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南海トラフ巨大地震

南海トラフ巨大地震(なんかいトラフきょだいじしん)は、フィリピン海プレートとアムールプレートとのプレート境界の沈み込み帯である南海トラフ沿いが震源域と考えられている巨大地震のことである。また、2011年8月に内閣府に設置された「南海トラフの巨大地震モデル検討会」が検討した、南海トラフ沿いで発生すると想定される最大クラスの地震も「南海トラフ巨大地震」と称する。南海トラフの地震は、約90 - 150年(中世以前の発生記録では200年以上)の間隔で発生し、東海地震、東南海地震、南海地震の震源域が毎回数時間から数年の期間をおいてあるいは時間を置かずに同時に3つの地震が連動していること(連動型地震)が定説とされてきた。一方で、慶長地震は南海トラフを震源とすることに異論が出されており、南海トラフの地震は200年程度の間隔で発生すると考えるのが自然な姿であるという見解も存在する。最も新しい昭和の地震は地震計による観測記録、それより古い地震は地質調査や文献資料からそれぞれ推定されており、今後も同じような間隔で発生すると推測されている。いずれもマグニチュードが8以上になるような巨大地震で、揺れや津波により大きな被害を出してきた。なお、その後の研究により、地震が起こるたびに震源域は少しづつ異なることが分かった。例えば、同じ南海地震でも安政の南海地震は南海道沖全域が震源域となったのに対して、昭和の南海地震は西側4分の1は震源域ではなかったと推定されている。また一方で東京大学地震研究所の瀬野徹三は、東海・東南海・南海といった3地震の分類を変える必要を挙げ、南海トラフの東端の震源域(東南海の一部及び東海)と連動して静岡付近まで断層の破壊が進む「安政型」、その震源域と連動せず静岡までは断層の破壊が起きない「宝永型」の二種類に分類することができるという説を唱えている。1498年の明応地震以降は文献資料が豊富で発生間隔も100年前後で一定しているとされてきた。しかし、それ以前は東海地震の発生記録が無いほか、1361年正平地震以前の間隔は記録に欠損があり、例えば13世紀前半と見られる津波や液状化の痕跡は複数の箇所から発見されており、記録を補なうものと考えられている一方で、1096年永長地震以前は確かな証拠は無く津波堆積物の研究から100年と200年の周期が交互に繰り返されているとする説もある。他方、地震連動の発生の様子をプレートの相対運動やプレート境界の摩擦特性からシミュレーションする試みもあり、連動性は再現されたが地震発生間隔などが歴史記録と一致しない点もある。南海トラフ全域をほぼ同時に断層破壊した地震は規模が大きく、宝永地震は他の地震よりもひとまわり大きいM8.6とされてきた。21世紀に入ってからの研究により、この宝永地震と同じ規模の津波堆積物は300 - 600年間隔で見出される事が分かった。さらに、宝永地震よりも巨大な津波をもたらす地震が約2,000年前に起きた可能性がある事も分かった。また、昭和南海地震でも確認されたように、単純なプレート間地震ではなく、スプレー断層(主な断層から分かれて存在する細かな分岐断層)からの滑りをも伴う可能性も指摘され、南海トラフ沿いには過去に生じたと考えられるスプレー断層が数多く確認される。一方、震源域が広いと顕著になる長周期地震動の発生も予想され、震源域に近い平野部の大都市大阪や名古屋などをはじめとして高層ビルやオイルタンクなどに被害が及ぶ危険性が指摘されている。これらに関連して、古文書にはしばしば半時(はんとき、約1時間)に亘る長時間強い振動が継続したと解釈できるような地震の記録がみられるが、これは大地震に対する恐怖感が誇張的な表現を生んだとする見方もある一方、連動型地震のように震源域が長大になれば破壊が伝わる時間も長くなり、そこからまた別の断層が生ずるなど長い破壊時間をもつ多重地震となって、本震後の活発な余震なども相まって実際の揺れを表現したものとする見方もある。以上のように南海トラフにおける海溝型地震は、一定の間隔で起こる「周期性」と同時に起こる「連動性」が大きな特徴となっている。さらに、南海トラフは約2000万年前の比較的若いプレートが沈み込んでおり、薄くかつ温度も高いため低角で沈み込みプレート境界の固着も起こりやすく、震源域が陸地に近いので被害も大きくなりやすい。