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スティーヴ・ヴァイ

スティーヴ・ヴァイ(Steve Vai、本名 Steven Siro Vai、1960年6月6日 -)は、アメリカのミュージシャン。ギタリスト、作曲家。フランク・ザッパ門下生の1人で、その中では最も商業的に成功したと言える人物。グラミー賞受賞。6歳よりオルガンを習い始め、耳にしたメロディーはすぐに弾けるまでに達した。アコーディオンも10歳から13歳の間演奏していた。(従兄弟のお下がりのアコーディオン。ロングアイランドのイタリア系アメリカ人の人々にはポピュラーな楽器だった。(本人談))レッド・ツェッペリンと出会い、ロックに目覚める。13歳の頃に赤のTeisco del Reyを友人から5ドルで購入し、初めてギターを手に入れた。帰り道に立ち寄った楽器店で1セットの弦を購入、その足で“当時地元で有名だったギター講師”こと、ジョー・サトリアーニの元へ弟子入り。「そのころは弦の張り方も知らなかった。」(本人談) 「スティーヴは5ドルで買ったとかいうとんでもない安物ギターと、3年前に買っておいたという弦を1セット手に持ってやってきた。お互い、まだもの凄く低いレベルにいたんだよ(笑)。でもその後、今考えても彼は素晴らしく上達が早かった。日増しに…というよりも、1時間毎に上達している感じだったな。」(ジョー談) 2番目に手に入れたギターはのレスポールタイプ。高校で楽典や音楽理論を習得し、バークリー音楽大学に入学。在学中に養った採譜力をかわれ、フランク・ザッパのバンドの採譜役として雇われる。1980年代には、正式にザッパのバンドにギタリストとして加入。ヴァイに与えられたセクションネームは「Impossible Guitar Part」「Stunt Guitar」「Strut Abuse」などで、名前の通り主に作曲者ザッパの演奏不可能なパートを受け持つ。ライブのソロコーナーで、聴衆やメンバーにミュージカルのスコアを持ってこさせて初見で演奏する芸を披露。ザッパとの活動を続ける傍ら、セッションミュージシャンとして数多のアーティストとも競演する。1982年、ザッパの演奏をヴァイが採譜したものを集めて、The Frank Zappa Guitar Book が出版される。この年カリフォルニアに移住する。1984年に、初のソロ・アルバム『フレックス・エーブル』(後に『フレクサブル』に改題)を発表。ザッパの84年ツアーには参加せず。1984年、グラハム・ボネットのバンド、アルカトラスからイングヴェイ・マルムスティーンが脱退したため、後任として加入。1985年、元ヴァン・ヘイレンのデイヴィッド・リー・ロスから誘いを受けて、バック・バンドに加入。アルバム2枚に参加した後、バンドを脱退。かねてより構想を練っていたソロアルバムの作成にとりかかる。1986年、元セックス・ピストルズのジョン・ライドンのバンド、パブリック・イメージ・リミテッドのアルバム「ALBUM」(CD版タイトルは「COMPACT DISC」)のレコーディングに参加(坂本龍一やジンジャー・ベイカー、ビル・ラズウェルらと競演)。1986年、映画「クロスロード」(音楽監督は、ライ・クーダー)に悪魔に魂を売り渡したギタリスト「ジャック・バトラー」役で出演。終盤のギター対決では、テレキャスターを持ったギター少年「ユージン」と壮絶なギターバトルを展開する。1989年、レベッカの12枚目のシングル「SUPER GIRL (SUPER REMIX)」にリード・ギターで参加。1989年、元ディープ・パープルのデイヴィッド・カヴァーデイルが結成した、ホワイトスネイクに加入し、アルバム『スリップ・オブ・ザ・タング』を製作。続くワールドツアーにも参加。翌1990年に発表されたソロアルバム『パッション・アンド・ウォーフェア』はインストゥルメンタルアルバムでありながら全米18位・全英8位を記録する大ヒット作となった。ホワイトスネイクのワールドツアーを終えてソロ活動に復帰したヴァイは新人ヴォーカリスト、デヴィン・タウンゼンドを発掘し、バンド名義“ヴァイ”("Vai")としてアルバム『セックス・アンド・レリジョン』を発表。