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与那国島

与那国島(よなぐにじま、方言名:/)は、日本の最西端の島であり、南西諸島八重山列島の西端、日本最西端の地を擁す国境の島である。八重山諸島の西端、台湾の北東に位置する島。行政区分は沖縄県八重山郡与那国町。に位置する西崎(いりざき)は、正式な日本の東西南北端の中で唯一、一般の交通機関で誰でも自由に訪れることができる。面積28.95kmで、小笠原諸島の硫黄島や父島より若干大きい程度である。人口1,745人、年平均気温23.6℃、年間降水量2,363.5mm。石垣島からは124kmの国境の島で、台湾宜蘭までは111kmしかなく、年に数回晴れて澄んだ日には水平線上に台湾の山々を望むことができる。島は東西に細長く、ちょうどサツマイモのような形をしていて、起伏は激しいものの自転車でも3 - 4時間で一周が可能な大きさである。島の地質は、隆起珊瑚礁ではなく主に第三紀堆積岩からなる。面積は小さいながら、200m級の山があるなど大変起伏が激しい。また、島の南海岸は波で浸食され、断崖絶壁が多数ある。南側の太平洋からは一年を通じて強い風が吹くが、中央の山地によって遮られ、高地までは影響があるものの、島の北側では風はそれほど強くない。島の東端には東崎(あがりざき)、西端には西崎(いりざき)の2つの岬がある。中央北部に祖納(そない)、西部に久部良(くぶら)、南部に比川(ひがわ)の3つの集落があり、町役場は祖納にある。主な産業は、漁業、サトウキビ農業、畜産、観光で、島の南半分及び東崎では牛馬が放牧されている。比川の近くにはエビの養殖場もある。港などにある船舶用の浮標は「水源に向かって左側は緑色」「水源に向かって右側は赤色」と定められているが、日本列島のほぼ全域の沿岸部分や離島においては浮標の色を緑か赤かを定めるためにどこか特定の地点を「日本列島の水源」として決める必要がある。そのために便宜上として日本ではこの与那国島を「日本列島沿岸部の水源」として定めている。熱帯雨林気候(Af)に属する。気象庁 与那国島測候所も参照ヨナクニの名を持つもっとも有名な動物は、日本一巨大なガであるヨナグニサン(アヤミハビル)である。ただし与那国島の固有種でなく近隣諸島にも見られ、中国、台湾をはじめアジア各地に分布している。また、北牧場および東牧場などでは日本在来馬の与那国馬が飼育されている。与那国馬は1969年3月25日に与那国町の天然記念物に指定されている。2010年11月1日に約1,040haの地域が国指定与那国鳥獣保護区(希少鳥獣生息地)として新規指定された。特別保護地区は63haである。これは国の天然記念物および国内希少野生動植物種に指定されているヨナクニカラスバトおよびキンバトの保全が目的である。これまで指定されていた鳥獣保護区は島の中央部の約187haのみで、今回の指定では地域の変更や大幅な拡充が伴われ、新規指定となっている。14世紀に沖縄本島の有力者が海上交易を始めると、その中継点として訪れた人々によって文明化されたと思われる。1522年(大永2年)に琉球王朝の支配下に組み入れられるまでは、女首長サンアイ・イソバ(実在不明)や鬼虎(同じく)の下で独立国であった。1609年に琉球國が薩摩藩に歸屬した後、1611年(慶長16年)に薩摩藩役人毛利内膳正元親が来島し与那国島の測量を行い、初めて検地帳を作製した。1879年(明治12年)の琉球処分と共に日本の府縣制に帰属する。台湾が日本領になった時代は、台湾住民との間で砂糖や米の密取引が行われるようになり、人口は2万人まで増加した(ケーキ時代)。1908年(明治41年)島嶼町村制で間切制が廃止され、石垣間切・大浜間切・宮良間切の3間切が与那国島とともに八重山村となる。1914年(大正3年)八重山村が分村し、与那国村となる。1945年(昭和20年)に米軍の軍政下に置かれ、台湾が日本から分離したため、密取引は行われなくなり人口も急減。1948年(昭和23年)に町へ昇格し与那国町となる。1952年(昭和27年)のサンフランシスコ平和条約で米国統治となり、1972年(昭和47年)に日本へ返還されて現在に至る。1982年(昭和57年)、台湾の花蓮市と姉妹都市を締結。1986年(昭和61年)にはダイバーによって海底遺跡のような地形が発見されて話題となる。1996年(平成8年)、与那国島から約60キロメートルの海上に中国から発射された弾道ミサイル1基が着弾した。台湾も、中国に対抗した軍事演習として、与那国島の沖合で軍事演習を計画するなど、緊張が走った。