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ドリアン助川の正義のラジオ!ジャンベルジャン!

ドリアン助川の正義のラジオ!ジャンベルジャン!(ドリアンすけがわのせいぎのラジオ ジャンベルジャン)は、ドリアン助川(現TETSUYA、明川哲也)がパーソナリティを務めたニッポン放送制作の深夜ラジオ番組である。1995年10月14日から2000年3月18日までの4年6か月間に放送された。なお、ニッポン放送ではベネッセコーポレーションが単独スポンサーであり、その際に『進研ゼミ青春チャレンジタイム』と冠がついていた(「#CM」も参照)。ロックバンド・叫ぶ詩人の会(1999年に活動休止、解散)のヴォーカリストの助川が生放送中に様々なリスナーの若者と電話で会話をする番組で、若年層からカルト的な人気を獲得した。『ゲルゲットショッキングセンター』とともに1990年代後半のニッポン放送を代表する番組と位置づけられる。題名の「ジャンベルジャン」は『レ・ミゼラブル』の主人公ジャン・ヴァルジャンのパロディである。助川が毎週10名程度のリスナーと電話越しで一人一人会話をする。主に10代のリスナーからの電話が多かった。また原則リスナーからの手紙などのメッセージを読む以外、他に企画は行わない。当初は関東ローカルのみの放送だったが、新聞など様々なメディアで取り上げられ話題となり、全国ネットとなっていく(#放送時間とネット局参照)。番組に掛かる電話は1時間に1万コールを超えることもあったと助川は振り返っている。一部番組リニューアルを行った1999年(#構成参照)からは、ポエトリーリーディング選手権というリスナー同士のポエム対決が行われていた。リスナーとの会話の内容は様々な悩みや困難に関する相談が目立った。例として以下が挙げられる。恋愛、セックス、いじめなど、若者の様々な重い悩みや問題を取り扱った。大人のみを対象としたそれまでの人生相談(『テレフォン人生相談』等)とは確実な差異が有る。また子供を対象とした『全国こども電話相談室』とも確実に異なっていた。会話は短い時間で終了する時もあれば30分近く続く時もあり、明確な規定を設けずに柔軟に行なわれた。普通ならば「頑張れ」「頑張って」等の奮起を促す言葉を会話の締め括りに言いそうなものだが、助川は極力「頑張れ」とは言わなかった。これは「最初から頑張って生きている人に対して安易に「頑張れ」と言うのは筋違いだし失礼だ」との気持ちがあったためである。(これは精神医学的にも正しく、うつ病等の心が疲れている人・深い悩みを抱えている人に対して安易に『頑張れ」と声を掛けるのは、ただ本人を追いつめるだけの行為になるので避ける方がよい)助川は売春などの社会通念上、倫理上決して好ましくないとされる行いをしている人に対して、決して「それは駄目だ」と叱ったり怒ったりする事は無かった。一貫して感情を抑えて冷静沈着に言葉を選んで話をしていた。しかし、「金が欲しいので彼女に売春させようか迷っている」という相談が来たときはさすがに激怒した。友人が居ないと嘆く人に「ならば俺が友人になる。後で俺の住所と電話番号を教えるから、内容は何でもいいから、俺に手紙を書くなり電話をかけるなりして欲しい」と言う時もあった。苦しんでいる聴取者に対しわざわざここまで暖かく接するラジオDJは珍しいとされる。大学医学部付属病院の医師をゲストに招いてセックスや性病等の性に関する相談を特集した日もあった。この中で女子高校生から「妊娠したかも知れない」との相談があり、暫く話をした後に助川が「君の彼氏は君と(性行為を)する時はいつもコンドームを装着しないの?」と尋ねると、女子高生は実は同じ高校の男子生徒二人に輪姦されたと告白した。助川は少し動揺しながらも、やはり冷静に回答した。誰にも相談できなかった深刻な悩みを助川にだけ電話越しで打ち明ける若者が多かった。また、白血病を患った女子学生が何度も登場。普通なら精神的にも参ってしまいそうな状況の中、その少女の明るい声、そして闘病中にも勉強し続け大学に合格するなどの前向きな姿勢に大きな反響があり、番組には少女に対する応援メッセージが多数寄せられた。