また、1993年にリリースされたフランク・ザッパのトリビュート・アルバム『Zappa's Universe: A Celebration of 25 Years of Frank Zappa's Music』では「Sofa」と「Dirty Love」の2曲に参加し、同アルバムからの「Sofa」によってグラミー賞最優秀ロック・インストゥルメンタル・パフォーマンス賞を受賞した。1994年にはオジー・オズボーンとの競作、競演のセッションに参加。このときのセッションからオズボーンのアルバム『オズモシス』に「マイ・リトル・マン」が収録される(作曲したのはヴァイであるが、録音は差し替えられた)。続いてソロ・アルバム『エイリアン・ラヴ・シークレッツ』、『ファイヤー・ガーデン』を発表。また、1997年、ヴァイがコンセプトを立案して、自身も「クリスマス・タイム・イズ・ヒア」のカヴァーを演奏したクリスマス・アルバム『メリー・アックスマス』が発表された。ヴァイは1998年に発表された続編『メリー・アックスマス2』でもエグゼクティヴ・プロデューサーとして関与したが、演奏には参加していない。1999年、ソロ・アルバム『ウルトラ・ゾーン』を発表。『ウルトラ・ゾーン』の「エイジアン・スカイ」ではB'zと共演している。なお、ヴァイは後に松本孝弘のソロアルバム『華』収録の「#1090 [千夢一夜]」と「Romeo & Juliet」ではミックスを担当した。2000年、自身レーベル"Favored Nations"を立ち上げる(2004年にはジャズ部門が新設される)。2002年、東京のサントリーホールで、野平一郎のFire Stringsのワールドプレミアとして東京都交響楽団と競演。この曲はエレクトリックギターと百人編成のオーケストラのための曲である。2004年、マイクロソフトのテレビゲーム「halo 2」のメインテーマをギタリストとして担当。彼がオーケストラのために作曲した曲を、オランダでメトロポールオーケストラと共に演奏し、一連の演奏シリーズは、The Aching Hungerと名付けられた。2005年には、約5年ぶりのスタジオ・アルバム『リアル・イリュージョンズ:リフレクションズ』を発表。「困難の連続である人生、その中で真理を探究する男」にまつわるお伽話「Real Illusions」と、そのストーリーに付随する音楽をアルバムにまとめることをコンセプトとした連作の第一弾。物語の全容はまだ明かされてはいないが、「自分の全人生を掛けた素晴らしい作品になる」とヴァイは語っている。オープニングを飾る『ビルディング・ザ・チャーチ』は、テレビドラマ「医龍-Team Medical Dragon-」の挿入曲として、オペシーンを中心に使われた。同年、パリでデュアルギター(エレクトリックとクラシック)曲、The Blossom Suiteをクラシックギタリスト、シャロン・イスビンとともにプレミアとして行う。2006年、ツアーでドゥイージル・ザッパ(:w:Dweezil_Zappa)と競演。「Zappa Plays Zappa」にも一部参加した。2011年3月3日、母校であるバークリー音楽大学と提携し、NYのスタジオから30分間のギター・レッスンをライヴ・ストリーミングした。レッスンには4,455人がアクセスしたとギネス・ワールド・レコーズから認定され“Largest Online Guitar Lesson(最大規模のオンライン・ギター・レッスン)”のギネス世界記録を樹立した。エキセントリックな作風とは裏腹に、冷ややかな知性を持った人物である。議論や口論をする際にも、声を荒らげることはない。彼の音楽を理解しようとしないインタビュアーや評論家に対しては、意見の相違を逆手にとり、巧みに言葉を使い分けて相手を混乱に陥れ、弄ぶこともある。争いを好まず、諍いがおこると自ら身を引いてしまう。バンド内で音楽性の衝突を感じた場合は、メンバーと戦うのではなく、脱退という道をとる。その後も言い訳じみた発言はせず、沈黙してしまう。