直接民主制(ちょくせつみんしゅせい)とは、代表者などを介さずに、住民が直接所属する共同体の意思決定に参加し、その意思を反映させる政治制度である。対になる概念として間接民主制がある。現在、ほとんど全ての国が間接民主制だが、ハンガリーのインターネット民主党のように、昨今の技術革新を積極的に活用することで直接民主主義への回帰を目指す政党も存在する。一般的には国民の国政に対する直接参加を指すが、広義においては地方自治体などの都市単位の決定を含む。また、国民投票の制度だけが直接民主制と考えがちだが、直接民主制の原理は『国民発案(イニシアティブ)』、『国民解職(リコール)』、 『国民投票(レファレンダム)』の3つの要素の集合である。直接民主制の起源は、紀元前800年ごろの古代ギリシアの民主主義政治である。政治参加資格のある国民、住民、市民などが直接議論し決定を行っていた。当時の主な利点には、有権者全員が参加したため、公開性が高く、最新の住民意思が直接反映され、決定の正統性も当時の基準では、高い水準にあったと考えられる。その反面、解読された古代ギリシア語から、主な難点として、全員が集合し議論する時間・場所・費用などの負担、特に専門的分野での知識経験の不足、個々の時点で相反する決定をするなど継続性への不安、いわゆるポピュリズムに陥る懸念、などがあったことが明らかにされてきた。紀元前1200年ごろには、古代ギリシアの都市国家や共和政ローマの民会などがあり、18世紀にジャン=ジャック・ルソーは直接参加型民主主義のみを「真の民主主義」と考えた。17世紀から、スイスでは、スイス連邦議会(国会)の決議や、国民が作成した法案ついて、国民自らがイニシアチブ(国民発議)を行使し、レファレンダム(国民審議と国民投票)によって、その是非を決する参政権が広く浸透している。イニシアチブは、議題の内容を問わず、年間500件以上行われている。一方で、地方自治における直接民主制(ランツゲマインデ)は、26州のうち、2つの州でしか行われていない。19世紀中期の、主にヨーロッパ諸国では、間接民主主義である議会制(代表制、代議員制)を採用し、重要な決定に限り国民投票や住民投票まど、直接民主主義を応用した政治と制度が用いられるようになった。日本国憲法では憲法改正には国民投票が必要である。日本では地方自治法第94条及び第95条による規定により、「町村総会」の設置が認められており、八丈小島にあった宇津木村(東京都)では1955年(昭和30年)に八丈村と合併するまで村議会が置かれずに直接民主制による村政が行われていた。また旧制度の町村制の施行下における神奈川県足柄下郡芦之湯村(現在の箱根町の一部)の事例で村議会が置かれずに直接民主制による村政が行われていた。また、デモ活動などの直接的示威行為をも含む、といった巨視的な考え方もあった。なお、かつてのリビアは、直接民主制(ジャマーヒリーヤ)を標榜していたが、実質的には独裁国家であったと解釈されている。古代アテナイで採用されたように民主主義の原点であり、議会選挙など最初の段階で直接民主制の正統性に依存する間接民主制と比較して、その決定には高い正統性が得られる。制度の構造が単純で、国民の数が非常に少なくても運用できる。また、選挙制度などで制度が歪められる余地が少ない。賛否が分かれる議案では、直接民主制では50%以上の支持を得た案が採用される。しかし間接民主制(特に小選挙区制)では、50%以上の支持を得た人間が選挙で議員となり、議会では議員の50%以上の支持を得た案が採用されるため、理論的には1/4程度の意見が全体の意思決定ともなりうる。また直接民主制では、各時点の各課題への民意が直接に反映される。しかし間接民主主義では、選挙時の公約などと、当選後の議会での審議や議決の間には状況の変化などの時間差があり、また当選後に意見を変更する事が可能である。その一方スイスでは、国政レベルだけでも年に3~4回の国民投票に見舞われており、、世界でも有数の治安の良さをスイスは維持している。一方スイスは議会制民主主義国家かつ先進国であり、日本と同様に、自分とは桁違いの力を持つ国家に挟まれ(スイスなら、フランス・ドイツ。第一次大戦まではイタリア・オーストリアも加わる。日本なら、中国・ロシア・アメリカ)、しかもそれらの脅威を、。そして日本との類似性に比べれば、古代ローマ帝国やローマ教会の支配に属するなど共通の歴史・文化を持ち、現在では英仏海峡トンネルにより鉄道で結ばれているイギリス・スイス両国との類似性は、同一国家のそれに準ずる(欧州統合)。国民投票や住民投票が終了しても、「賛成派」と「反対派」の対立が続き、内乱や暴動が発生する危険性がある。具体的な事例としては、2014年6月にスコットランドで、イギリスからの独立を問う国民投票が行われたが、開票の結果に不満を持つ市民が暴徒化し、内政は不安定な状態に陥った。また、2016年6月に行われた「欧州連合に残留するか・離脱するか」の国民投票では、離脱に反対していたジョー・コックス下院議員が、対立する団体により殺害された。さらに、6月23日の開票直後にデーヴィッド・キャメロン首相が辞意を表明したものの、スコットランド自治政府は開票結果に同意せず、国民投票を行う手続きに入った。これにより、イギリスは国家存続の危機()に直面することとなった。なお、イギリスは島国であり、議会制民主主義を採用している先進国であることから、日本との類似点も多い。直接民主制は代表者の数が国民と同数で、全国1区・足切りなしの比例代表制の選挙制度を持つ間接民主制と等しく、この制度で代表者に当選するのに十分な最低得票数はわずか1票である。