その他、助川が主宰する叫ぶ詩人の会のライブにも駆けつけるなど番組の看板ともなった時期もあったが、その後亡くなった。助川は涙しながらそのことをリスナーに伝え、その少女の特別番組を放送した。(#外部リンク参照)助川はこの事を期にドナーに登録。後に公共広告機構(現:ACジャパン)の「20歳からのドナー登録」を呼びかけるCMのナレーションを務めた。本番組は決して人生相談専門の番組ではなかった。深刻な悩みや問題を抱えた人以外からの電話も受け付けていた(番組1本目の電話はこのような内容が多かった)。例として以下が挙げられる。ニッポン放送では進研ゼミ(ベネッセコーポレーション)が単独スポンサーであり、高校生を描いたラジオドラマ仕立ての変わったCMが流れた。勉強、部活、恋愛、友情、遊び等をユーモラスに描いた内容であり、商品の宣伝は一切ない。締めで「進研ゼミ、高校講座」と出演者が言う。なおネット局では、『進研ゼミ青春チャレンジタイム』のコールの箇所は間のある無音で、CMは別スポンサー、またはBGM(フィラー)に差替えられていた。ただし、末期になるとネット局でも進研ゼミがつくようになり、コール音もネット局でも聞けるようになった。全く無名の歌手の深夜番組が若年層から熱い支持を集めたため、マスコミから「若者のカリスマ」「若者の救世主」と絶賛された。特に1990年代後半は少年犯罪や援助交際等の若者を巡る無視できない問題が物議を醸していた。その中で様々な若者のリアルで衝撃的な悩みや問題に真っ向から取り組んだ本番組は広く注目を集めた。1997年秋に叫ぶ詩人の会のメンバーが覚醒剤の不法所持で警察に逮捕された。マスコミは「何が正義のラジオだ」「裏切られた」「所詮は救世主気取り」と助川を厳しく批判した。面白半分で助川を馬鹿にする者も居た。留意したいのは、罪を犯したのはバンドの成人のメンバーであり保護者でも親族でもない助川は断じて無関係であると言う点である。それでも助川は責任を感じ番組全編に渡り涙を流し謝罪、バンドの活動休止を宣言した。STVラジオ「ラジオ自由席」に出演したときも、そのことについて語っていた。話題を呼んだ番組なので他のラジオ番組で話題になる事も少なくなかった。パーソナリティが少し真面目な相談の手紙を読んだり少し真面目な内容の話をして、「何だか『正義のラジオ』みたいだな」と漏らす事もあった。そして本番組の趣旨をそのまま模倣して聴取者から悩み相談の手紙を募ると言う企画を立てた番組も実在した(叫ぶ愚人の会など)。企画の冒頭でピストルズの『アナーキー-』を流すのである。当初、助川は深夜番組を任されると知った時には、谷村新司や笑福亭鶴光のような下ネタを炸裂させるような話術を磨かなければならないのかと思っていたほどで、人生相談を受ける立場になることは全く想定していなかった。そのため毎週様々な重い悩みや問題と格闘した助川を襲う精神面での重圧と負担は相当大きく、助川自身も「疲弊し、心から相談に乗ってくれる人を探していた」と後に述べている。放送終了後の2000年3月に助川は渡米してニューヨークで暮らし、芸名は旧名にミドルネームを入れた「ドリアン・T・助川」に改名した。しかしながら、そこで得た日本とオーストラリアの新聞社(日系紙)からの仕事内容も人生相談だったと語っている。2002年9月に帰国して芸名を本名でもある「TETSUYA」に再改名した。執筆活動では「明川哲也」のペンネームを用いている。現在は音楽活動を休止しており、もっぱら明川哲也名義で活動している。2009年10月よりニッポン放送モバイルサイトにて「オールナイトニッポンモバイルスペシャル ドリアン助川のジャンベルジャン」として復活した。『ジャンベルジャン!』を始めて以降、助川いわく自身には人生相談の仕事しか来なくなり、前述の通りニューヨークに移り住んでも舞い込んだほどで、遂には2015年4月より『テレフォン人生相談』のパーソナリティを受けるにまで至ったとも述べている。

出典:wikipedia

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