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上毛電気鉄道上毛線

上毛線(じょうもうせん)は、群馬県前橋市の中央前橋駅から桐生市の西桐生駅に至る上毛電気鉄道の鉄道路線である。赤城山南麓を東西に横断する線形で、赤城山系が一望でき、桐生市内では渡良瀬川を渡る。沿線途中はおおむね小規模の町や農業地帯である。主力は朝夕の高校生通学輸送である。近年、補助金の交付などにより体質改善が図られ、各駅の改修工事や、中央前橋駅、赤城駅、粕川駅の駅舎改築が実施され、2006年にはわたらせ渓谷鐵道運動公園駅近くに桐生球場前駅が新設された。上毛線は開業当初から跨線橋のない地平ホームのみの路線であったため、ホームの嵩上げ工事だけでバリアフリー化もスムーズに進んだ。なお、大胡・赤城の変電所施設も冷房車導入のために改良・増強されている。西桐生駅は開業当時からの駅舎で、マンサード屋根をもつ洋風建築の建物となっており、登録有形文化財・県近代化遺産・関東の駅百選にも認定されている。また、同駅ホーム上屋も登録有形文化財に登録されている。大胡駅舎は、登録有形文化財と県近代化遺産に指定。併設の大胡車両区車両検査庫は、工作機械群(開業時の工作機械)と大胡電気区建屋とともに登録有形文化財・県近代化遺産に指定されている。中央前橋駅には1970年代初頭に建てられた駅ビルの上電プラザビル(自社ビル)があったが、テナントが相次いで撤退して荒廃が進み、最終的には建物の老朽化を理由に解体された。2000年に開放的な雰囲気のガラス張りの駅本屋に建て替えられたため、かつての面影は全くないが、ホーム部分は改装に留まったため、改築以前の雰囲気を色濃く残している。新設された駅舎は、大きくなった売店や自動販売機、各種パンフレット置き場、待合室が設置され、グッズの販売も行われている。なお上毛線においては、1面1線ホームの駅の多くが、東西に走る線路の北側にホーム及び待合所を立地させている。冬には北側の赤城山から赤城颪と呼ばれる寒風が吹き下ろすためである。他社線と直接接続しているのは東武鉄道桐生線赤城駅(上毛委託)のみである。近接した路線があるにもかかわらず接続駅は少ない。大胡駅や新里駅など他社によるバス・乗合タクシーの運行も行われている。直接接続していないが徒歩で連絡される駅は中央前橋、赤城(わたらせ渓谷鐵道大間々駅)、桐生球場前、西桐生の4駅に増えた。群馬県の県庁所在地である前橋市と、県東部の主要都市・桐生市(1921年市制)は明治時代から生糸・織物産地として発展してきたが、明治時代中期に両毛鉄道の手で建設された国鉄両毛線は、やはり織物産業の要地である伊勢崎をもカバーするため、前橋 - 桐生間で南方平野部へ迂回して敷設された。より北方にあたる赤城山南麓の農村地域は絹糸産業を支える養蚕地帯であったが交通は不便で、主要都市への交通の近代化が求められ、大正時代中期以降、電気鉄道建設の計画が複数の方面から立案された。先行したのは「東毛電気軌道」である。1919年、勢多郡粕川村(現・前橋市粕川町)の資産家の出で当時早稲田大学学生であった田島丑太郎が、郷里の開発のため、前橋 - 桐生間を結ぶ既存県道に近いルートでの軽便鉄道建設を発案し、同じく群馬県出身の早大生らと研究を始めた。田島は既に開通していた足尾線(現・わたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線)大間々駅と、当時建設中(1920年開業)であった上越南線群馬総社駅間を結ぶ路線を企画、前橋に拠点を置く上毛新聞社からの人脈を通じて前橋市長ら沿線有力者の支持を得、電車による前橋 - 桐生直結を目標として1922年末までに「東毛電気軌道」建設計画の主立った発起者を集めていた。これに続いたのが1920年頃から立ち上がった「上毛電気鉄道」計画である。地元電力会社の群馬電力(当時は大手電力・東邦電力系。1925年に早川電力と合併して旧・東京電力となり、のち東京電灯に合併)専務・小倉鎮之助と、同社土木課長・上倉俊が、自社電力を利用し、絹糸に代表される繊維産業が隆盛しながら鉄道交通の希薄な群馬県南部・埼玉県北部を合計100km以上にも及ぶ電気鉄道網で結ぶことを計画したもので、東毛電軌よりも格段にスケールの大きな内容であった。こちらも群馬県知事などの協力を得て発起者を集めた。東毛電軌は、当初電力供給を大手電力会社の東京電灯に打診したが、東京電灯は当時、群馬電力の親会社である東邦電力と激烈な競合関係にあった。前橋 - 桐生間電車線が二者競願見込み(かつ、その一者は自社の対立企業系)であったためか、東京電灯の回答は保留され、東毛電軌は1923年1月に予定していた最初の発起人会を開けなかった。上毛電気鉄道側もほぼ同様な趣旨の計画で地元競合するのは本意でなく、両グループ発起人団は同年2月5日の協議で合同を決議、2月25日に「上毛電気鉄道」合同発起人団が正式結成された。この名称は1926年に設立された会社名に継承される。1924年6月7日付で第一期建設区間である前橋-桐生間および大胡 - 伊勢崎 - 本庄間の建設免許が下りたが、大胡-伊勢崎-本庄に至る区間の建設は不況期に入り、実現しなかった。これについては「上毛電気鉄道#過去にあった路線計画」を参照。前橋-桐生間は国鉄と接続せず、ターミナルは両市の繁華街に近い立地で設置された。