このため、どんなに小さな政党も代表者を送ることが保証される(ただ1人の国民が1党となりうる)ので、直接民主制は小党乱立の極限状態になる。このため、どの政策を行政府が採っても、過半数の支持を得られず成立できない法律が理論上必ず出るため、政策の一貫性を保てず、政治の混乱を引き起こす。間接民主制では、党議拘束の存在や足切り条項の付加・区割り・小選挙区制の採用などにより、比例性を歪めて小党乱立を回避できる。しかし、比例性が破れると代表者の集団から直接民主制の代替機能が損なわれるため、民主主義としての正当性を損なう。かといって、比例性を維持すると、直接民主制と同様にこの問題にぶつかる。しかし、政府の代表者を直接民主制で選ぶ制度(大統領制)を運用し続ける国が少なくないことを考えると、小党乱立でも政治的混乱は防げることが分かる。選択肢から「否決」などを省き、代替となる最高意思全てを立候補させた多数代表の方法で議決すれば、小党乱立による政治的混乱を防ぐことができる。ヴァイマル憲法の反省を生かしたボン基本法では、議会が政府・首相を不信任するためには、代替となる首相の選出を議会は完了していなければならない。国土や国民の肥大により、全ての国民が1ヶ所に集まると多大な犠牲が生じるが、この問題はインターネットの発達により解決する目途がある。しかし、人間の情報処理能力の限界から、すべての国民の意見を聞くことは誰でも不可能であり、意見交換をしていない国民同士の組み合わせがかならず残る。このため、すべての国民が納得するまで議論を練り上げることは不可能である。間接民主制では全ての代表者が納得するまで議論を練り上げることが可能なように、代表者の数を調整できる。しかし、国民レベルでは直接民主制と同様である。マスメディアが間接民主制での代表者の議論と同じ役割を担うことがある。直接民主制に於ける意志決定には多数決が用いられるのが一般的であり、検討された各意見の支持者数を不正無く集計する必要がある。古代ギリシアなどの都市国家などでは、すべての国民が同時に1箇所に集まり、彼らの目の前で作業を行なうことで、不正の少ない集計を行なっていた。しかし、現代の多くの国家ではすべての国民が同時に1箇所に集まり多数決を行う事は困難である。間接民主制であれば、全ての議員が同時に1箇所に集まれる様に、議員数を調節することが出来る。しかし、国民レベルでは直接民主制と同様であり、戸籍制度などが整っておらず正確な有権者名簿を作成できない所では多重投票が、開票作業の住民への公開レベルが低い所では投票用紙の追加・破棄などの不正が生じる。また二重投票や不正投票を防止するための有権者名簿などの整備は、間接民主制と同様に重要となる。このため現代の多くの国家では、間接民主制を基本としながらも、特に重要な議案に限定して国民投票や住民投票などの直接民主制を併用している。しかし1990年代以降はインターネットなどの情報技術の進化を使用したE-デモクラシーによる、直接民主制の復活も主張されている。ただし、秘密投票の原則を維持しつつ電子投票を行なう機器の内部動作を監視するのは、機器にアンチスパイウェア技術を適用するのと同等であり、大きな体制で開発されたスパイウェアだと、業界トップレベルの専門業者でも防ぐのは難しい。住民どころか選挙管理委員すら、アンチスパイウェア技術をはじめとする電子機器に関する技術を持たない現状では、秘密投票の維持は絶望的である。日本に於いては、多くの国民が高度な電子機器を扱う能力を持つにも拘らず、折り曲げて投票箱に入れられたものが時間がたつと自然に開くようになっている特殊な紙を投票用紙に用いて開票作業を容易にするなどの改良を加えながら、投票者の筆記による投票システムを使い続けている。アメリカ合衆国大統領を務めたジェームズ・マディソンは「直接民主制においては、弱小の党派や気に入らない個人を切り捨ててしまおうという誘惑を抑えるものは何もない。それゆえに直接民主制国家は混乱し、個人の生命や財産権と両立せず、短命で、その死滅に際しては暴力を伴ってきた」(ザ・フェデラリスト)と述べて、直接民主制における、多数派による少数派の権利の侵害を警戒し間接民主制を擁護した。
皮肉な事に、マディソンの下で副大統領を務めるエルブリッジ・ゲリーは、マサチューセッツ州の知事に就いていた1812年に、自分の所属する政党に有利なように選挙区を区割りした人物だった(ゲリマンダー)。同年1812年に彼は落選して少数派となっていたので、「多数派から少数派の権利を守る」間接民主制の機能を、その目的に沿って彼は活用した事になる。また、その後も議会制民主主義を継続していくにも関わらず、南北戦争後に公民権を得たアフリカ系アメリカ人の権利保護に、アメリカ合衆国は失敗し続ける事になる(アフリカ系アメリカ人公民権運動)。失政が発生した場合、直接民主制はエリートの介在が少ないためその責任をエリートへ転嫁することが難しく、住民への責任転嫁が正当化される。このため、失政によって発生した住民への損害の補償を、エリートではなく住民自身が負うことになる。ただし、国家規模の拡大に伴い失政による損害も巨大な物となる。間接民主制などが効率的になる規模では、失政の損害補償は一握りのエリートだけでは殆ど賄いきれない。このため、直接民主制を避けても道徳上の責任しか住民は回避できず、実際の損害の殆どを住民が負うことに変わりはない。
出典:wikipedia
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