SR(エスアール)は、ヤマハ発動機が製造・販売している単気筒エンジンを搭載するオートバイのシリーズ車種。販売当初から大きな変更なく受け継がれるスタイルに全ての年代で人気がある車種。オートバイの原型とされるスタイル。美しいデザインにファンが多い。本稿では、同様の単気筒エンジンを搭載するSRXシリーズ、またV型2気筒エンジンを搭載するSRVシリーズについても解説を行う。SR400は1978年に発売された。XT500のエンジンをベースに、ショートストローク化して日本の運転免許区分に対応した400ccのエンジンを搭載。足回りなどは数回にわたって変更されたが、2008年まで基本設計とデザインを変更せずに販売し続けたロングセラー車種であった。一度は生産終了となったが、排ガス規制に対応した設計変更を加えて2009年末に再び生産が開始された。現在もカフェレーサーやダートトラッカー風のカスタムなどのベース車として用いられている。モーターマガジン社のバイク雑誌『月刊オートバイ』誌において、1978年10月号に掲載された第一回人気投票ではニューモデルにもかかわらず第10位。これは当時の現役400ccロードモデル全10車種のうちホーク・ホンダマチックに次ぐ不人気ぶりだった。発売当初はワイヤースポークホイール仕様であり、一時期はアルミキャストホイールへと仕様変更された。しかし、結果的に販売台数は激減し、購買層からの要望もあってスポークホイールへと戻された。その後、売れ行きが落ち込んだとき生産中止が検討されたこともあった。1985年、フロントブレーキをディスクからドラムに変えるという、当時としては異例の退行的モデルチェンジを行った。一見退化ともとれるマイナーチェンジだが、このドラムブレーキ化は当時のディスクブレーキと比較しても性能的にはさほど変わらず、車格と出力からすれば充分な制動性能を備えているものであった。だが雨天の際にブレーキタッチが変化してしまうというドラムブレーキ特有の構造的な弱点(俗に言う「カックンブレーキ」)もあり、スポーツバイクというよりも趣向的なクラシックバイクという面に振られたマイナーチェンジだった。このとき、同時にハンドルがやや低くなり、ステップ位置が後退された。2001年に各種の保安基準が強化され、フロントブレーキがディスクブレーキに再変更された。また自動車排出ガス規制の強化を受け、エアインダクションシステムを採用することで自動車排出ガス規制をクリアした。購入後にユーザーがこのエアインダクションシステムを取り外す事は可能だが、同装置を取り外した状態では車検の検査基準に適合しない。2008年に販売30周年を迎えたが、同年9月の自動車排出ガス規制強化に対応できなかったことから生産を終了した。SR400およびSR500は2008年の生産終了までに累計12万7千台が販売された人気車種であったことから、。生産停止の間にフューエルインジェクションを搭載した環境規制対応モデルが開発され、 2009年の第41回東京モーターショーにおいてSR400(F.I.)として参考出品された後、2010年モデルの SR400 として2009年12月21日に発売された。2010年モデルの希望小売価格は550,000円(税抜)であったが、2013年の発売35周年記念モデルは塗装などを変更した特別仕様にも関わらず謝恩価格として510,000円(税抜)で発売され、2014年モデルからは通常仕様も510,000円(税抜)で発売されている。タイヤは前後ともバイアスタイヤを装着SR500は1978年に発売された。XT500のエンジンをベースとした単気筒2バルブSOHC499ccのエンジンは最大出力が32馬力であった。ショートストローク化されたSR400のエンジンに比べ、SR500はXT500に近い弾けるような鼓動感があると評する向きもある。日本では普通自動二輪免許で乗ることができるSR400と比べると登録台数は少なかったが、欧州やアメリカに輸出されていたため長期にわたり生産された。しかし、1985年以降のモデルからはブレーキが前後ともドラム形式(ただし1978年-1984年までのモデルはSR400同様フロントがディスク、リアがドラム)であったため、また日本においても排ガス規制が実施されたため、2000年に生産が中止された。なおSR500生産終了後の400は日本仕様専用車両となっていたが、2013年からSR400が欧州・北米向けに輸出されるようになった。SR250は1980年に発売された。上位機種のSR400/500とは異なり、アメリカンスタイルの車体構造を持つモデルである。