不敬罪(ふけいざい)とは、国王や皇帝など君主や、王族や皇族など君主の一族に対し、その名誉や尊厳を害するなど、不敬とされた行為の実行により成立する犯罪。絶対君主制など、主権者たる君主と国家の存立を同一視する体制において定められることが多い。現在では、法の下の平等や思想・良心の自由、表現の自由の観点から、君主制を採用している国でも廃止・失効している場合がある。サウジアラビアなどのイスラム諸国やタイ王国は、現在も不敬罪が存在する数少ない例である。日本では不敬罪は、1880年(明治13年)に公布された旧刑法(明治13年太政官布告第36号)において明文化された。この規定は、1907年(明治40年)に公布された現行刑法(明治40年法律第45号)に引き継がれた。その後、不敬罪(74条、76条)を含む刑法第2編第1章(「皇室ニ對スル罪」、73条から76条まで。)は、1947年(昭和22年)に削除されている。不敬罪で起訴になった最後の事件は、1946年(昭和21年)5月1日の飯米獲得人民大会におけるプラカード事件。この刑法第2編第1章には、不敬罪のほか、天皇・皇族等に対して危害を加える行為(未遂を含む)を加重処罰する罪(73条、75条)も定められていた。危害罪も含めた「皇室ニ對スル罪」全体を不敬罪と呼ぶこともある。不敬罪の客体は、次の5種に分けられる。不敬罪の実行行為は、これらの客体に対して「不敬ノ行為」(不敬行為)を行うことである。不敬罪の法定刑は、第一から第四の客体に対する罪は「3月以上5年以下の懲役」とされ、第五の普通の皇族に対する罪は「2月以上4年以下の懲役」とされた。不敬罪の客体のうち「ジングウ」は、伊勢神宮を指すのが通例だが、熱田神宮、橿原神宮、香取神宮など「神宮」と名付く神社も含まれると解された。また、同じく「皇陵」は、かつて天皇に在位した歴代の天皇の墳墓と解された。なお、現在でも礼拝所不敬罪という罪名があるが、これは単に墳墓や神社仏閣の境内、教会堂全般に対する保護のためのもので、皇室とは直接関係ない。不敬罪の保護法益は、客体が体現(象徴)する国家の名誉と尊厳、および客体自身の名誉と解された。そのため、不敬罪は、一般人における名誉毀損罪や侮辱罪等、名誉に対する罪の一種とされた。しかし、「不敬ノ行為」(不敬行為)は、これら一般人における名誉に対する罪の実行行為よりも広い範囲の行為を含むとされた。また、名誉毀損罪等が親告罪とされるのに対して、不敬罪は非親告罪とされた。不敬行為とは、客体に対する軽蔑の意を表示し、その尊厳を害する一切の行為を指すとされた。客体の行為の公私の別・即位の前後・事実の有無・事実の摘示の有無に関係なく、これら全てについて一切の行為、上は実際の名誉毀損・侮辱行為から下は神聖性(現人神であること)に疑問を持つなどまでである。また、その行為は、第三者から認識し得ることを要するものの、公然・非公然の別を問わないため、日記の記述を不敬行為とした判例もあり、適用範囲はきわめて広かった。積極的な行為でなくても、要求される敬意を払わないというようなことでも不敬行為とされた。もっとも、歴代の天皇に対する不敬行為は、それが同時に現在の天皇に対する不敬行為にあたる場合を除き、不敬罪は適用されず、ただ死者に対する名誉毀損罪(230条2項)の適用の有無のみが問題とされた(注:死者に対する名誉毀損罪は、「虚偽の事実を摘示することによってした場合でなければ」(現代語化改正前の法文は「誣罔ニ出ツルニ非サレハ」)、処罰されない)。現行法律下では告訴権者が「天皇、皇后、太皇太后、皇太后又は皇嗣」であるときに内閣総理大臣が代わって名誉毀損罪や侮辱罪の告訴を行うことができるのみで、適用される法律自体は一般国民に対するそれと変わらない(刑法232条2項・同条1項、同章)。刑法第二編第一章は、1947年(昭和22年)に削除されている。旧刑法にも同様の規定がある。罰金刑を定めていた点、及び、監視に関する規定を持つ点が異なる。1891年(明治24年)5月、日本を訪問していたロシア帝国の皇太子ニコライ(後のニコライ2世)が、滋賀県大津市で警備の巡査・津田三蔵に突然斬りかかられて負傷する暗殺未遂事件が発生した。その事件処理に際して、大国ロシアを恐れた政府は大審院に対し、皇室に対する罪を適用して処断するよう圧力をかけた。しかし、大審院は、「皇室に対する罪は、外国の皇太子に対する行為については適用されない」として、一般の殺人未遂事件として処理し、司法権の独立を保った。このとき政府から適用するよう求められた罪は、不敬罪ではなく皇族に対する危害罪(旧刑法116条)である。サウジアラビアでは国王や王族のみならず、預言者ムハンマドを侮辱した場合でも不敬罪に問われる。2012年2月、サウジアラビア国内で若手ジャーナリストハムザ・カーシュガリーがムハンマドに対して「私はあなたについて好きなところも嫌いなところもある。それに理解できない面もある」「私はあなたのために祈りを捧げない」とTwitterでつぶやいたところ、預言者ムハンマドを冒涜したとして国内において死刑を求める声が高まった。彼はマレーシアへ亡命せざるを得ず出国したものの、マレーシアの空港で身柄を拘束された。その後約二年間にわたって拘留されたが、2013年10月に突如釈放された。タイ王国における不敬罪は、刑法第112条によって定められている。1956年制定の当初は、刑期を「7年以下」と規定していたが、1978年のクーデター後、「国家統治改革団」の命令41号によって下限・上限が広げられ重罰化された。この条項に書かれている行為を行うことは、一般に「ご威光を侮辱する () 」と表現され、「ご威光を侮辱する罪(すなわち「不敬罪」、)」とされる。また、外国の君主、妃、王配(皇配)あるいは元首を侮辱した場合も、別の条項によって罰せられる。「ご威光を侮辱する」の範囲は明確ではなく、“公然と敬意を表さないこと”をも含めるか否かで議論がある。2006年のクーデターの反対運動を行っていた政治活動家のチョーティサック・オーンスーンは、同様に映画館でタイの王室歌が流れた際に起立しなかったため、不敬罪で2007年に起訴されたが、その際に表敬しないことは有罪ではないという旨の主張を行い、その友人らはチョーティサックの主張を受けて無罪を主張する署名活動を行っている。2009年1月には、2300もの国内ウェブサイトが王室侮辱の廉で、タイ情報技術通信省により閉鎖させられた。同年8月にはタクシン派組織「反独裁民主戦線」の幹部、ダラニー・チャーンチェンシラパクンが集会における国王批判(表敬をしなかったという理由ではない)で禁固18年の刑を宣告され控訴している。2015年12月には国王の愛犬トーンデーンをフェイスブックで中傷したとして、27歳の男性が逮捕され、また「プラチャタイ」の掲示板に書き込まれた王室批判に対処しなかった廉で、担当管理者が執行猶予つきの有罪判決を受けた。一方でマグサイサイ賞受賞者で、弁護士のトーンバイ・トーンパオは、表敬するように要求があった場合に表敬しないことは罪であると主張し、過去には王室歌が流れたときに起立しなかったチュラーロンコーン大学の学生が、2年間の禁固刑を受けていることを指摘している。首相を務めたアピシット・ウェーチャチーワは「過去の事件で政治的に不敬罪が濫用されていた」と、懸念を示している。
出典:wikipedia
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