千葉郡(ちばぐん)は、千葉県(下総国)にあった郡。1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、現在の行政区画では概ね以下の区域にあたる(公有水面埋立地を除く)。元禄期以前は、現在の習志野市域周辺や旧二宮町の一部が葛飾郡に属すなどしており、郡域が確定したのは元禄以降である。1954年8月1日に津田沼町が習志野町に町名変更。同日千葉市の一部(旧幕張町の北部)を編入(実質は合併)して市制を施行し、千葉郡を離脱。なお、市制の施行後、千葉市から編入した地域の一部を再び千葉市に分割している。これは、当時市制の基準であった3万人の人口を満たすための異例の措置だった(当初は津田沼町、幕張町、二宮町、大和田町などで大習志野市構想があったが頓挫)。最も複雑な経緯を取ったのが幕張町で、1954年7月6日に一旦は全町域が千葉市と合併。その後8月1日に実籾、安生津(現習志野市東習志野)、長作、天戸と馬加地区(現花見川区幕張町)の一部(屋敷)が習志野市へ。さらにその後8月28日に長作、天戸地区が千葉市に戻った。武石地区は一貫して千葉市に残っている。このような経緯に至ったのは、上記の人口の問題のほか、住民間における合併の議論が合意形成を行なわないうちに強引に合併を行ったことによる。また、津田沼町の大習志野市構想が頓挫したことも影響している。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。