租税法律主義(そぜいほうりつしゅぎ)とは、何人(なんびと)も法律の根拠がなければ、租税を賦課されたり、徴収されたりすることがないとする考え方。現在、全ての民主主義国家では、国民の代表者から成る議会が定めた法律によってのみ租税が賦課される。これを、租税法律主義と称する。言い換えれば、課税権者(国家)に対して、被課税権者=国民(の代表である議会)の同意に基づく課税を義務付けるという形を採っている。法治主義の現れでもある。国家が様々な公共サービスを提供するための資金調達手法として最もオーソドックスな税金の賦課は、ものである。この手法は、国家が国民の私有財産の一部を義務的・強制的に提供させるという側面があることから、その賦課や徴収の方法を法律という一定のルールの下に置こうとするものであり、近代民主主義国家の発展とも密接な関係をもつ。租税法律主義は法律によらない課税を禁止した形式的租税法律主義と基本的人権に抵触する租税立法を禁止した実質的租税法律主義の2つに分けることができる。前者は形式的法律主義、後者は実質的法律主義に対応する。現在の民主主義国家・資本主義国家においては、租税法律主義で言う租税法は自由主義的税法の性格を持つことが要求されている。地方税に関しては租税条例主義・地方税条例主義と言われる。租税法律主義の機能は、租税の納付を求められる国民が、その経済生活において「法的安定性」と「予測可能性」を確保することにある。租税法律主義は近代民主主義の発展とともに確立したが、それと同時に議会制民主主義と法治主義の発展を促した側面もある。市民階級の抵抗から国王は市民の代表である議会の同意がなければ課税できないとする原則が定着していった。租税法律主義は最初にイギリスで確立した。1215年、イングランド国王ジョン(欠地王)が貴族たちとの戦い(第一次バロン戦争)に敗れ、マグナ・カルタを受け入れた。マグナ・カルタ12条には一般評議会の同意がなければ国王は直属の臣下から楯金(軍役免除税)や援助金(上納金)を課すことができないことが定められた。ジョンの息子で後を継いだヘンリー3世はマグナ・カルタを破ろうとしたが、第2次バロン戦争で国王を破った貴族たちが自治体の代表者も交え議会を開いた(シモン・ド・モンフォールの議会=庶民院の起源)。ヘンリー3世の跡を継いだエドワード1世(長脛王)は財政難から増税のために度々議会を開き、議会の賛同を得てから徴税を行った。こうしてイングランドの租税法律主義と身分制議会は発展していく。1682年、イングランドの議会は国王チャールズ1世による法律無視に対して、「権利の請願」を提出する。これはマグナ・カルタ以来の慣例法をまとめたものだが、議会の一般的同意がない財産の収奪や身体の拘束をすることを禁じており、租税法律主義と罪刑法定主義が不可分なものとして強調されている。チャールズ1世は戦争のために増税や徴兵などを行っていたが、この議会からの要求に屈服させられた。1689年には、ウィリアム3世 ・メアリ2世 が、議会の認めた以外の方法で金銭を徴収することを禁じた「権利の章典」を受け入れた。7年戦争(フレンチ・インディアン戦争)後、イギリスの植民地であった北アメリカ大陸の13植民地では住民に過酷な税が課された。1775年、これに反発したパトリオットらが アメリカ独立戦争を起こす。1776年6月12日、「権利の請願」「権利の章典」に参考にして「バージニア権利章典」が制定された。同6条では「代表なくして課税なし」の原則に基づいて、代表者の同意なく課税をすることが禁止されている。フランス大革命によって制定された「フランス人権宣言」では、課税の平等(13条)と恣意的課税の禁止(14条)が規定されている。フランス人権宣言はバージニア権利章典の影響を受けているとされている租税法律主義は、明治維新と共に日本にも伝わり、大日本帝国憲法の21条と62条にも採用された。伊藤博文著憲法義解は大日本帝国憲法第62条の租税法律主義を次のように解説している。「新に租税を課するに当たっては、議会の協賛を必要とし、之を政府の専行に任せないのは、立憲政の一大美果として直接臣民の幸福を保護するものである。蓋し、既に定まった現在の税の外に、新に徴税額を起し及び税率を変更するに当たって、適当な程度を決定するのは、専ら議会の公論に依頼せずにする事は出来ない。