弁当(べんとう)とは、携帯できるようにした食糧のうち、食事に相当するものである。家庭で作る手作り弁当と、市販される商品としての弁当の2種に大別される。後者を「買い弁」ということがある。日本国外でもとして日本式の弁当箱とともに普及し始めた。辨当、便当などとも書かれることも、まれにある。「弁当」は、「好都合」「便利なこと」を意味する中国南宋時代の俗語「」が語源ともされており、「」が日本に入り、「便道」、「辨道」などの漢字も当てられた。「辨(そな)えて用に當(あ)てる」ことから「辨當(弁当)」の字が当てられ、「辨當箱」の意味として使われたと考えられる。日本では、古くから弁当の習慣が起こり、他の諸国では例を見ないほどの発展を遂げていった。これは、日本で一般的に食べられるジャポニカ米が、インディカ米などと比べ、炊いた後、冷めてしまっても比較的味が落ちにくいという特徴を持つためであるとされる。伝統的な日本の弁当は、飯と肉料理、野菜、魚介類等の惣菜を主に、付け合わせとして梅干しなどの漬物を付ける。おにぎりや稲荷寿司等を詰めた弁当も人気が高い。弁当の具材は持ち運びがしやすい容器に入れられ、その容器は「弁当箱」という名で呼ばれる。英語では、日本語をそのままに「"」と呼ばれている。日本の伝統的な弁当は、それぞれの家庭でこしらえていくものであり、これは家事の1つとして重要な位置を占めていた。弁当の起源は平安時代まで遡ることができる。当時は「頓食(とんじき)」と呼ばれたおにぎりのほか、「干し飯(ほしいい)」または「糒(ほしいい)」と呼ばれる、調理済みの乾燥米が携帯用の食料として利用されていた。干し飯は小さな入れ物に保管することができ、そのまま食べる、あるいはこれを水に入れて煮るなどして食べられていた。安土桃山時代には、現代でも見られるような漆器の弁当箱が作られるようになり、この時代より、弁当は花見や茶会といった場で食べられるようになった。江戸時代になり、天下泰平の時代になると、弁当はより広範な文化になると同時に、優雅な文化となった。旅行者や観光客は簡単な「腰弁当」を作り、これを持ち歩いた。腰弁当とは、おにぎりをいくつかまとめたもので、竹の皮で巻かれたり、竹篭に収納されたりした。現代でも人気が高い弁当として、「幕の内弁当」があるが、これも江戸時代に作られ始めた。能や歌舞伎を観覧する人々が幕間(まくあい)にこの特製の弁当を食べていたため、「幕の内弁当」と呼ばれるようになったという説が有力である。そしてこの時代、弁当のハウトゥー本が多数出版されたという。雛祭りや花見に向けての準備を行う庶民のために、これらの本には弁当の具体的な調理方法や包み方、飾り方などが詳しく書かれていた。江戸などの都市では、折詰弁当専門店が現れた。明治時代、給食もなく、また現代のように外食施設が発達していなかったこの時代、役所に勤務する下級官吏や安月給のサラリーマンは、江戸時代からあるような腰弁当を提げて仕事に出掛けていた。そのため、彼らは「腰弁」などと呼ばれた。富国強兵政策を推し進める日本政府は、国民の健康を高めるために弁当普及を推進した。明治初期の学校では昼食を提供していなかったので、生徒と教師たちは弁当を持って来なければならなかった。鉄道駅で最初の「駅弁」が発売されたのも明治時代である。最初に駅弁の販売が始まった年に関しては複数の説があり、はっきりとは判らない。しかし一般的には、1885年(明治18年)7月16日に宇都宮駅で発売された、おにぎりと沢庵漬けを竹の皮に包んだ弁当が発祥とされている。また、折詰に入った駅弁は、1890年(明治23年)に姫路駅でまねき食品が発売したものが最初との説がある。サンドウィッチのようなヨーロッパスタイルの弁当が現れ始めたのも1898年(明治31年)からである。大正時代、学校に弁当を持って来る慣例を廃止する動きがあり、社会問題に発展した。第一次世界大戦とそれ以降に不作が続くと、東北地方からの都会への移住者が増え、所得格差が大きくなり、弁当に大きな貧富の差が現れた。当時の人々は、この現象が、肉体的な面からと精神的な面から、子供たちに好ましからぬ影響を与えるのではないかと考えたのである。昭和時代になり、多くのアルミニウムをアルマイト加工した弁当箱が開発された。壺井栄の小説『二十四の瞳』に描写されるように、それは目の覚めるような銀色をしており、またメンテナンスの容易さもあって、当時の人々から羨望の的となった。また、かつて小学校の冬の暖房装置にストーブ類が多用されていた頃は、持参したアルマイト弁当箱ごとストーブの上に置き、保温・加熱するということも行われた。昭和初期にはマニュアル本が多く出版されるようになり、栄養価を考え、弁当に入れるおかずのバリエーションも多彩になっていた。第二次世界大戦の後、多くの地域では学校の昼食は給食に切り替えられて、全ての生徒と教師に対し、用意されるようになった。