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メリーランド (戦艦)

メリーランド (USS Maryland, BB-46) は、アメリカ海軍の戦艦。コロラド級の2番艦である。同級では唯一ワシントン海軍軍縮条約までに竣工した。艦名はアメリカ合衆国7番目の州にちなむ。その名を持つ艦としては3隻目にあたる。名前の上では2番艦だが上記の通り最初に竣工したためネームシップと見なされることがある。メリーランドは1917年4月24日にバージニア州ニューポート・ニューズのニューポート・ニューズ造船所で起工し、1920年3月20日にE・ブルック・リー夫人(メリーランド州監査役の妻)によって命名、進水し、1921年7月21日に初代艦長C・F・プレストン大佐の指揮下就役した。真珠湾攻撃の際には、内側に係留されていたために魚雷攻撃はうけず、数発の爆弾の直撃を受けたのみであり、損傷は軽微であった。以後メリーランドはタラワの戦い、クェゼリンの戦い、サイパンの戦いに参加。1944年10月にはレイテ島の戦いのため第7艦隊に属し、スリガオ海峡海戦では戦艦山城以下の撃沈に貢献。しかし11月29日、陸軍特別攻撃隊靖国隊の一式戦「隼」が突入し主砲塔に命中、大破炎上、31人が死亡し30人が負傷した。メリーランドは修理のため12月18日に真珠湾に帰還した。メリーランドは沖縄戦のため1945年3月初頭に復帰し16日にウルシー環礁に到着、モートン・デヨ少将の第54任務部隊に所属した。日本海軍が戦艦大和を旗艦とする沖縄上陸作戦、菊水作戦が実施されようとしていた。レイモンド・スプルーアンス大将とデヨ少将は、大和に対する、恐らくはこの戦争における最後の艦隊決戦を望んでいた上に、第54任務部隊に加わっている大勢の士官たちもまた大和との対決を望んでいた。そのため、大和との「会敵が予想される直前」、メリーランドにはまたしても特攻機が突入し3番砲塔に直撃して使用不能に陥った。だが、メリーランドの艦長も乗員たちも、大和との対決を望んで戦列を離れようとせず、デヨ少将から報告を求められた際に、「戦闘航海に支障なし」と嘘をついて損害を隠した。しかし、メリーランドがこの特攻機の攻撃を受けたのは4月7日の夜であり、すなわち大和は坊ノ岬沖海戦で戦没した後であった。メリーランドの艦長や乗員、並びにその上官であるデヨ少将らは、この特攻攻撃の後に、大和がマーク・ミッチャー中将指揮下の第58任務部隊によって沈められていたことを知ることになる。メリーランドは戦争を生き延び、1947年4月3日に退役しスクラップとして売却されのちに解体された。メリーランドは第2次世界大戦において第二次世界大戦の戦功により7個の従軍星章を受章した。

出典:wikipedia

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