竹槍三百万本論(たけやりさんびゃくまんぼんろん)とは、日本陸軍軍人である荒木貞夫が行った、竹槍が300万本あれば日本の防衛は可能とする主張のことである。竹槍の本数については資料により異同があり、3万~3000万の範囲でばらつきが見られる。荒木は「竹槍将軍」とも呼ばれ、竹槍に絡めた発言を頻繁に行っている。中でも1933年10月、当時陸軍大臣を務めていた荒木が外人記者団とのインタビューの際に語ったとされる「竹槍三百万本あれば列強恐るるに足らず」という発言はよく知られている。また遡ること3ヶ月前の7月には、視察に向かう高崎行きの列車車中で「国防財政上どうしても必要の金も出せないというなら、陸軍は竹槍を300万本も作ってくれるならそれでもよいと思っている」と語っている。荒木の一連の発言に対する解釈はさまざまであるが、戦後においては当時の日本陸軍の非科学性と精神論を象徴する発言として取り上げられることが多い。一方で、この竹槍発言はデマであり、荒木は実際には科学を重視していた、とする反論もある。また石橋湛山は1944年、『大陸東洋経済』誌において、荒木の発言は参謀本部員当時に部内で行われた戦術研究の結果を踏まえたもので、全く根拠のないものではなく、また竹槍以外に武器は必要ないとするものでもなかったと主張し、戦後も同様の主張を展開した。太平洋戦争後半、戦局が悪化し、本土決戦が叫ばれるようになると、大本営陸軍部は『国民抗戦必携』と題した冊子において「銃、劍はもちろん刀、槍、竹槍から鎌、ナタ、玄能、出刃庖丁、鳶口に至るまでこれを白兵戰鬪兵器として用ひる」と述べ、竹槍や刃物による抗戦(=白兵戦)は現実の選択肢となった。しかし1945年8月、日本はポツダム宣言を受諾し、本土決戦に至る前に終戦を迎えた。実際にはダウンフォール作戦が実行されていた場合、海岸線の防衛が固められていないため、ノルマンディー上陸作戦の逆パターン(上陸部隊の銃撃により日本の国民義勇隊は為す術もなく全滅)になっていた可能性が高い。
出典:wikipedia
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