


新宿コマ劇場(しんじゅくコマげきじょう)とは、東京都新宿区歌舞伎町一丁目にあり、1956年(昭和31年)12月28日から2008年(平成20年)12月31日まで株式会社コマ・スタジアムによって運営されていた劇場である。「演歌の殿堂」として広く認知され、数々のミュージカル作品も上演された。コマ劇や新コマとも言う。映画館の「新宿コマ東宝」と「シアターアプル」(劇場としても使用される)を併設していた。定紋は独楽(コマ)。閉館時の物は3代目で、運営会社であるコマ・スタジアムの社章を兼ねていた。当劇場があった場所は元々、1950年(昭和25年)に開催された『東京産業文化博覧会』のアトラクションの一つであった「児童館」「野外劇場」の一部だった。博覧会閉会後は東宝が跡地を購入するも、当時の東宝は自社の劇場建設に消極的だったという。その後、関連子会社として1956年(昭和31年)2月にコマ・スタジアムが設立。大阪・梅田にあった梅田コマ・スタジアム(梅田コマ劇場の前身)の姉妹劇場として当劇場が建設され、同年12月28日に開場した。開場当初は「新宿コマ・スタジアム」と呼称していた。阪急・東宝グループの創始者である小林一三が抱いた「新しい国民演劇(新歌舞伎)の殿堂を作る」という理念に基づいて創設し歌舞伎町の地名のもととなった。客席数2,088席は首都圏で最大級であった。開館日のプログラムは、Todd-AOシステムにより撮影された洋画作品『オクラホマ!』(監督フレッド・ジンネマン)の上映だったが、その後はミュージカル公演に力を入れ、1980年代には千葉真一率いるジャパンアクションクラブ ("JAC" ) がミュージカル『スタントマン物語』、『ゆかいな海賊大冒険』、『酔いどれ公爵』など毎年上演し、『アニーよ銃をとれ』、『努力しないで出世する方法』、『南太平洋』、『ピーターパン』など、新宿コマ劇場を日本初演の地として行われてきた。「演歌の殿堂」という異名でも知られる劇場で、北島三郎・小林幸子・氷川きよしの特別公演が開催されて来た。演歌歌手又は演歌歌手志望で芸能界に入った者にとってはベテラン・若手問わず、いつかはこの観客席を満員にしてコンサートや座長公演を行うのが夢という憧れの舞台であり、その知名度の如何に問わず数多く存在していた。演歌以外のアーティストでは、1975年 - 1980年の毎年8月下旬に山口百恵が「百恵ちゃんまつり」と題した2部構成の公演を行なった。1975年のものは彼女にとっての初ワンマンイベントでもあった。またYMOが「ウィンター・ライヴ1981」の12月22日から24日までの3公演を新宿コマ劇場で行い、その模様はDVDで見る事が出来る。また、サザンオールスターズも、1984年から1985年にかけてのカウントダウンライブを行ったことがあり、現在まで続くサザンのカウントダウンライブのはしりとなった。さらには、80年代後半におけるトップアイドルであった浅香唯も、この新宿コマ劇場にて1988年7月22日にコンサートを行った。また、演歌歌手を志していた声優でもある水樹奈々も閉館直前の2008年10月11日に公演を行っている。尚1958年には第9回NHK紅白歌合戦が開催されたが、円形のステージや観客からの凄まじい声援、さらにテレビの音響技術の未成熟さから演奏が聞き取れずに歌がずれてしまう等「コマ劇場の使いにくさ」が歌手サイドや局関係者から指摘され、以後の紅白は開催されていない。平成に入って以降、毎年12月31日(大晦日)にはテレビ東京系列とBSジャパンで放送されている『年忘れにっぽんの歌』の生中継が行われていた事でも知られている。かつては、6月中旬に行われていた「ドリームジャンボ宝くじ」の抽選会の会場としても知られていた。ギリシャ時代の劇場様式からヒントを得た回り舞台が大きな特徴であった。新宿コマ劇場の「コマ」は、円形舞台が独楽(コマ)の回る姿に似ている事から付けたという。舞台は同心円状に配された三重の廻り舞台と6つの小ゼリによって構成され、これらの回転と上下運動によって多種多様な舞台効果を生み出せるのを特徴としていた。開場以来幾多の改良・改修を重ね、客席・舞台機構共に充実にしたものになっていた。