イシュタル(新アッシリア語: 、翻字: MÙŠ、音声転写: ishtar)は、古代メソポタミアのメソポタミア神話において広く尊崇された愛と美の女神。戦や豊穣の女神、金星を象徴する明星神でもある。イシュタルの神格、および性格などは、英名ヴィーナスでよく知られるローマ神話のウェヌス、ギリシア神話におけるアフロディーテの原型となった。イシュタルという名は新アッシリア語名で、シュメール神話ではイナンナ(シュメール語: ・)と呼ばれた。イシュタル及びイナンナの名はシュメール語のNinanaに由来し、「天の女主人」の意。その親族関係に関しては、異なる伝統が並存する。主なものには、ナンナ/シンの娘、太陽神シャマシュ(シュメール語名:)の妹という位置づけがある。他、例えばウルクにおいては天神アヌの娘で、冥界を支配する死の女神エレシュキガルが姉にあたるとされている。お供の聖獣はライオン。様々な女神と神学的に同定された。主なものはアッカド市の女神アヌニートゥ、バビロン市の女神ベーレト・バビリ(「バビロンの女主」の意)など。ほかに旧約聖書でいうアシュトレイトにあたるカナンのアスタルテやシリア女神のアタルガディスにも相当する。メソポタミア神話でのイシュタルはウルクの都市神となっているが、シュメールの創世神話では原初の5都市に数えられる2番目の都市バドティビラが与えられている。原初の世界に名を残すも、いわゆる母神と同定されることはなく、バビロニアの創世神話『エヌマ・エリシュ』には登場していない。しかしながらウルク、キシュ、アッカド、バビロン、ニネヴェ、アルベラ(Arbela)など多くの崇拝地を持ち、メソポタミア広範で恭敬された。愛と戦の女神として描かれることが多いが、金星神、明星神、豊穣神など多くの神性を宿し、多方面の女神と同一視されることでその人格が多様化するに至った。優美な振る舞いで男性を魅了することもあれば、思いのままに激情するなどその性格もまた雑多だが、基本的には欲情に忠実な逸楽の女神のようである。イシュタルは出産や豊穣に繋がる、性愛の女神として知られる。性愛の根源として崇拝されていた一方、勃起不全など性愛に不具合をもたらす女神としても恐れられていた。性同一性障害とも関係付けられ、その祭司には実際に性同一性障害者が連なっていた可能性も指摘されている。イシュタルが冥界へ降りると多くの生命が繁殖活動をやめ、地上に不毛をもたらしたことが後述の『イシュタルの冥界下り』に関連付けられている。また娼婦の守護者でもあり、その神殿では「アシンヌ」と呼ばれる女装の青年が仕え、神聖娼婦が勤めを果たしていた。愛の女神としての傍ら戦の女神でもあるイシュタルは、「戦闘と戦役の女君」という添名を持つ。武器を持った姿で図像化されることも多い。『イナンナ女神とエビフ山』の神話ではイシュタルの闘争的な面がよく表されており、語り手はイシュタルを「獅子の如く吠え、野牛の如く敵国に勝利宣言をする」と表現している。戦争に際しては、別の戦神ニヌルタと共に勝利が祈願され、勝利した後にはイシュタルのために盛大な祭儀が執り行われた。その図像は武者姿をしている。イシュタルは称賛と栄誉を得るため、緑と果実豊かな野獣の宝庫「エビフ山」と言う山々を滅ぼすべく支度をした。人々に畏怖を与えるための聖なる光「ニ」を額に宿し、王衣を身にまとい、首には紅玉、足首にはラピスラズリの宝飾でそれぞれ飾り、7つ頭の武器「シタ」を荒々しく振りかざす。続いてアヌにエビフ山を滅ぼすための祈祷を捧げるが、「あそこは恐ろしい山であるから、逆らっても無駄である」とイシュタルに否定的だった。これを聞くや否やイシュタルは物凄い憤怒の形相を見せ、弓を手に執って大嵐を呼び、邪悪な粘土を運ぶ大洪水と邪悪な怒りに満ちた風を起こした。エビフ山へ赴くと山の根っこを掴んで雷鳴の如く吠え、森を罵り、木々を呪い、樹木を殺し、火を放った。神話はイシュタルがエビフ山に勝利宣言をして終わる。イシュタルが都市神を務めるウルク市には大きな2つの聖域があり、内1つ「エアンナ」地区一帯がイシュタルの神殿とされている。