ミラージュIII(Mirage III)は、フランスのダッソー社製の戦闘機である。デルタ翼が特徴的な単発機であり、各国へと輸出されている。"Mirage"はフランス語で幻影あるいは蜃気楼のこと。1952年よりフランス空軍は軽戦闘機についての研究を始め、翌年に朝鮮戦争の教訓を踏まえた新たな性能要求を提示した。この要求に対しダッソーはミステールを発展させたデルタ翼機ミステール・デルタを提案し、ダッソー以外にもブレゲー、ノール、モラン、シュド・エスト、シュド・ウェストの各航空機メーカーも応えて試作機を提案している。この内、最終選考まで残ったのはシュド・ウエスト SO.9000 トリダン、シュド・エストSE212デュランダール、そしてダッソーミステール・デルタの3機種であったが、いずれの機体も小さ過ぎてレーダー類などを搭載する性能的余裕がないことが判明した。このためフランス空軍は1956年にマッハ2クラスの新世代戦闘機の開発要求を発表し、ミステール・デルタの拡大型を製作、1956年11月17日初飛行を遂げた。高速試験中、エアインテイクの形状により試作機の速度が頭打ちになり、ロケット・ブースターを装着してもマッハ2に達しなかったため改良を施し、マルチロール性能を追加した結果、わずかに大型化したミラージュIII Aとして、1957年に採用、1958年5月12日に初飛行した。同年10月24日の飛行試験でマッハ2に達し、ヨーロッパ諸国が開発した機体としては、初めてマッハ2を超えた機体となった。なお試作機同様、量産機も機体下部に補助動力としてロケット・ブースターを装備できるが、実際に使用された例はほとんどない。本格的に生産が開始されたのはC型からで、要撃性能に集中して改良を加えた結果、シラノ火器管制レーダーを搭載し、固定武装としてDEFA 552 30mmリヴォルヴァーカノン2基を装備、後に翼下パイロンを2基に倍増して胴体と合わせて5基となった。フランス空軍は95機を発注し、1961年5月から部隊配備が開始された。C型をベースにした複座練習機型のB型は、C型と比べて胴体が60cm延長され、火器管制レーダーと機関砲が外されているが、必要に応じて装備できるようにスペースは空けられている。輸出が開始されたのもC型からである。次いで戦闘攻撃機型のE型が完成したことで生産の主力はE型へ移行し、さらなる支持を得た。E型は機内搭載燃料が増加し、レーダーもシラノIIに換装され、機首下部には新たにドップラー航法レーダー(採用国によっては装備しないこともあった)が装備されている。これにより胴体が30cm延長された。フランス空軍はE型を183機配備し、戦術核兵器の運用能力も付加した。E型に対応する複座練習機型のD型は、ガンカメラの搭載により機首先端がB型より細くなっている。E型をベースに偵察機としたのがR型で、機首の火器管制レーダーを撤去して偵察用カメラを5台搭載し、固定武装は残された。R型にドップラー航法レーダーを搭載した全天候型もあり、RD型と呼ばれる。完成度の高い機体となったミラージュIIIは広く輸出され、多くの派生型を産んだ。その中には、電子機器を簡易型に換装し500機以上を輸出したミラージュ5、エンジンを強化型に換装したミラージュ50、ミラージュF1につながるSTOL試験機ミラージュIII F2等の他、他国で生産・改修された、ネシェル・クフィル・チーター・パンテーラ等の派生機・コピー機も存在する。生産は長期に渡って続けられ、最後の機体が完成したのは試作機の初飛行から実に36年経った1992年のことだった。現在では既にフランスを含む多くの運用国で退役しているが、パキスタンは各地で退役した機体を大量に入手しており、ミラージュ5を含めて150機以上を現在でも第一線機として運用している。なお、ミラージュIはミステールのデルタ翼改造型ミステール・デルタを、ミラージュIIはミラージュIIIと平行して検討された双発型を指す開発中の呼称であるため、ミラージュIIIがシリーズ初の実用機となる。無尾翼デルタ翼形式を採用している。これは本機のみならず、ミラージュ・シリーズを通じて採用されることが多く、特徴となっている。複雑な工法を使用せずに後退角を大きく取れるので、遷音速域での空気抵抗が小さく、高速性を発揮するのに有利である。また翼面積を大きく取れる事と、高迎え角飛行時でも失速しにくいため、高速域での運動性は抜群に良い。後述する通り第三次中東戦争においての活躍が、本機の性能の高さを示している。反面、この形式はSTOL性能に劣るのが最大の欠点である。そのため海軍において艦上戦闘機として採用ができず、エタンダールIV戦闘機や、アメリカ製のF-8戦闘機といった、本機より劣るマッハ1級機の採用を余儀なくされた。また高迎え角飛行時は抵抗が大幅に増大する事、翼幅荷重が高く低速域での揚抗比が低くなる事により、旋回時には運動エネルギーがすぐに失われてしまうため、低速域での運動性に劣る事が欠点であった。その後ダッソー社・フランス空軍は、STOL性と運動能力の向上を試みた水平尾翼形式の戦闘機として、ミラージュIII F2やミラージュF1戦闘機を開発している。結局F2は実用化されなかったが、F1は本機の後継機として空軍で採用された。しかし、ダッソーはその後ミラージュ2000で再び無尾翼デルタ翼形式を採用しており、シリーズ中水平尾翼形式を採用して実用化されたのはミラージュF1のみとなった。後に、STOL性能に劣る無尾翼デルタ翼の欠点については、カナード翼を付加する事によってさほど長所を損なわず改善できる事が発見された。そのためミラージュIIIの近代化改修にあたって多くの国がカナード翼を付加しているが、最初に行ったのはイスラエルであった(クフィル)。ダッソー社自身も新世代型のミラージュIII NGでカナード翼やLERXを付加したが、この機種はミラージュ2000の採用後であったため採用されなかった。また、ミラージュ2000を双発・大型化した拡張版の試作機ミラージュ4000にもカナード翼が付加されている。この機種は量産・制式採用には至らなかったものの、その飛行データはミラージュの後継機にあたるエンテ型機のラファールの開発支援に貢献した。フランスがイスラエル向けの武器輸出を禁止する以前、イスラエル空軍は多数のミラージュIIIを導入し、第三次中東戦争では対空、対地ともに大戦果を上げている。その一方でシラノ対空レーダーの信頼性が低く、フランス製及び国産の空対空ミサイルの威力も低いという弱点が発見された(当時、米国製のサイドワインダーはイスラエルに引き渡されていなかった)。このため、イスラエル空軍は第二次世界大戦時と同じく目視と固定機銃で戦い、空対空ミサイルを「最後の手段」として使用することとなった。また、同空軍は航空戦よりも敵機(および滑走路などの航空施設)の地上破壊を最優先課題としていたこともあり、イスラエルはこの戦訓を踏まえて対地攻撃型のミラージュ5を発注した。しかし、フランスは政治的理由によりこの機体を引き渡さなかったため、ミラージュ5のコピー版であるネシェルが生産されることになる。この他に、印パ戦争、フォークランド紛争、南アフリカのブッシュ戦争等に投入されている。
出典:wikipedia
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