南海トラフにおける、フィリピン海プレートとユーラシアプレート(アムールプレート)とのプレート間カップリングは100%に近くほぼ完全に固着し、1年に6.5cmずつ日本列島を押すプレートの運動エネルギーはほとんどが地震のエネルギーとなっていると考えられている。しかし紀伊半島先端部の潮岬沖付近に固着が弱く滑りやすい領域があり、1944年昭和東南海地震、1946年昭和南海地震はいずれもこの付近を震源として断層の破壊がそれぞれ東西方向へ進行したことと関連が深いと見られている。この地震により発生するとされる災害を「東日本大震災」に倣い「西日本大震災」と呼称する場合がある。2011年3月の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)発生後南海トラフ巨大地震への懸念が浮上したことを受けて、日本政府は中央防災会議に「南海トラフ巨大地震対策検討ワーキンググループ」を設けて対策検討を進めた。同ワーキンググループは2012年7月にまとめた中間報告において、南海トラフで想定される最大クラスの巨大地震を「東日本大震災を超え、国難ともいえる巨大災害」と位置づけている。次に発生する可能性のある地震として、従来よりも幅広くM8 - 9クラスの地震を対象としている。高知県室津港の歴代南海地震(宝永・安政・昭和)における隆起量と、発生間隔との関係に基づく時間予測モデルをもとにすると、次回のM8クラスの地震は昭和南海地震から88.2年後と推定され、これをもとに上記の確率が計算された。次に最大クラス(M9超)の地震が発生する可能性もあるが、その発生頻度は(古いものも含めて)100 - 200年間隔で発生している地震に比べて「1桁以上低い」とされた。歴史記録からは、南海トラフ沿いの東半分および西半分の震源域が、時間差、又はほぼ同時に連動して発生したと推定されるが、南海トラフの地震の内、機器観測の記録が存在するのは昭和地震のみであり、詳しい歴史史料が残り、ある程度震源域を特定できるのは江戸時代以降の安政地震および宝永地震までである。これより前に発生した地震については、史料も乏しく断片的なものに限られ、その震源域については諸説ある。また、慶長地震のように南海トラフの地震としては疑わしいとされるものもある。従来は震源域が、南海地震・東南海地震・東海地震、或いはA(土佐海盆)・B(室戸海盆)・C(熊野海盆)・D(遠州海盆)・E(駿河湾)のセグメントに区分されてきた。なお、南海地震はA(土佐海盆)・B(室戸海盆)、東南海地震はC(熊野海盆)・D(遠州海盆)、東海地震はE(駿河湾)における地震に概ね該当する。しかし、宝永地震はA(土佐海盆)の南西側に位置する日向海盆における日向灘地震も連動した可能性が指摘され、また単なる3連動地震ではない別物の巨大地震との説も浮上している。1498年の明応地震は南海地震と日向灘地震が連動した可能性も指摘されている。地震調査委員会(2013年)により巨大地震の震源域とされた南海トラフ地域を震央とする地震のうち、東海地震・東南海地震・南海地震いずれかが発生したことが確実とされている9サイクルの巨大地震を示した。参考として、その前後に発生した西南日本内陸の大地震や火山噴火、および近隣地域のプレート間巨大地震のほか、しばしば地震の前後に発生する富士山や伊豆諸島の火山噴火を記した。1900年代の初め東京帝国大学の教授であった今村明恒は過去の歴史記録にある、仁和地震、宝永地震など五畿七道大地震は何れも津波を伴い南海道沖を震源域とする巨大地震と考え、歴史的に繰り返されてきたことを論じている。更に、今村は1928年に南海地動研究所(現・東京大学地震研究所和歌山地震観測所)を私費で設立した。沢村武雄(1951)は、昭和南海地震発生後に行われた水路部による測量の結果から、四国南部の野根・安田・下田・月灘を結ぶ線を境とする南東上りの傾動が明らかになり、歴史地震で知られている室戸岬の隆起および高知平野の沈降を伴う地殻変動とほぼ一致しているとした。また、白鳳から昭和に至る共通の性質を有する歴代南海地震の震源が、潮岬沖から足摺岬沖へかけて続く大規模な北傾斜の断層線上に並ぶことから、この衝上断層を「南海スラスト」と名付けた。その後、1960年代にプレートテクトニクスが発展し、金森博雄(1972)は昭和東南海・南海地震の震源断層モデルを求め、これらの地震が南海トラフのプレート境界で起こっていることを明らかにした。