エアンナとはシュメール語で「天(アンナ)の家(エ)」という意味を持ち、天の最高神アヌに捧げられた神殿でもあるというが、アヌはウルクにおけるもう1つの聖域「ジクラト」を主な神殿とし、エアンナに崇められたのはイナンナことイシュタルの方であった。エアンナには壮大な神殿群と、「天と地を結ぶ絆」として階段などを含むジグラットと呼ばれる聖塔、「ギパル」という大神官公舎が建設された。イシュタルはウルク以外にも幾つかの神殿を持つが、なかでもエアンナはウルク文化に大きく貢献した建造物であり、エアンナの主神イシュタルだけでなく、神殿を取り巻く生活や文化にも大きな注目が及ぶ。ウルクの神々には毎日、人の手によって大量の食物が捧げられた。各神殿や大邸宅に向けて送られた小麦や家畜、果実などは、神殿に仕える料理人が加工し提供する。穀物は焼きパン243個、揚げパン1200個。肉類は羊58頭、牛3頭、キジバト20羽、ガチョウ3羽、アヒル5羽、卵6個。果実類は甘味と菓子、ナツメヤシ、イチジク、干しブドウを648リットル。飲み物はビールやブドウ酒など216リットル。何人の神で分けたかは定かではないが、これらはウルクの神々によりたった1日で消費される。イシュタルの取り分は1日パン30個、ビール12杯など。年間の総消費量は、ざっくり換算しただけでも相当な量になる。神々への奉仕として捧げられるのは食物だけではない。華美な調度品、多くの建築物や神像、煌びやかな衣装、宝飾に彩られた装身具なども恵まれた。祭典、祝典、パレードも神事として神殿を中心に催され、音楽や歌や香で包まれる豪華な「奉仕」が執り行われた。これはエアンナに限らず、メソポタミア南部地方におけるバビロニア地域全土(ウルクはバビロニアのシュメール系都市国家)に共通する。神事では音楽の催し物がとりわけ重要とされ、埋葬儀礼や戦場の指揮でも奏でられていた。紀元前3000年のウルクの粘土板には弓型ハープをかたどった絵文字が確認されており、紀元前2600年頃のウル出土の王墓からは装飾の施されたハープやリラを携える楽士たちの姿が発見された。ハープを始めとするバイオリンやギターなどの弦楽器、トランペットやオーボエなどの管楽器は、メソポタミアで使われた楽器が原点であると言われている。イシュタルないしイナンナは、多くのメソポタミア神話に登場する。イシュタルは神話を積極的に引っ張って行くヒロインであり、強烈な個性ながらも彼女に捧げられた神殿の多さからも窺えるように、メソポタミアでは人気の女神であったとされている。イシュタルの正式な配偶神は存在しないが、多くの愛人(神)が知られている。これは王者たる男性が、恋人としての女神から大いなる神の力を分け与えてもらうという当時の思想によっている。最も著名な愛人は、男神(タンムズ)。『ドゥムジ神とゲシュティンアンナ姫』や『ドゥムジ神の夢』など、イシュタルとドゥムジにまつわる数多くの神話が知られている。イシュタルの結婚相手候補には牧夫ドゥムジと農夫エンキムドゥの2人がおり、兄シャマシュは牧夫は素晴らしいとしてドゥムジとの婚姻を勧めた。だがイシュタルは「牧夫なんか嫌よ」と言った。どうやらドゥムジのことは気に召しておらず、エンキムドゥの方に少しばかり思いを寄せていたようである。ドゥムジ自身は自分の方が農夫より優れていると言うが、エンキムドゥの方は控え目だった。ドゥムジにイシュタルを譲ると言い、祝福の品もたくさん用意すると約束した。こうしてイシュタルはドゥムジと結婚することになった。天界の女王であり光を司るイシュタルに対し、姉エレシュキガルは闇を司る地界(=冥界)の女王として君臨しており、姉妹は非常に仲が悪い。2人が同時に出てくる神話は後述の『イシュタルの冥界下り』、『イナンナの冥界下り』であるが、この物語ではイシュタルはエレシュキガルによって冥界に拘留され、命を落としている。「楽園神話」にはシュメール文明の運命を決定する水神エア(シュメール名:エンキ)の物語がある。世界秩序を定めようと思い立ったエアは、神々にそれぞれ仕事を命じ役割を与えた。このときイシュタルだけ何も仕事をもらえなかったので、エアに泣きついて役割を与えてくれるように頼んだ。