誰もが認める一流のアーティストであるが、同時に頭も切れる人物である。ザッパのバンドにいた時代のエピソードとして、以下のようなものがある。当時、ザッパのレコーディングスタジオには多くの機材があり、中には使われていないものもあった。ヴァイは、ザッパに許可を得てそれらを借り出し、自身で使用すると共に、友人などに有料で又貸しをしていた。その料金を貯めて自身でも機材を購入し、それも貸し出した。こうして徐々に得た金で、最終的には自宅にレコーディングスタジオ並みの機材を揃え、ファースト・アルバムの『FLEXABLE』を録音した。こうして、すでに出来上がったマスターテープを持ってレコード会社と契約したために、通常ならレコーディング費用の返済に充てられるべき収入のほとんどを、懐に入れることができた。又貸しなど道義的に問題を含んだ手法ではあるが、発想や着眼点は興味深い(ヴァイを可愛がっていたザッパが、遠回しにそうするようにし向けたとの説もある)。子供の頃は、周囲がブルースに固執していた事から、ブルースが嫌いであった。現在は、ブルースも好むようになり、楽曲にブルージーな泣きも導入されるようになったが、自身がそれを弾く時は「みんながやっている事と同じようにプレイするな」と、差別化を図るよう自らに言い聞かせている。ファンをとても大切にし、コンサート終了後に裏口で彼を待っているファンを必ず訪れ挨拶をする。サインや写真を頼めば快く承諾してくれる。また、プラチナチケットを買ったファンでなくとも公演後に時間があればひとりひとり話をする機会を設け、質問も受け付ける。意外にも私生活では時間にルーズであるらしい。妻は、デビュー前のヴィクセンのベーシストだった、ピア・マイオッコ。ベジタリアンであり、動物性たんぱく質を一切摂取しない。自宅には専用のピラミッドがあり、『Passion and Warfare』製作時には、その中に入って瞑想したりもしていた。また同時期、自分にしかわからない言葉で日記をつけていた。ライヴでは、必ずと言ってよいほど巨大な送風機が設置され、風を受けつつ、長髪を棚引かせながら、活き活きとギターを弾く様が、一流ギタリストとしての余裕と風格を醸し出している。ザッパ時代及びアルカトラズ初期は改造したストラトキャスターを使用(ヴァイはこれを"whale guitar"と呼んで大事にしていた)。その後ジャクソン、カーヴィン等を経てアイバニーズとエンドース(アイバニーズのシグネイチャーモデル"JEM"を作成)。そのギターは最初の使用から現在に至るまで継続されている(サスティナー搭載モデルや12弦/6弦/6弦フレットレスのトリプルネックギター、各ポジションでのイントネーションを正確にする機構となる湾曲フレット「トゥルー・テンペラメント・フレッツ」のモデルも在り)。JEMモデルの中でもメインにして使用しているのがEVOとFLOと呼ばれる個体で、それらをヴァイが気に入って使っている理由としては、それらのネックとボディは叩くとユニゾンの音程で共鳴するからとの理由をあげている(個体によってはネックとボディの共鳴が三全音になったり減音程になったりして好ましく無いらしい)。アンプとキャビネットはカーヴィンのシグネイチャーモデル「Legacy」を使用(かつてはマーシャルやメサ・ブギー(:w:Mesa Boogie)等を使用)。ディストーションペダルはアイバニーズのシグネイチャーモデル"Jemini"を使用しているようである(2016年現在は生産が打ち切られている。かつては永らくボス社のDS-1をKeeley Electronicsがモディファイしたものを愛用していた)。ワウペダルにモーリー社のバッドホーシー。フェイザーにエドワード・ヴァン・ヘイレンモデルのMXRフェイズ90。ほかハーモナイザーに、イーヴンタイドのウルトラハーモナイザーを使っているが、これは彼自身が開発に参加しており、彼のプログラミングしたチューンがプリセットされている。彼はレコーディングに限らずステージでもこれらをラックに組み込んでいる。

出典:wikipedia

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