もし、この有効な憲法上の防範がなければ、臣民の富資はその安固を保証する事が出来ない。」憲法制定以前に勅令・大政官布告で定められていた租税(所得税・酒税など)は63条で事後的に承認された。日本の租税法律主義は日本国憲法第84条に引き継がれている。このように租税法律主義は近代憲法の諸規定において重要な内容のひとつとなっている。現在では全ての民主主義国で租税法律主義が採られている。納税の義務は近代の民主主義国家では租税に関する最も基本的な原理となっている。例えば、第二次世界大戦後の日本ではに、この考え方が表されているとともに、として、納税の義務は法律の規定に基づく国民の義務であることを明確に示している。。国民はなぜの納税の義務を負わないといけないのかを根拠づける考え方を租税根拠論と言う。近代には学理的に2つの租税根拠論が存在したが、これは他の法学分野(例.刑法学における古典学派と近代学派)における論争と同様に双方の一面的な主張であることに注意を要する。租税の根拠については、従来の議論に加えて、現代的には、一般的施策実施必要性(社会取引保証税(=消費税)等),個人および団体の行為活動の社会的影響(法人課税各種,自転車税(未実施),ペット税(未実施),モバイルホン税(未実施)等)を考察しなければならない。後者については、自転車の不注意運転による事故の増加,ペットの糞尿害・ペットの廃棄,スマートフォンによるさまざまな対人トラブルおよび事故の処理に関して、税金が少なからず使われている事実がある。この2つの説は福祉国家的な民主主義観を前提として、民主主義国家の主権者=国民は国家の維持に必要な経費を代表者が定めたところに従い自ら負担すべき、と考える民主主義的租税観に止揚した。日本国憲法第30条は国民主権主義(納税者主権主義)と基本的人権尊重主義の両方を内包したうえで租税法律主義を意義づけたものであるから、日本国憲法は国民主権主義的な租税観を示しているといえる。実質的租税法律主義の具体的な内容として、以下の諸原則を掲げることができる。形式的租税法律主義の具体的な内容として、以下の諸原則を掲げることができる。合法性の原則(税務行政の合法律の原則)は課税要件が充足されている限り、租税行政庁(課税庁)には租税を減免したり、租税を徴収しないというような自由はなく、法律で定められたとおりの租税を徴収しなければならないとする原則。課税における法律の留保の原則や法律の優先の原則の表れ。租税正義の要請。この原則によって、課税における税務官庁の裁量行為(行為裁量)を排除した覊束行為(要件裁量も効果裁量もない行為)となる。例外として法律が税務官庁に租税の減免を委ねる場合のみ税務官庁に裁量権が与えられている。例外として租税平等主義・信義則によって合法性の原則が後退し、租税法に従った課税が排除されることがある。租税法律主義・合法性の原則のもと、税法においては法解釈に厳格さが強く求められている(厳格な解釈の要請)。ここで言う法解釈は法文に忠実な文理解釈である必要がある。文理解釈を採用することで一般人の理解もしやすくなり、法的安定性・予測可能性が担保される。ただし、文理解釈でも複数の解釈に分かれる場合、文理解釈の補完として目的論的解釈を行うこともありうる。あくまで租税立法者の価値判断を参考に税法の趣旨を一義的に解釈するにとどまり、解釈者の価値判断を立法者の価値判断に優先させることは許されない。また、複数の解釈が想定でき、規定の内容を一義的に確定できない場合、納税者に有利な類推を許容する考え方もある(疑わしき場納税者の利益に・国庫の不利益に)。なお、借用概念(他の法領域から借用した概念)の解釈に関して、日本では私法と同様に解釈すべきとする説(統一説)が有力である。租税回避とは通常用いられる法形式を回避した経済的に合理的理由のない異常な法形式による取引を行うことで、租税負担の軽減または排除を行うこと。自由主義的税法では経済的自由を尊重して租税回避を適法としている。ただし「異常な」法形式をとっているため不当なものとして扱われ、租税負担の軽減が認められないこともある(所得税法第157条など)。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。