牧野 塁(まきの るい、1974年7月17日 - )は、東京都出身の元プロ野球選手(投手)。現在は東北楽天ゴールデンイーグルス・ベースボールスクールのジュニアコーチを務める。横浜・緑東シニアから高校は山梨学院大学附属高等学校だった。しかし、甲子園出場を果たすことはなかった。、オリックス・ブルーウェーブからドラフト3位で指名され入団。1年目の1993年9月24日の対千葉ロッテマリーンズ戦(グリーンスタジアム神戸)でプロ初登板初先発を果たしたが6回0/3を3失点(自責点1)で敗戦投手となった。同年は勝利投手にはなれなかった。翌年1994年は中継ぎで5試合の登板にとどまった。1995年は2試合しか登板できず、防御率も二桁と不本意なシーズンを送った。1996年は5月26日の対近鉄バファローズ戦(藤井寺球場)に先発して5回0/3を2失点に抑え、プロ入り初勝利を手にした。この年は2勝を挙げた。1997年は11試合に登板し、1勝2敗の成績だったが全て中継ぎ登板で防御率も7点台と不振だった。1998年はわずか1試合しか登板できなかった。1999年も中継ぎでの登板が主で先発登板は1試合だけだった。防御率3.54と安定感としては今ひとつだった。2000年は中継ぎとして34試合に登板し、2勝3敗2セーブ、防御率3.14と結果を残した。しかし2001年は3試合登板にとどまった。2002年も7試合しか登板できなかった。は自己最多の49試合に登板した。先発での登板も10試合あり、この年の投手陣はチーム防御率が5.95と信じられない数字となり、自身も防御率5.05とチーム防御率に足並みを揃えてしまったが自身初のシーズン100投球回を達成した。同年オフ、斉藤秀光・谷中真二との2対2のトレードにより葛城育郎と共に阪神タイガースに移籍。移籍1年目の2004年は中継ぎ選任となり、1軍に完全に定着できなかったが27試合に登板した。翌には勝利の方程式であるJFKのリレーが確立されたこともあり、2試合の登板に終わった。はウエスタンリーグで20試合に登板し、自責点0の好成績だったが、1軍では前年に確立したJFKが充実していたこともあり、1軍昇格はなかった。序盤はジェフ・ウィリアムスが故障で1軍にいなかったにもかかわらず、その時も1軍に呼ばれることはなかった。シーズン途中に坂克彦とのトレードで東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍。2006年9月22日の西武戦に先発し、7回を無失点に抑え勝利投手となる。1軍で7回までを無失点に抑えたのは自身初。2006年シーズンは15試合に登板(先発5回)して、2勝0敗0S、投球回43.1、31奪三振、防御率2.49という好成績を残した。2007年は先発で結果を残せず、中継ぎ降格となり18試合の登板に終わり、防御率も5点台と不調に終わった。は1試合に登板したが、1失点し2軍に降格した。その後7月18日、佐竹健太とのトレードで広島東洋カープに移籍。移籍後は6試合に登板し、先発でも2試合に登板したが勝利投手になれなかった。翌年も中継ぎで14試合しか登板できなかった。10月9日に戦力外通告を受けた。12球団合同トライアウトに参加したが、獲得球団はなく、現役を引退。からまでの2年間横浜ベイスターズの打撃投手を務め、からは楽天の球団職員となり、ジュニアコーチとして子供達に野球指導を行っている。MAX156km平均140km/h台後半の速球とスライダーで投球の大半を組み立てるが、制球に難があった。カーブ・フォーク・チェンジアップ・シュートといった変化球も持ち合わせていた。
出典:wikipedia
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