当時は自衛隊や海上保安庁によるパトロールが行われた。2015年 (平成27年度)、自衛隊配備の是非を問う住民投票が2月22日に実施され、即日開票の結果、賛成が過半数を占めて正式に住民の賛意が示された。既に2014年に自衛隊基地の起工式は行われており、与那国島への基地建設は決定済であるが、これにより中国人民解放軍幹部が公言するようになっている八重山諸島への軍事活動に対する情報収集や警戒が強化される方向である。国境の島であるため、台湾有事や尖閣諸島問題など周辺地域の有事に巻き込まれる蓋然性がある。2010年12月17日に閣議決定・公開された防衛計画の大綱及び中期防衛力整備計画 (2011)において200人規模の沿岸監視隊配備が盛り込まれ、平成23年度防衛予算では調査費として3000万円が計上された。続く平成24年度防衛予算においては陸自の沿岸監視隊及び空自の移動警戒隊を配備させるための用地取得のため、10億円を計上した。これは中国の軍事的な脅威に対して、南西諸島に存在する警戒網の死角を埋める意味があり、同時に与那国の奇襲占領を抑止するためでもあるとされる。隊員の消費活動による与那国町への経済波及効果も期待されているが、10億円がそっくり地代として入るものと皮算用した町側と、工事費用や移転費用を差し引いて土地使用料としては最大1億5千万円しか予算化していない防衛相との間の交渉は難航していたが、与那国町は2013年6月20日、国すなわち自衛隊に年間1500万円で町有地を賃貸することを承認した。沖縄県警察では、島内に常駐している駐在所員2名に対し、けん銃の予備弾10発を貸与して有事への備えを固めた。2014年3月31日、国と与那国町との間で町有地を貸す契約が正式に結ばれた。2014年4月19日、小野寺五典防衛大臣出席のもと、沿岸監視部隊配備のための着工式典が開かれた。監視レーダー施設などの完成は2015年度末を予定しており、沿岸監視部隊と後方支援部隊を併せ150名程度が配備される予定となっている。2015年2月22日には自衛隊誘致に対する住民投票が行われ、誘致賛成派が勝利した。2016年1月26日の閣議を経て、与那国駐屯地の開庁日は3月28日付けとすることが防衛大臣・中谷元より発表された。那覇空港および新石垣空港から毎日琉球エアーコミューター機が飛んでいる。与那国町と台湾間で、期間が限定されてはいるものの、チャーター便が過去に飛んでいる。2007年(平成19年)10月4日、与那国空港から台湾の立栄航空による初の台湾直行チャーター便が台北国際空港に到着。花蓮市との姉妹都市締結25周年を記念した、与那国町の友好親善交流団128人が、乗り換えなしに直接台湾に入った。2008年(平成20年)7月4日、台湾の復興航空によるチャーター便が6日まで台湾花蓮市と与那国島を結び、双方から合わせて91人の乗客が利用している2009年(平成21年)2月27日には、台湾の復興航空のチャーター便が往復。花蓮市から61人が来島し、与那国町からは30人が花蓮市に向かっている。ダイビングの名所として非常に有名な島である。特に冬場に西崎で見られるハンマーヘッド(シュモクザメ)は人気があり、多くのダイバーが訪れる。また、海底遺跡ではないかとの説もあり、「遺跡ポイント」と呼ばれる海底地形にも潜ることができる。このポイントは、非常に潮の流れが速いことがあるため、上級者向けのポイントであるが、状況によっては初級者も見ることができる。ダイビングサービスは島内に5軒ある。与那国島は、2003年夏に放映されたフジテレビ系列のドラマ「Dr.コトー診療所」の撮影地となった。比川には撮影に使用したセットの「診療所」が残っており,有料で内部を見学できる。2004年11月に放送された2夜連続スペシャル「Dr.コトー診療所2004」や、2006年10月から放送の続編「Dr.コトー診療所2006」でも、与那国島でロケが行われている。与那国空港や港の観光案内所では、ロケ地めぐり用のパンフレットを配布したり、写真展を開催したりしている。与那国島だけで生産が許可されている特産物として、泡盛の一種である花酒(はなさき)がある。「はな」とは初めの意で、泡盛の製造過程で最初に抽出される「ハナタレ」と呼ばれるアルコール度数60度の非常に強く純度の高い蒸留酒である。町内にある3つの酒造所で生産されており、いずれもクバ(ビロウ)の葉で巻かれた独特の瓶に詰めて出荷される。

出典:wikipedia

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