日本での販売は終了したが、輸出仕様は継続生産されており、2010年代に入ってからもメキシコで販売が継続されている。SR125は1981年に発売された。SR250同様にSR400/500とは異なるアメリカンスタイルのモデルである。SR125のボアとストロークを増やしたSR185 Exciter(エキサイター)も1981年から輸出生産された。国内販売については一時ラインナップから外れはしたが、欧州輸出との兼ね合いで1991年と1995年に再発売された。1996年からは前輪ディスクブレーキが装備され、1997年にはレッグシールドと巨大リアキャリアが装備されたビジネス仕様のSR125Bも発売されたが、後に125ccは全て生産を終了した。また、SR125は小型自動二輪車の教習車として、2015年現在でも多くの自動車教習所で使用されている。SRの派生シリーズとして、単気筒エンジンのSRXが発売された。SRシリーズのクラシカルな外観意匠に比べると、SRXはモダンな外観意匠とより近代的な技術が取り入れられ、SRシリーズよりもスポーツ指向が強い車種であった。SRX250(51Y型)は1984年に発売された。DOHCエンジンにツインキャブを採用し、フロントにディスクブレーキを装備。派生車種としてハーフカウルを装備したSRX250Fも発売された。1990年には、上位機種の400ccクラス・600ccクラスと同様に、3WP型にモデルチェンジされた。SRX-6とSRX-4(1JL型)は、共に1985年発売された。SRを発展させたスポーツライディングを目的とするシリーズであり、車体構成はほぼ共通仕様で4バルブエンジンと前後ディスクブレーキが装備されていた。当時のシングルレースでは上位を独占していた。1990年には揃ってモデルチェンジを受け、車名もSRX600およびSRX400(3VN型)と改められた。SRXシリーズは、250cc・400cc・600ccモデルとも1990年モデルチェンジを受けたが、この型式を最後として各モデルとも1990年代中に生産終了となった。SRV250(エスアールブイにひゃくごじゅう)は1992年に発売された、外装をクラシックバイク調にアレンジした車種である。エンジンはビラーゴの空冷V型2気筒を流用していたが、ツインキャブなどの採用により、23PS/8000rpmから27PS/8500rpmへと若干のパワーアップを果たしている。後にタンクのカラーリングを変更してメーターバイザーなどを装着したSRV250Sや、センタースタンドや大型のリアキャリアを装備したSRV250Tというモデルも発売された。1996年にはルネッサという派生車種も発売されたが、販売台数の伸び悩みと各種規制の強化により生産終了となった。発端としては、三栄書房のバイク専門雑誌『モト・ライダー』誌が1977年のエイプリルフール企画として、「近日発売の新車 ヤマハ・ロードボンバー (Road Bomber) 」を掲載したことであった。ロードボンバーは架空のオートバイで、ヤマハのオフロードバイクであるXT500のエンジンを、島英彦設計によるオリジナルのダブルクレードルフレームを搭載したロードスポーツバイクであった。ロードボンバーはのちにホンダのXL500Sのエンジンを載せた「ロードボンバーIIX」へと改良された。ロードボンバーを架空の新型車だと思わなかった読者から問い合わせが殺到し、ヤマハはここにマーケットが存在することを知り開発を始めたという経緯でSRシリーズは誕生した。一方、ロードボンバー設計者の島英彦は後に「ロードボンバーのXT500エンジンはヤマハから提供してもらった。ヤマハも独自にXTのオンロード版(SR)の開発を進めていた。ロードボンバーがあったからSRが生まれたというわけではない」と語っている。また島は「SRX400/600の基本構想にも関わった」と証言している。「バイクはパワーじゃない、操縦性だ!」というコンセプトを証明すべく、ロードボンバーは、SRが発売された年である1978年の鈴鹿8時間耐久ロードレースに参戦した。4気筒のハイパワーマシンや、2ストローク大排気量車の中にあって、「勝算は全くない」「よせばいいのに」と酷評されたものの、それらの車に伍して安定して走り、結果8位に入賞した。「非力だが、軽量で操縦性が良いバイク」は、この入賞からひとつの時代を築き始めた。ユーザーの願いがトレンドになった例として、ロードボンバーとSRの物語は、日本のバイク史上特筆すべきもの、という意見がある
出典:wikipedia
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