岩本 勉(いわもと つとむ、1971年5月11日 - )は、元プロ野球選手(投手)、野球解説者、タレント。大阪府八尾市出身(選手名鑑によっては阪南市との記述もある)。愛称は「ガンちゃん」。引退後はホリプロ所属。在日韓国人二世の両親の間に生まれる。母は日本へ帰化していたため自身も日本国籍だったが、岩本という姓は通名で、姉と弟とともに母の姓である大山が本名であった。1995年、父が日本国籍を取得した際に一家で岩本姓となった。阪南大学高等学校では3年間春と夏どちらも甲子園に出場することはなかった。1989年 のドラフト2位で日本ハムファイターズに入団(契約金5,000万円、年俸480万円)。1年目の1990年は1軍登板なしに終わった。1991年にプロ初登板を果たすと、5試合に登板した。1992年は2年ぶりに1軍登板なしに終わった。入団4年目の1993年にサイドスローに挑戦。しかし、この年も1軍登板なしに終わった。1994年には、シーズンを通じてサイドスローを貫いた。しかし、9試合しか登板できず、1勝も挙げることができなかった。同年のウィンターリーグではストッパーとして活躍した。尚、1軍定着後、年を重ねる事に腕の位置は上がっていき、最終的にはオーバースローに近いスリークォーターで投げていた。1995年はプロ初勝利を挙げると、この年中盤戦までロングリリーフとして結果を残しそれ以降は先発ローテーションに定着。5勝7敗の成績ではあったが、防御率3.07と安定感があり、初めて規定投球回に到達した。1996年、開幕戦が雨で2日流れたこともあり、結果的にではあるが初の開幕投手を務めた。この年は前年より安定感を欠いたものの初の2桁勝利となる10勝を記録した。1997年、開幕から不調が続き途中リリーフに回るも持ち直し先発に復帰したが規定投球回には届かなかった。結局27試合の登板で、7勝6敗3セーブ、防御率4.74と不本意な成績で終わった。1998年は開幕直前に開幕投手を予定してたキップ・グロスが怪我で離脱し、2年ぶりの開幕投手を任され、完封勝利をあげた(球団史上初の開幕戦完封勝利)。シーズンでも前半戦でリーグ10勝一番乗りを果たし、オールスターゲームに初出場し、2000年まで3年連続でオールスターに選ばれた。しかし、チームの失速と共に本人も勝てず、後半戦は1勝しかできなかった。キャリアで1イニング3被本塁打を3度経験しているが、2度目となった5月8日の対ロッテ戦ではフリオ・フランコ、初芝清に連続被弾、佐藤幸彦にランニング本塁打されている。同年は11勝8敗、防御率4.11の成績を残したほか、10完投を記録した。1999年から登録名を「岩本ツトム」に変更し、2001年までこの登録名だった。同年は2年連続して開幕戦で完封勝利を達成した。これは稲尾和久(西鉄)以来37年ぶりのパシフィック・リーグ記録である。そして、自己最多の13勝を挙げた。2000年、3年連続開幕投手を努め、西武の松坂大輔と投げ合ったが勝敗は付かなかった。シドニーオリンピックの日本代表選手候補になるが、負傷を理由に辞退した。同年は前年よりも安定感を欠き、6勝12敗、防御率5.21と不本意なシーズンとなった。この年以降満足な投球ができず徐々に登板機会が失われていった。2001年も負け数が前年と同じ12で勝ち星は7勝にとどまるなど、前年とそれほど変化の見られないシーズンとなった。登録名を本名に戻した2002年は故障や不調でわずか4試合の登板に終わり、1勝しか挙げられなかった。2003年は2試合に先発した以外は全てリリーフで登板し、計17試合に登板したものの、防御率6点台と期待に応えられなかった。チームの本拠地が札幌ドームに移転した2004年は故障のため、11試合の登板で全て先発するも1勝6敗、防御率6.16と期待を裏切る成績となった。2005年5月21日の交流戦の対読売ジャイアンツ2回戦(東京ドーム)で、5回表に野間口貴彦からプロ入り初本塁打を記録。これはパシフィック・リーグが指名打者制を導入した1975年以降、日本人投手として初である。(外国人投手を含めても3本目)しかし、6回裏にタフィ・ローズ、小久保裕紀に本塁打を許し、敗戦投手となった。結局先発での登板は2試合に終わり、全体でも10試合の登板に終わり、2勝2敗防御率5.96と不本意な成績で終わり、オフに自由契約となり、ファイターズの2軍投手コーチ就任を要請されたが固辞し、現役続行を目指した。東北楽天ゴールデンイーグルスなどが興味を示したが入団には至らず、翌2006年1月23日に引退した。2006年3月5日 札幌ドームでの対千葉ロッテマリーンズとのオープン戦で引退登板。真剣勝負という約束で堀幸一1人に対して投球したが安打を打たれている。2005年に引退した後、ホリプロと契約を結び野球解説者として活動している。男性でありながら、高めの声のひょうきんなトークと、関西人らしい、「野球界の裏ネタ」を交えたトークは好評である。2006年9月、プロ野球マスターズリーグの札幌アンビシャスに入団、登録名は「ガンちゃん」。ふりがなは「いわもとつとむ」となっている。財政再建団体になった夕張市を応援しようと、当時の夕張市立緑小学校(現在閉校)の入学式でスピーチ、また少年野球教室を開催、PTAの会合で講演したりと夕張市の青少年育成に一役買っている。
出典:wikipedia
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