2003年時点の「東南海、南海地震等に関する専門調査会」による検討では、今後発生が予測される南海トラフの地震のうち最大のものはマグニチュード8.7、破壊領域は長さ700km程度の宝永地震レベルとされていた。しかし、2011年東北地方太平洋沖地震発生後、この想定は見直されることとなった。この3つの地震が一挙に起きた場合、また安政地震のように短い間隔で起きた場合は、太平洋ベルト全域に地震動による被害が及び、地域相互の救援・支援は実質不可能となると見られており、早急に地方自治体は連動型地震を視野に入れた災害対策を講じる必要があるとされている。2010年の防災の日には初めて3地震の連動発生を想定した訓練が実施されている。津波は、東海地震、東南海地震、南海地震の3つの地震が生じた場合、または数分 - 数十分の時間差を置いて連動発生した場合、波の高さが重なり合って土佐湾西部と東海沿岸のいくつかの狭い範囲で10m近い高さに達することがあるとシミュレーションされている。とくに浜岡原発にも近い御前崎付近では同時発生の時に比べて、海上波高が2倍以上となり11mに達することがあるという。また、この連動型地震はさらに数百年に1回、震源域が日向灘まで伸びて、津波が九州佐伯市に押し寄せていた可能性が指摘されている(4連動型:日向灘の地震については日向灘地震も参照)。1707年の宝永地震がそれに当たり、再び起きた場合、津波高の想定は、九州太平洋沿岸で従来予想2m付近から最大で8m級に、四国南端部の土佐清水市で従来6m級から10m以上になる可能性がある。加えて、瀬戸内海まで津波が入り込む恐れもあるという。さらに1605年の慶長地震を引き起こしたとされる、通常の3連動地震の震源域より沖合いの南海トラフにかなり近い領域(プレート境界のうち浅い部分)においても、これらの連動型地震と連動してほぼ同時に地震が発生することで、M9クラスの超巨大地震になる可能性が指摘されている。このような広域連動型地震が発生した場合、津波の高さも宝永地震タイプの1.5倍から2倍になる可能性があるという。大分県佐伯市の間越龍神池では3300年前までの地層中に8枚の津波堆積物が発見されており、特に大規模な地震のみが津波堆積物を残したと考えられる。有史以来ではこのうち3枚であり、新しいものから1707年宝永地震、1361年正平地震、684年白鳳地震に対応すると推定されている。また、高知県土佐市蟹ヶ池で見つかった津波堆積物から、宝永地震の時の砂の厚さ以上の粗粒な砂を運ぶ津波が約2000年前に発生していたと推定されており、M9クラスの超巨大地震による可能性が指摘されている。さらに、上記以外に887年仁和地震でも津波の記録から数値を復元した結果、M9クラスの超巨大地震であった可能性も推定されている。この他、南海トラフから琉球海溝まで全長1000kmにも及ぶ断層が連動して破壊されることで、非常に細長い領域におけるM9クラスの連動型地震、あるいはM9クラスの二つの超巨大地震が連動して発生する可能性も近年では指摘されている。この場合の震源域の全長は2004年のスマトラ島沖地震に匹敵するもので、過去には平均1700年間隔で発生していたとされる。これは御前崎(静岡県)、室戸岬(高知県)、喜界島(鹿児島県)の3カ所の海岸に残されていた、通常の南海トラフ連動型地震による隆起予測と比べて明らかに大きな隆起地形から推定されている。文部科学省の委託を受けて、東京大学、東北大学、名古屋大学、京都大学、海洋研究開発機構が「東海・東南海・南海地震の連動性評価研究プロジェクト」を2008年度から2012年度まで実施中で、2012年2月には想定震源域に直接設置する海底地震計や圧力計(津波計)の観測機器に電力を供給し、観測データを送信するための地上局の立地場所が決定された。2012年1月、東京大学と海洋開発研究機構の研究グループは、紀伊半島沖の東南海と南海の震源域にまたがる長さ200km以上、高さ500m-1kmの分岐断層を発見したと発表した。これは東南海・南海の過去の連動の証拠だとされている。また、地震の際に津波を増幅させるもので、同時に活動した場合に大きな津波が発生する可能性があるとされている。2001年6月の中央防災会議で「東南海、南海地震等に関する専門調査会」の設置が決定された。2003年9月の同調査会では、当時考えられた最大級の想定地震として「想定東海地震、東南海地震、南海地震の震源域が同時に破壊される場合」が仮定され、規模はMw 8.7、津波断層を含む規模はMw 8.8のものであった。