これによって、徐々に学校に弁当を持参して来る習慣は少なくなったが、現代になって、食物アレルギーなどで食べられない食材がある人が食べられる食材だけを使った弁当を作ったり、行政がコストを削減させる目的で一部地域の学校では給食制度が廃止となり家から弁当を持って来る習慣が復活しているという。弁当の調理は家庭の主婦の仕事とされてきたが、女性が外に勤めに出ることも多くなったなどの事情もあり、コンビニエンスストアで買ってきたおにぎりや、パンを持参する生徒も多くなった。1970年代、駅弁は国鉄のディスカバー・ジャパンキャンペーンもあって、鉄道で観光旅行に出かける人が増えると、各地の素材や郷土料理を活かしたもの、観光地にまつわる物など、より多様なものとなった。中小規模の企業で、自前の食堂を持たないところを対象に、弁当を配達する業者も一般的となった。またこの時代、ジャー式の保温弁当容器が開発され、販売された。これが普及したことによって、職場や学校に弁当を持参していく者たちも温かい弁当を食べられるようになった。しかし、この容器はサイズが大きいという欠点があり、とても鞄の中に収まるようなサイズではなかった。したがって、昼に温かい弁当を食べるためには、鞄以外にもこの弁当容器を肩に提げて出掛けなければならなかった。また、落とすと容器の内部が破損してしまうという問題もあった。1970年代後半から1980年代にかけて、弁当は新たな市場にて登場した。1つは、持ち帰り弁当専門店(通称:ホカ弁)の台頭で、1976年(昭和51年)に創業したほっかほっか亭が、フランチャイズシステムで急激に伸びたことが挙げられる。もう1つは、急激に普及したコンビニエンスストアでの販売で、そこで販売される弁当は、店の電子レンジを使用して、いつでも温めて食べられることが売りとなった。同時に、スーパーマーケットの惣菜コーナーにも弁当が並ぶようになった。これらは、「弁当を持ち帰って食べる」という新しい流れを作り出した。また、都心部の、食堂が混む地域に、弁当を売りに来る業者も急増した。弁当の配達業者も、時間指定で温かいものを届けることを売りにするものが現れ始めた。これらの現象と呼応するように、ドカベン(土方が持つような大きな弁当箱)に象徴される金属製の弁当箱は、耐熱性プラスティックなどの弁当箱に変わっていった。平成時代へと突入した1990年代、日本のコンビニエンスストアに納入する弁当の製造工場は24時間体制で操業しており、多いものでは日産数万食にも及ぶ規模となっている。これらの弁当ではプラスチック製あるいは紙製の容器が用いられていることが多い。また、コンビニエンスストアが地方でも一般的になり、温かい弁当が一般化すると、駅弁でも化学反応を利用して加熱できるタイプのものが登場した。2003年(平成15年)頃から、空港で販売される弁当「空弁」がブームとなっている。乗客は空港での待ち時間や、飛行機に乗っている間にそれを食べている。これに対抗して日本道路公団は「速弁」を売り出した。2005年(平成17年)から名ナゴヤドームは「球弁(たまべん)」を売り出した。また、団体旅行や法事など、弁当に大量かつ一定の豪華さが要求されるような状況に向け、これらの製造に当たる仕出し料理店や料亭なども多い。仕出し弁当などの場合には上面に「御弁当」や「御料理」の文字の入った掛け紙が付けられていることも多い。20世紀末に(主に母から子への)愛情弁当の「キャラ弁」が流行し、外国でも''として知られるようになった。2007年(平成19年)頃から、低価格の250円弁当が路面店で売り出され、採算の合う大都市中心部で流行している。以前から低価格の弁当は存在していたが、カテゴリとして確立したのはこの頃である。2008年(平成20年)は、不況の影響もあり、節約のために弁当持参をする人が増えた。弁当男子という、独身男性が自ら弁当を作って持参する言葉が生まれた。さらに、1970年代に開発、発売された保温弁当容器も進化を遂げて、一昔前の大きな弁当箱というイメージは薄れ、男性用ビジネス鞄に入るスリムなタイプが登場した。近年は、女性向けに小型化されて、カラフルでおしゃれなタイプの保温弁当箱も登場している。折詰弁当店持ち帰り弁当のチェーン調理が済んだ食べ物を携帯する習慣は、世界中で見られる。例えば、最も簡単な形式では、チベットのツァンパのような物がある。台湾では日本統治時代に、駅弁も含めて弁当を利用する習慣が根付いていった。台湾の弁当は日本の弁当と異なり、必ず温かい状態で販売され、現在も台湾では市街地や国道沿いなどに多くの弁当店が店舗を構え、盛況を見せている。なお、台湾では「弁当」ではなく一般的に「」と表記されるが、「」という表記もみられる。池上米など、日本に近い品種の米が導入されたことも、台湾での弁当の普及に大きく関係しているものと推測される。韓国では、トシラクと呼ばれる駅弁を除くとあまり弁当はなかったが、それでもコンビニエンスストアでは弁当が売られている。