エアから「優美な衣装と女性の魅力」を授かり、「戦場に吉兆をもたらすこと、凶兆を伝えること。滅亡させずともよいものを滅亡させ、創造せずともよいものを創造すること」などの役目が与えられた。対句の表現が続くため、イシュタルの気まぐれに左右される人間の宿命が表されているともいえる。ある日イシュタルは、盛装してエンキムドゥに会いに行った。めかし込んだ姿に我ながら魅了されたイシュタルは、エリドゥ市に住むエアの神殿「エアブズ」を訪ね、彼を口説きに行こうと歩み始める。イシュタルはエアとその従神らに歓迎されると、競うようにビールやブドウ酒を飲み重ねた。イシュタルは酒により調子が良くなったエアから、「メ」と呼ばれる権力の全てを与えられる。「メ」を受け取ったイシュタルはウルクへの帰路についた。酔いが冷め「メ」の数々をイシュタルにやってしっまたことに気付いたエアは、「メ」を取り戻すべくイシュタルのもとにイシムと怪物を遣わし追跡するが、イシュタルはこれを逃れ最後までエアの「メ」を持ったままウルクへ帰ることに成功した。エアは「なかなかやるものだ。褒め称えてやらねばな」言ってその結末を受け入れた。この「メ」というのは「太古から神々によって定められた規範」を意味し、シュメール社会における掟のようなものの総称である。法律のようにも思えるが、「メ」の内容は神官・武器・玉座などの具体的なものから、性交、精神、歌のような、文化や娯楽と言った抽象的なものも指す。イシュタルは多くのメソポタミア神話に登場するが、その中の英雄譚『ギルガメシュ叙事詩』でも通常通りの奔放ぶりを見せている。あるときイシュタルは、フンババ征伐から帰ったウルク都城の王ギルガメシュの美丈夫に目を上げ恋慕する。彼女は様々な贈呈品や権力を誇示してギルガメシュを誘惑しようとしたが、ギルガメシュはイシュタルの愛人に選ばれた男たちが不遇の死を遂げていることを知っていたために、その求婚を拒んだ。屈辱を覚えたイシュタルは、父アヌにギルガメシュに振られたことを訴えた。アヌもまたイシュタルの気まぐれと愚かな行いの数々を知っていたため、泣きつくイシュタルを取り静めようとする。だが可愛さ余って憎さ百倍とばかりに、ギルガメシュへの怒りは収まらなかった。ギルガメシュを殺害し彼が統治するウルクごと破壊するため、アヌに「天の雄牛(グガランナ)」を創って地上に差し向けるよう指示する。更には冥界から死者を引き連れてくると言って脅し、アヌは仕方なく天の雄牛たる巨大な怪獣を創ってやった。雄牛がイシュタルに導かれ都城に降りると、地面が割れ川の水は干上がり、ウルクを荒らし回って多くの人間を殺した。ギルガメシュは親友のエンキドゥと共に天の雄牛を仕留めたが、これはシャマシュによる命令であったともされている(後に行われる神々の会議で、シャマシュ自身がそう語っている)。イシュタルは求婚を拒まれた上に雄牛をも退治されたことで激情し、ギルガメシュに向かって呪いを吐いた。これを聞いたエンキドゥに雄牛の腿を投げつけられ、「お前を捕まえさえすれば、あれ(天の雄牛)にしたのと同じようにお前もこうしてやりたいところだ」と言い放たれる。上記はアッカド語版の和訳を要約したものになる。シュメール語版ではギルガメシュが天の雄牛を討伐した後、ウルクの貧困層(未亡人の息子たち)に雄牛の肉を分け与え、雄牛に生える2本の角はエアンナ(イシュタルの神殿)へ奉献された。「メ・トゥラン版」の同エピソードでは、雄牛を討ち取ったギルガメシュではなく、イシュタルを讃えて終わる。この神話はニップル市やウル市などから出土したシュメール語版『イナンナの冥界下り』のほか、アッカド語『イシュタルの冥界下り』としてニネヴェ版とアッシュール版の2つが知られている。『イシュタルの冥界下り』は140行ほどのアッカド語で再編されているが、シュメール語で書かれた『イナンナの冥界下り』は400行以上の長編物語となる。故に内容も同一ではなく、イシュタルが冥界へ下った理由、死に方などに違いがある。天界の女王らしい華美な装いをして冥界に降りたイシュタルは、冥界の門番に門を開けるよう指示する。