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細川政春

細川 政春(ほそかわ まさはる)は、戦国時代の武将。父は細川教春。細川野州家当主。兄の勝之と子の高国が細川京兆家に養子入りし、高国は京兆家当主になった。また甥の尹賢は細川典厩家当主、高基は和泉守護となっている。野州家は細川淡路家や細川天竺家と共に奉公衆の一番に属す家であった。政春の祖父持春などは足利義教の側近くにあり、嘉吉の乱で片腕を失っている。一方でまた、勝之と高国の例からうかがえるように、京兆家とも密接な関係があった。以上のような関係のなか、明応の政変(1493年)にあって政春はすぐさま足利義材(義稙)の陣を離れて、京兆家当主政元のもとに駆けつけている。以降は典厩家の政賢と共に政元を助け、義材を擁する朝倉貞景が南下すると安富某・長塩備前守らと出陣し、後には畠山尚順に与同する大和国の筒井氏らと戦っている。永正5年(1508年)に高国が京兆家当主の澄元が追って当主となるとこれに従っている。永正12年(1515年)には高国によって備中守護に任じられ、3年後に死去した。享年63。ちなみに、政春を和泉守護であると見る向きもあったが、昨今ではそのように見ない向きの方が強い。

出典:wikipedia

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