下呂市(げろし)は、岐阜県の中部に位置する市。下呂温泉で知られる。下呂市全体の面積851.06km²のうち、山林が約9割を占め、河川に沿った平坦地とゆるやかな斜面を利用して、農業地、商業地、住宅地などが混在している。飛騨地域で唯一、分水嶺より南にある市町村である。地目別では森林(91.8%)、農用地(1.9%)、宅地(0.8%)、道路他(5.4%)となっている。市域のほぼ中央を一級河川飛騨川が南へ流れ、西には馬瀬川がある。また、御嶽山をはじめ河川の両側には山並みが迫り、『飛騨木曽川国定公園』や『岐阜県立自然公園』なども位置する岐阜県内有数の自然豊かな地域である。また、飛騨川に沿って国道41号やJR高山本線が通り、横断する形で国道256号、国道257号が通じているので、各地からのアクセスは充実している。内陸性気候でそれに併せ日本海側気候または中央高地式気候。旧馬瀬村は豪雪地帯で冬季雪が多い。市内には、これら温泉宿泊地のほか、美輝の里(馬瀬)、しみずの湯(萩原)、湯ったり館(金山)といった温泉施設もある。有馬(兵庫県)、草津(群馬県)、下呂(岐阜県)で日本三名泉と称されることがある。これは、徳川家康以下4代将軍に仕えた儒学者・林羅山が、摂津・有馬温泉にて作った詩文集第三に「諸州多有温泉、其最著者、摂津之有馬、下野之草津、飛騨之湯島(下呂)是三処也」に由来している。しかし厳密には、室町時代の僧、万里集九がこれらを三名泉と既に書き残している。馬瀬川は、アユ釣りのメッカとして知られている。平成19年(2007年)、東京都内のホテルで開かれた「清流めぐり利き鮎会」主催の「利き鮎会スペシャル in TOKYO」では馬瀬川の鮎がグランドチャンピオンを獲得した。また、小坂川の全流域が含まれる小坂町は、滝の多い地域として知られ、5m以上の滝が200か所以上ある。日本の滝百選の根尾の滝があり、御嶽山には標高2,800mのところに“日本一高いところにある滝”もある。平成20年(2008年)8月、全国に通用する岐阜県の大きな観光資源となるものとして第1回目の「岐阜の宝もの」の選定があり、「小坂の滝めぐり」が選ばれた。下呂市では、これを新しい観光資源として力を入れている。東の木曽町、王滝村以外は、岐阜県。下呂市合併以前の歴史・沿革については、益田郡又は4町1村(下呂町、萩原町、金山町、小坂町、馬瀬村)の各項を参照のこと。2004年(平成16年)3月1日、益田郡の上記4町1村を合併し発足。発足時の人口は約4万人で市役所は旧下呂町にある。市役所の位置は旧萩原町役場と旧下呂町役場で合併協議会にて協議、投票され、旧下呂町役場となった。旧萩原町役場は市役所萩原庁舎、ほか3町村役場は振興事務所となっている。市役所の位置・名称の決定は旧下呂町と旧萩原町の思惑がぶつかり合い、旧萩原町・旧小坂町議会では合併協定書調印後合併案を否決、十数日後に逆転可決したという経緯がある。『続日本紀』によれば、宝亀2年(776年)下呂温泉の付近には美濃国の菅田駅と飛騨国大野郡の伴有駅(上留駅)があった。しかし、この2つの駅間は遠い上に道も険しかったため、間に駅を新たに置くこととなり、下留駅(しものとまりえき)を置いた。やがて、下留(げる)と読むようになり、時代が進むに従い音読みする様になり、転じて現在の音と表記になった。菅田駅は、現在の下呂市金山町菅田、伴有駅は下呂市萩原町上呂にあったものとされている。同じく『岐阜県益田郡誌』にも、「光仁天皇の御代宝亀7年までは大野郡伴有里の内なりしも後下留郷となし、又其後・・・湯之島・森・小川・三原に中原村大字門原の舊六ヶ村を下呂郷と称す」、「蓋し村名の起因は前記下留が下呂と轉じたるならむ」とあり、古くは下留(しものとまり)と呼ばれていたものがやがて下留(げる)を経て下呂(げろ)と変化したものであろうと言われている。市名は公募から「下呂市」「益田(ました)市」「南飛騨市」が選定され、合併協議会の投票により「下呂市」に決定した。ちなみに、下呂の北方に中呂(ちゅうろ)、さらに北方に上呂(じょうろ)という地区がある。下呂市議会就業人口市の中心となる駅:下呂駅
出典:wikipedia
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