2011年3月に発生した東北地方太平洋沖地震を受け、内閣府の中央防災会議は想定を再検討するため「南海トラフの巨大地震モデル検討会」を設置し、同年12月の検討会による中間報告では、南海トラフ連動型の最大クラスの地震・津波の想定がなされ、M9.0との暫定値が発表された(従来は最大M8.7)。座長の阿部勝征は、想定の地震が起きれば「巨大西日本地震」となると述べた。検討には古文書・津波堆積物などの研究結果が用いられ、想定される震源域は、南西側は日向灘より南西の九州・パラオ海嶺の北側(日向灘地震の震源領域含む)まで、内陸側は四国のほとんどを含む陸域、北東側は富士川河口断層帯(静岡県)北端まで含め、長さは750km、面積は約11万平方kmとなり、従来の約6万平方kmからほぼ2倍になる。想定される波源域も南海トラフ寄りの深さ約10kmの浅い領域に大すべり域、超大すべり域を設定し、地域によっては従来の想定より2倍程高くなった。この海溝寄りに大すべり域を設定した津波断層モデルは、駿河湾から紀伊半島、紀伊半島沖、四国沖、日向灘の内、1ヶ所または複数の大すべり域を設定した11種のパターンが想定され、津波断層モデルを含むモーメントマグニチュードはMw 9.1とされた。阿部は、東北よりも人口が多いため、東日本大震災での被害とは異なるとした。国が同年秋までに被害想定をまとめる予定。2012年3月、同検討会は最大クラスの地震による震度分布・津波高の想定を公開した。地震動については、震度6以上の揺れの地域は従来の国の東南海・南海地震などの想定に比べて2倍近くに増えた24府県の687の市町村で想定され、さらに名古屋市、静岡市、和歌山市、徳島市、宮崎市などを含んだ10県153市町村では震度7が想定されている。津波については、東北地方太平洋沖地震以降に自治体が行った独自想定を上回る例があり、徳島県阿南市では県の想定の5.4mの3倍近い16.2m、三重県志摩市では県の想定の15mに対して24m、同尾鷲市では13mに対して24.5mとなった。独自想定を行っていた9府県では改めて想定や災害対策が検討されることになっており、その他の自治体でも対策の見直しを迫られることになる。検討会は原子力発電所の設置・建設計画がある4箇所について津波高の最大値を公表し、静岡県御前崎市の中部電力・浜岡原子力発電所では、地震による地盤の隆起2.1mを考慮しても付近の最大津波高は21m、市の最大震度は7で、中部電力の想定津波高を越えた。愛媛県伊方町の四国電力・伊方原子力発電所付近では最大津波高さは3m、町の最大震度は6強、茨城県東海村の日本原子力発電・東海第二原子力発電所付近では最大津波高が2.6m、村の最大震度は4、山口県上関町の中国電力・上関原子力発電所の建設を計画している付近では、津波の高さが2.9m、町の最大震度は6弱となっている。検討会では、津波高については50mメッシュモデルを10mメッシュに変更して予測の精度を上げ順次発表、被害想定や対策はさらに1年かけて公表する予定である。その後、2012年8月に10mメッシュによる津波高及び浸水域などの推計結果による被害想定が発表され、冬季の深夜にマグニチュード9クラスの超巨大地震が発生、駿河湾から紀伊半島沖を中心に大津波が発生した場合、関東以西の30都府県で最悪32万3000人の死者が出る可能性があるとした2011年10月の三重県によるM9連動地震の想定では、津波は熊野市二木島で高さ19mとなり、防潮堤が機能すれば130km²が高さ2mで浸水、防潮堤が機能しない場合319km²が浸水する。防潮堤点検結果によると、空洞化している部分が少なくとも138カ所あるため対策が急がれている。震源が近く初期微動時間が少ない熊野市・尾鷲市・紀宝町などでは、地震から津波の到達まで3-4分しかなく、避難時間確保のためにも防潮堤の復旧が大事である。2011年12月の徳島県の報告によると、浸水面積は従来の想定の73km²から159km²と2倍以上に拡大し、美波町阿部漁港奥の20.2mをはじめとして海陽町宍喰海岸で19mなど最大津波高も高くなった。内陸部の徳島市富田地区(高さ1-2m)や北島町などが新しく津波浸水地域に指定された。20cmの津波の到達時間は、牟岐町牟岐漁港湾口で3分、徳島市のマリンピア沖洲東端で32分とされ、最大の高さの津波が来る時間は30分から90分後とした。2012年5月の高知県の報告によると、黒潮町34.4m(佐賀支所の浸水14.5m、高知市14.7m(市役所の浸水1.5m、浸水域東西20km・南北10km、最大浸水4m)の津波が予想された。