新宿コマ劇場は1970年代に全盛期を築き、ピーク時には年間100万人を超える動員力を誇った。だが1990年代には演歌の人気低迷が深刻化し、運営会社の株式会社コマ・スタジアムは、同社の中心的な事業である演劇事業の収益が低迷するようになっていた。同社は2003年11月に経営再建計画を発表し、基幹劇場を新宿コマ劇場1館に集約すること、従業員を3分の1程度にまで減らすことなどにより利益を出せる体制に移行することを試みた。だがその後も従来型の演歌公演のほうは観客動員数が減少し、さらに新たに企画した公演のほうも期待したような成績が出せず、2期連続で損失を計上することになった。また新宿コマ劇場は築後半世紀が過ぎており老朽化が進んでいた。 2005年(平成17年)5月、新宿コマ劇場の運営主体であるコマ・スタジアムとアミューズ、阪急電鉄は業務提携を行い、アミューズがコマ・スタジアムの第三者割当増資を引き受ける事で阪急電鉄、東宝に次ぐ第3位の株主となった。コマ・スタジアムは、東宝と新宿区歌舞伎町再開発事業について協議をしていたがそれが合意に達し、2008年5月28日に「築51年が経ち、建物自体の老朽化が進行し、また入場客数の減少に歯止めがかからず業績が低迷している」とし、同年大晦日の『年忘れにっぽんの歌』の生放送を以て新宿コマ劇場を閉館する事を発表した。2008年5月の段階では、閉館後は東宝の支援を受けて同時に閉館予定の隣接する新宿東宝会館(映画館の「新宿プラザ劇場」が入居している)を合わせた約5385mの敷地の総合的な再開発が展開される予定だと報道された。この劇場は阪急阪神東宝グループの一員であり、東宝とは別の会社としてされていたが、2008年12月の時点で東宝の100%完全子会社になった。これは、同月末に予定された新宿コマ劇場の閉館と、新宿コマ劇場が立っている土地は東宝が所有者で、その上の建造物を所有するコマ・スタジアムはその借地権を有しているという事情もあったので、株式会社コマ・スタジアムを東宝の完全子会社化することで、跡地の再開発事業をコマ・スタジアムと共同で行う意図があったのである。2008年12月22日夜にはNHK総合テレビが「さよなら新宿コマ劇場~涙と笑いの50年」という特番(19:30 - 20:45)を放送した。主催公演としては12月の「愛と青春の宝塚」が最後のものとなった。閉館当日の2008年12月31日には「第41回年忘れにっぽんの歌」が生放送され、北島三郎、五木ひろし、八代亜紀などの常連らは舞台で歌唱しつつ同劇場に別れを告げることになり、同番組のエンディングで「新宿コマ劇場 52年間夢をありがとう」のテロップが表示された。同日の第59回NHK紅白歌合戦においては、「年忘れにっぽんの歌」終了後の撤去作業中の様子が生中継された。その後の状況としては、2008年5月の記者発表時の予定どおりには進んでおらず、新宿三丁目駅付近のシネマコンプレックス(東映運営の新宿バルト9、ならびに松竹運営の新宿ピカデリー)に客足を奪われたりしていた。閉館から2年以上たった2011年(平成23年)3月10日から新宿コマ劇場の解体工事が始まった。解体工事は隣接する新宿東宝会館とともに行われ、約1年をかけて行われた。2011年7月11日、東宝が新宿コマ劇場及び新宿東宝会館の跡地に複合インテリジェントビル「新宿東宝ビル」を建設することを発表した。地上31階地下1階建てで、高さ130m、延べ床面積は55,390平方メートルとなり、1階と2階に飲食店、3階から6階にTOHOシネマズが運営する12スクリーン約2500席の都内最大級となるシネマコンプレックス「TOHOシネマズ新宿」、9階から31階に藤田観光が運営する約1030室のホテル「ホテルグレイスリー新宿」などが入居、2015年4月17日に完成・開業した。一方でコマ劇場の中核だった演劇場は収益性が低いとして入居が見送られている。また、TOHOシネマズ新宿ではIMAXシアターを同シネマズ史上初めて導入している。
出典:wikipedia
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