いのくま まさお(1939年9月28日 - )は、日本の元映画カメラマン。満州出身。1972年までは、本名の「猪熊雅太郎」名義でのクレジットが確認されている。山口県にある実家の菓子店を継ぐべく、上京して菓子職人としての修行を積んでいたが、撮影の仕事に関心を持ち映像業界に転身。ムービーカメラのレンタル会社を経て、劇映画の撮影を希望して東映に入社したが、邦画が斜陽の時代をむかえていたため、空きのあった東映テレビプロダクションの撮影部に入る。『特別機動捜査隊』などに携わった後に、『東京ロマン 花と蝶』で、カメラマンとして一本立ちする。その後、東映テレビプロが制作した『人造人間キカイダー』に1番若手であったという理由で参加する。以後は、主に東映の特撮番組の撮影を多く担当した。特撮ヒーロー番組のエンディングのスタッフクレジットで最初に表記される事が多く、低年齢層でも読みやすい平仮名でもあるため、名前は広く知られている。『バトルフィーバーJ』から『星獣戦隊ギンガマン』終盤までスーパー戦隊シリーズのカメラマンを担当する。その後は『がんばれ!!ロボコン』に参加経験があることから『燃えろ!!ロボコン』を担当し、そのまま後番組である『仮面ライダークウガ』以降の平成仮面ライダーシリーズに参加した。平成仮面ライダーシリーズの第一作『クウガ』から『鎧武』までの全てに撮影監督として皆勤で参加を果たしている唯一の人物だった。2012年には『特命戦隊ゴーバスターズ』にて13年半ぶりに戦隊シリーズのテレビ作品で撮影監督を担当している。2014年3月公開の映画『平成ライダー対昭和ライダー 仮面ライダー大戦 feat.スーパー戦隊』を手掛けるなど、74歳を越えても第一線で活躍していたが、『仮面ライダー鎧武』第32・33話(石田秀範監督組)をもって撮影監督を引退した。東映プロデューサーの白倉伸一郎によれば、当初は『仮面ライダーウィザード』最終話で引退を表明していたとのことである。しかし「いのくまさんにもぜひ参加していただきたかった。『ウィザード』の最終回をもって、ご本人は引退の意向を示されていたんですが、『そうおっしゃらずに』とお願いして、引き受けていただきました。あわよくば、これからもなし崩し的に…と思っていますが(笑)」と、白倉の三顧の礼をもって迎えたことにより『仮面ライダー大戦』の撮影監督として参加が決定した。多く俳優から慕われており、特に若手からはいのくまから色々なことを教わったという声が多い。助監督が監督へ昇格してゆく様を多く見守っており、諸田敏をはじめとして監督デビュー作をいのくまが担当したスタッフも多い。
出典:wikipedia
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