近年では、各社がコンビニ弁当に力を入れており、種類も多様化している。パラオやミクロネシア連邦では、日本統治時代に「弁当」の単語が日本語からの借用語として現地語に取り入れられている。中国には、そもそも冷めた米を食べる習慣がなかったが、近年は米飯の入った弁当箱に料理を上から載せ、電子レンジなどで温めて食べるような習慣が形成されている。同じ中国内でも、上海等では、日系のコンビニエンスストア等を中心に、「弁当」の語源でもある「便当」として普及を狙い、現在では日本のものと似た弁当も売られるようになり、一般化しつつある。そのほかに長距離列車では、食堂車で調製された弁当()の車内販売が行われる。ベトナムでは、駅のホームや長距離列車でバインミーとともに弁当が販売されている。弁当はおかず数品に米飯という構成であり、車内販売用の弁当は食堂車で調製され、温かい状態のままスープとともに販売される。タイでは、ガパオライス(米飯の上に肉料理と目玉焼きを載せたもの)やパッタイ、タイカレーなど多種多様な弁当が販売されている。これらの弁当は、発泡スチロール製の容器に米飯を入れ、その上におかずを載せたスタイルが一般的であるが、バナナの葉やビニールに料理を包み、一口サイズにして販売されている弁当もある。マレーシアやインドネシアでは、箱に入った弁当はナシコタッ(Nasi kotak)、バナナの葉や紙に包まれた弁当は(Nasi bungkus)と呼称される。ナシブンクスは屋台や鉄道駅などでナシレマッ(Nasi lemak)やアヤムゴレン(Ayam goreng)などが販売され、これらの料理はバナナの葉やビニールコーティングされた紙の上に米飯とおかずを盛り、包んだ状態で提供される。インドでは、チャパティとカレーをダッバー(Dabba)と呼ばれる積み重ね式容器に入れて携帯する習慣が見られる。その起源はイギリス領時代の1890年代で、ムンバイのイギリス企業で働くインド人ビジネスマンに対し、自宅で家族が調理した昼食を勤務先へ届けるために考案された。フランスには、密閉容器にパンを入れる「ガメル」()と呼ばれる習慣はあったが、肉体労働者向けのイメージが強く、ホワイトカラーなどには無縁だった。フランスの労働者の昼食は弁当が一般的になるまではコース料理を時間をかけて食べるのが一般的であり、いわゆる「弁当」は日本のマンガを通して知られるようになった(それゆえに、日本の漫画を扱う漫画喫茶や書店には弁当箱も売っているところも多い)。更に、リーマンショック後の不景気と外資系企業の進出で会社員の昼休憩時間が削られる(平均で1時間30分が22分に)事になり、労働者の収入が減った為、特に中間所得層以下の労働者が対策として、安く(フランス人労働者の昼食コース料理が2700円前後、市販の弁当が1400 - 1700円程(2013年年末換算))簡便で早くコース料理が食べられるという事で弁当が普及し、イートインスペースがある弁当販売店や、弁当箱を皿代わりにしているレストランまで現れている。また、2016年3月より、パリのリヨン駅でJR東日本及び日本レストランエンタプライズとフランス国鉄の共同企画として、日本の駅弁5種類が販売された。当初は2カ月間限定の企画であったが、好評であったため販売期間が延長された。イタリアでは一部の鉄道駅で、パンやサンドウィッチに、小瓶のワインを合わせた食事セットが販売される鉄道駅がある。また、2012年4月に運行を開始したイタリアの高速列車イタロ(Italo)では、日本の駅弁を参考にしたイタロ・ボックスが有料で提供されている。アメリカ合衆国やオーストラリア、ニュージーランドなどでは、簡単なサンドイッチ(ピーナッツバターとジェリーのサンドイッチなど)や果物、チョコバーなどをランチボックスに入れ、昼食として携行する。ハワイではプレートランチ(Plate lunch)またはミックスプレート(Mixed plate)という料理のスタイルが一般的である。これは1枚の皿の上に米飯とマカロニサラダを盛り、残ったスペースにハワイ料理、アメリカ料理、、日本料理、沖縄料理、中華料理、韓国料理、フィリピン料理、ポルトガル料理などを起源とする多種多様なおかずを盛りつけた料理のスタイルで、弁当のように発泡スチロール製の容器に入れて販売されることもある 。このプレートランチは19世紀後半、サトウキビプランテーションでの昼食時に、日系人をはじめとした各国からの労働者同士が、弁当のおかずを分け合ったのが起源である 。このほかに、ハワイ・クレオール英語には「弁当」の単語が日本語からの借用語として取り入れられている。意味は「1人前の食事を持ち運ぶために詰めたもの」であり、前述のプレートランチとは区別されている。
出典:wikipedia
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