門番からイシュタルがやって来たことを聞いたエレシュキガルは激怒し、門番に「掟に従い彼女(イシュタル)をもてなせ」と命じた。「綺麗な着物を着てはならない」など冥界での禁忌を犯した出で立ちでやってきたイシュタルは、門番が開く7つの門をくぐるたび身に付けている物を剥ぎ取られる。エレシュキガルのもとに辿り着いたときには、彼女は既に全裸だった。イシュタルはエレシュキガルによって冥界に閉じ込められ、死神ナムタルから60の邪気(=病魔)を体に放たれた。冥界から帰れなくなったイシュタルの影響で、地上は不毛の地と化してしまった。生者たちの嘆きを聞いたエアは無常の人間アスシュナミルを創って生命の水を持たせ、冥界へ送り込んだ。エアの知恵が功を奏してイシュタルは冥界から解放されることとなり、門をくぐる過程で剥ぎ取られた着物や宝飾品なども全て、取り戻すことができた。冥界に心惹かれたイナンナは、地位と神殿を捨て盛装し、冥界へ赴いた。エレシュキガルに冥界を訪問したことを激怒されたイナンナは、7つの門をくぐるたびに身ぐるみ剥がされ、全裸にされた。果てにはエレシュキガルから「死の眼差し」を受けて死亡し、その死骸は鉤に吊るされた。イナンナが戻らないまま3日3晩が経ち、地上ではイナンナの従神ニンシェブルがエンキ(エア)に助けを求めた。エンキは2人の人間を作り、「生命の水」と「生命の草」を持たせて「冥界に降りたらイナンナの死骸に振りかけるように」と命じた。この一連の動作によってイナンナは甦り、地上への帰還を果たした。イナンナの帰還は身代わりを用意するという条件付きだったので、イナンナはその身代わりとして、妻(イナンナ)の死のために喪に服していなかったドゥムジを指名した。身代わりを確保するために冥界からやって来た使者「ガルラ霊」から逃れるために、ドゥムジは義理の兄弟ウトゥ(シャマシュ)に助けを求めた。ウトゥに蛇に変えてもらったドゥムジは、一旦はその身を隠すことに成功し逃れることができた。だが最後にはイナンナに見つかり、ドゥムジは自身の姉妹と半年ずつ交互に、冥界へ留まらなければならなくなった。前述で触れたように、双方の内容には差異がある。まずイシュタルが冥界へ下った理由として、『イシュタルの冥界下り』では冥界の番人となったドゥムジを取り戻すため、『イナンナの冥界下り』では姉エレシュキガルに代わり冥界を支配しようと思い立ったためであると考えられている。何より『イナンナの冥界下り』と比べて短編ながらも、より鮮明に冥界の様子が描かれている点は『イシュタルの冥界下り』を語る上で外せない話題となっている。以下、『イシュタルの冥界下り』から抜粋した矢島文夫による訳文。なお、この内容はギルガメシュ叙事詩の第7版において重複箇所が認められる。地(キ)の下には深淵(アブズ)あり、冥界(シュメール語:クル)は更にその奥にある場所だと考えられていた。アブズはエアが司る潤った聖域だが、深淵と間逆の乾燥地帯である冥界は、一度行ったら二度と戻ることはできない「死者たちの世界」であり、生前の行いの善し悪しに関わらず死者となればみな一律に行かなければならない世界だった。地面直下、或いは太陽が沈む先=西方の奥には7つの門があり、それらを越えると埃臭く乾燥した土地「冥界」に辿り着くという。太陽神シャマシュが昼は地上、夜は冥界を照らす神として「西の門へ向かい天の奥に帰り、朝になると再び東の門から現れ地上を照らす」と崇められていたことからも、シュメール人は冥界がどこにあるのかについてその場所を特定していたようである。西方に冥界があるというのは、古代エジプトにおける「死者の町=ネクロポリス」や、仏教の西方極楽浄土にも見られる共通の考え方である。『イシュタルの冥界下り』における解釈は、神話全体を1つの式文であるとする見方が正しいといわれている。他、病人に対する快復祈願やイシュタルの神性に結びつけ、豊穣心願を示唆しているとの指摘も多い。
出典:wikipedia
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