高知空港全域も浸水し、最大7.5mになるという。2012年1月発表の東京大学総合防災情報研究センターの古村孝志らの計算では、津波の最大の高さは土佐湾で20m、三重県周辺で15m、愛知県・静岡県周辺で10mとなった。2012年4月、関西大学の河田恵昭は、被害額は100-150兆円、災害救助法の適用は約700市町村に及ぶ「スーパー広域災害」になるという予測を発表した。同7月、河田は、想定される死者数が最大で40万人になるという試算を明かした。河田の見通しでは、自身が主査を務める内閣府の作業部会で公表が予定されている被害想定でも同規模の死者数となる。南海トラフ巨大地震で、震度6以上か3m以上の津波が想定される市町村の人口は約5,900万である(東日本大震災での被災者人口は750万人)。フィリピン海プレートの沈み込みによりユーラシアプレートは圧縮応力を受け続け、地震により応力が開放された結果、地殻変動は南東上がりの傾動を示す。御前崎、潮岬、室戸岬および足摺岬は東海・南海地震の度に隆起し、地震後から次回の地震までゆっくりと沈降して回復するが、トータルでは隆起がやや上回る。室戸岬に見られる隆起による海岸段丘や、高知付近の沈降地形は長年に亘る南海地震の繰り返しにより形成された。室戸岬や足摺岬に見られる段丘が現在の高さになるには約15万年の年月がかかる計算となり、南海トラフ沿いの地震は有史以前から幾度となく繰り返されてきたことが窺われる。地球深部探査船「ちきゅう」による紀伊半島沖の掘削調査により南海トラフ沿いの巨大地震は195万年前の断層活動に遡り、155万年前にほぼ現在のような活動が始まったとする推定結果も出されている。規模の大きな地震により段丘が形成され、最も下にある最新のものは18世紀初頭、すなわち宝永地震の際に生成したものであり、次は平安時代の終わり頃、奈良時代と平安時代の間頃と続。日本史上最大級といわれた宝永地震も地質時代を通じた歴史の中では一介の地震に過ぎない。一方で、室戸岬の地形は西南日本外帯の東西圧縮による南北に軸をもつ波状構造と、フィリピン海プレートの北西進による運動が同時進行している結果であるとされ、大規模な隆起についてはプレート境界の断層活動よりは、むしろプレート境界から枝分かれした陸地に近い分岐断層によるものと考えられている。御前崎で見出された約7000年間に4回とされる大規模な隆起の痕跡もプレート内の断層活動による可能性が高いとされる。富士川河口付近では長年の断層による変位を伴う地震活動の繰り返しの結果、富士川河床に露出した13800年前の溶岩は東側の富士市では地下100mに埋もれている程のギャップを生じている。これも東海地震の度に生じた断層活動の累積の結果である。東海地震や南海地震の度に高知付近や遠州灘沿岸は地盤の沈降が見られたが、例えば浜名湖は沈降したところに津波が襲うことを繰り返すことにより形成された湖であると推定される。高知平野などは地震の度に沈降し、沈降後に堆積作用が働いた沖積平野である。また須崎の東側の横浪三里は沈降地形であるリアス式海岸である。このようなリアス式海岸は志摩半島、紀伊水道両岸、宇和海沿岸および佐賀関南側に広く分布し、地震の度に沈降の見られる地域に一致する。さらに南海トラフに平行して西南日本外帯には赤石山脈、紀伊山地、四国山地と高峰が連なり、例えば御前崎から赤石山脈にかけて波曲しながら階段状に次第に高度を上げる地形が見られる。このような地形はフィリピン海プレートの沈み込みによりユーラシアプレート上の大地が圧縮を受け褶曲活動の結果、もたらされたものである。さらにフィリピン海海底からもたらされた付加体がこれらの山地の形成に関わっている。国土地理院のGEONET測量により、普段は東海地方、紀伊半島中央部、四国中央部および九州東部は隆起し、他方、御前崎、潮岬、室戸岬および足摺岬は沈降と地震による地殻変動とは逆の上下変動が示された。また、GPS解析により南海トラフ巨大地震震源域ではプレート境界の滑り遅れが見られ、固着域の存在と次期地震への準備が着実に進行しつつあることが示された。プレート間固着による年間約6cmプレート境界の滑り遅れ、すなわち陸側プレートの引きずり込みによる海底の西北方向への移動は海上保安庁による観測からも裏付けられた。

出典:wikipedia

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