電力会社や沿線からの資金調達により、1928年(昭和3年)2月着工、非常なハイペースで建設され、難工事であった渡良瀬川橋梁も10月に竣工、11月には全線開通した。当初から1500Vの高圧直流を用いるなど、地方私鉄としては意欲的な投資が為されている。開業当初は片道45銭の運賃こそ並行する両毛線と互角であったが、距離の短さと電車運転の威力で所要時間は若干短く、運行頻度は2倍以上で、両毛線から前橋 - 桐生直通客を奪取した。電気機関車は保有しなかったが、電車による貨車牽引や電車への貨物搭載で貨物輸送もおこない、沿線からの産品輸送に利用された。電車車内を半分に仕切って絹糸輸送に充てたこともあったという。当初孤立路線であったが、1932年に東武鉄道が桐生線を新大間々(現・赤城駅)へ延長して接続した(開業時の電車は足尾線大間々駅から新大間々駅へ臨時の渡り線を敷設して搬入した)。戦後に至るまで地域の主要な交通機関として利用されてきたが、1960年代に入り急速に進展した農村部のモータリゼーションにより通学客以外の利用が減少、利用者数は1965年をピークとして減少の一途を辿り、1968年の両毛線全線電化で、前橋-桐生間での直通優位性も低下した。以後は慢性的な赤字経営が続いており、沿線自治体の支援なども進められているが、少子化などにより情勢は依然として厳しい。現在、他社線との直通運転は無いが、かつて東武鉄道からの乗り入れ列車が運行されたことがある。戦前の東武桐生線全通時の短期間のほか、浅草駅から中央前橋駅までの夜行直通列車が1953年から1960年まで、同じく浅草駅からの急行列車が日中に1956年から1963年まで存在した。もっとも前橋と東京の間は国鉄高崎線経由の方がはるかに速く、赤城から中央前橋まで直通急行に通しで乗る客も少なかった。大胡から先は客が皆無で乗務員しか乗っていない事態も生じ、その場合には中央前橋まで行かず、本社指令に連絡して三俣駅にあった側線に留置することもあった。このような状態のため、幾度かの乗り入れは長続きせずに終わっている。なお東武車の一部は高性能車で電力消費が多く、上毛線では電圧降下を起こして他の列車の運行に支障が出ることもあり、また高速・高加速で、当時の低規格な上毛線ではかえって運転しづらかったという。開業時からの車両の変遷は大まかに、自社発注車→他私鉄からの譲渡車(およびその車体更新車)・国鉄払下車→西武譲渡車→東武譲渡車→京王譲渡車(ワンマン運転改造)と推移している。1950年代までは在籍車両がきわめて雑多だったが、1960年代には西武建設所沢工場での車体更新車によって一定の体質改善が図られ、さらに1977年以降は西武鉄道からの譲渡車導入で、主力車両の形式統一を実現した。車両は、1998年から700型が営業運転に使用されている。この700型導入によって上毛線の車両は大幅に近代化された。開業当時から在籍するデハ100型101は臨時列車やバラスト散布の貨物列車牽引などに使われている。上毛電鉄の電車形式呼称は昔から「型」を使用している。会社内部の公式車両図面にも「型」と掲載されている(他の私鉄やJRの場合は「系」「形」が一般的)。電動車形式称号はデハ、制御車はクハである。平日・土休日とも同じダイヤである。中央前橋駅 - 西桐生駅間の全線運転を基本とし、1時間あたり朝ラッシュ時は3 - 4本、日中から夜にかけては2本(30分間隔)運転されている。途中駅で始発・終着の設定があるのは大胡駅のみで始発列車・最終列車の発着駅になっている。全列車が普通列車(各駅停車)である。前橋・桐生の両都市間で比較すると日中1時間あたり1本程度のJR両毛線と比べて本数は多いが、運賃は割高となる。すべて2両編成で運転されている。上毛線の近年の輸送実績を下表に記す。輸送量は、ほぼ一貫して減少している。表中、輸送人員の単位は万人。輸送人員は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。鉄道統計年報(国土交通省鉄道局監修)より抜粋上毛線の近年の収入実績を下表に記す。収入総合計額が増加した時期もあったが、最近では減少している。表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。鉄道統計年報(国土交通省鉄道局監修)より抜粋上毛線の近年の営業成績を下表に記す。表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。鉄道統計年報(国土交通省鉄道局監修)より抜粋大人普通旅客運賃(小児半額・10円未満切り上げ)。2014年4月1日改定。現状ではICカード乗車券の導入予定は発表されていない。赤城駅の簡易改札機は東武線用(入出場)であり、本路線乗下車には使用できない。上毛線では自転車を持ち込んでの乗車が可能である。2003年4月より実証実験を行い、2005年4月より本格開始となった。対象列車は平日朝ラッシュ終了後終電までと、土休日は終日であり幅広く、全駅全区間の利用が可能。また持ち込みは無料であり、運賃のみで利用できる。自転車のある場合は2両編成の後部車両に乗車する。

出典:wikipedia

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