がユーザーに強く望まれていたため、それに特化した製品はよく売れている。これらの中にはパソコン御三家と呼ばれたパソコンの中でも、FM音源を標準的に搭載した後期機種が人気を集め、日本でのパソコン市場の寡占化を発生させた。この時代には家庭用ゲーム機は、子供の玩具と見なされ、あまり高価な製品を買う人もおらず、また子供の玩具にはさほど市場性もないと考えられていたため、メーカー側も敢えて高価で高性能な機種は開発せず、安価で低機能な製品を発売、消費者もそれに満足していた。中には今日以上に高価な製品を投入したメーカーも在ったが、それらは大きなブームを興せず終わっている。この時代を通して、特に高価で高性能なゲーム機を求める、経済的にも余裕のある向きは、おおむね家庭向けのパソコン=ホビーパソコンを購入することで満足していた。またこれらホビーパソコンには、個人経営の小さな所から、今日の家庭用ゲーム機向けゲームソフト制作メーカーの興りとなった企業まで、さまざまなソフトハウスより、多種多様なゲームが発売されていた。この時代にはこれらホビーパソコンが、青少年向けの高価な玩具だったことからエロソフトと呼ばれる性的興奮を目的とした物も発売されるにいたって、家庭用ゲーム機との明確な市場性の違いも発生した。その一方で、今日では普遍的に利用されているDTMにも、早い段階からその可能性に注目し、利用する人もあって、メーカー側から同種の用途に即した機種も発売されている。長らくは「そこそこの低価格」で「家庭用ゲーム機を凌ぐ性能」を持っていれば売れたため、8ビットパソコンであることが多かったが、後に家庭用ゲーム機も高性能化が始まった辺りから、16ビットパソコンへの変更が始まった。この時代には、8ビットパソコン時代の資産が完全に切り捨てられたため、古い機種の愛好者等は、従来のソフトウェア資産を利用するために、旧式な機種をいつまでも保管しておくなどの対策に走った。今日では、これら旧時代の資産を活用するために、現在のWindowsやMacintoshのパソコンなどでこれら資産を実行するエミュレータの開発が、一部マニア間で盛んである。8ビット機全盛時代には雑誌や入門書に各機種向けBASICや機械語のプログラムソースコードが掲載され、ユーザーが自分で入力して楽しんでいたが、8ビットパソコンにフロッピーディスクドライブが標準搭載され、やがて16ビットパソコン時代を迎える頃にはBASICではまったく性能を活かせず、機械語のプログラムソースコードは膨大な量となり、それを入力するという行為自体が成立しなくなった。その頃にはパソコン通信が普及し、プログラムは電話回線を通じて送受信されるようになった。主なメーカー別に、それぞれの主要な機種シリーズを列記する。日本国内では、日本電気(NEC)・富士通・シャープの3社が特に覇権を争った。日本国内市場での「パソコン御三家」と呼ぶ場合、NEC、シャープの他を、富士通とするか日立とするかは議論があるが、ホビーパソコンとしての普及率で言うなら、上記の三社が中心となる。同社製品は販売台数、扱いやすさ、普遍性などから、日本の代表的なパソコン製品シリーズだった。そのため研究開発の現場からビジネス、そして個人のホビーまで、そのユーザー層は幅広かった。シリーズ型番に共通して付く「PC」は「パーソナルコンピュータ」の略であり、当時「マイコン」と呼ばれていたこれらの民生用コンピュータの呼称を「パソコン」と定着させる一因ともなった。当時は「パソコン」といえば「NEC(PC)」であり、それほどまでの影響力を持っていた。アメリカを中心とする欧米では、家庭用の趣味に供されるパソコンの市場に、メインフレームなどを製造していた大手コンピュータメーカーは関心を示さず、新興パソコンメーカーの独擅場となっていた。カンブリア紀の種の爆発のごとく、多数の新しいマシンが生まれては消えていった。中には長く愛されたマシンもあり、現在でもファンが活発に活動している機種もある。また、近年ではこの時代のマシンを収集するホビーストもいる。結局、ホームコンピュータはPC/AT互換機と新世代のゲーム機に分岐していった。多くのホームコンピュータはその特徴が似ている。安っぽいキーボードとテレビに接続して20 - 40行の表示をする。記録媒体としてどこにでもあったカセットテープを使うか、時には本体よりも高価なフロッピーディスクドライブを使った。後者は内部機構が本体よりも複雑なため、製造コストがかかり、結果として本体より高くなる場合もあった。ホームコンピュータは子供がいる中流家庭をターゲットと想定しており、その購買層に買ってもらうために徹底的にコストダウンを図り、結果として非常に安っぽいものになっていた。現在のパーソナルコンピュータはオペレーティングシステム(OS)が必要だが、ホームコンピュータの多くはOSの代わりにBASICインタープリタをROMに内蔵していた。これらホームコンピュータの多くは8ビットマイクロプロセッサを使用し、主にモステクノロジーの6502かザイログのZ80が使われた。ただホビー用途とはいっても、フロッピーディスクが普及し始める頃になると日本語環境の整備が遅れ足を引っ張った日本のホビーパソコンとは違い、ASCII文字のみで作文が可能なこともあり、実用的な英文ワードプロセッサとして、タイプライターの代用品としても利用されていったなどの事情も垣間見られる。
出典:wikipedia
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