Microsoft Windows 3.x(マイクロソフト ウィンドウズ 3.x)は、MS-DOSを拡張する16ビットオペレーティング環境(Operating Environment、注:3.1からオペレーティングシステムを名乗った)。バージョンとして1991年に発売された「Windows 3.0」と、1993年に発売された改良版「Windows 3.1」がある(いずれも日本語版の発売年)。その他、マルチメディアに対応した「Windows 3.0 with Multimedia Extensions (Windows MME)」を一部機種で展開するなど、幾度かのマイナーバージョンアップが行われている。英語版ではネットワークをサポートする「Windows for Workgroup(Windows3.1ベース)」も発売されている。また追加モジュールとして32ビットアプリケーションを動作させるための「Win32s」、画像表示を高速化するための「WinG」、AVI形式の動画を再生するための「Video for Windows」、LANに接続するための「LAN Manager」、インターネットやメールをするための「Internet Explorer(16ビット版)」がある。MS-DOS環境から起動させるため、事前にMS-DOSシステムをコンピュータ上で動作させておく必要がある。しかし、Windows 3.1以前はMS-DOSの拡張製品としてそれぞれが別々に販売されたため、MS-DOSは別途購入する必要がある。Microsoft Windows 3.x は、リアルモード用であったMicrosoft Windows 2.xとはうってかわり、新デザインのGUIと共にプロテクトモードを活用するOSへと発展を遂げたものである。Microsoft Windows 2.xに存在していたCPU別の区分は廃止されているが、80286以下では利用できない386エンハンストモードを積極利用することで機能向上を図っているため80286以下では使える機能に制限がある。ただし386エンハンストモードではやや動作が重くなり、実用的には486以上のマシンパワーが必要だった。Windows 3.0ではリアルモード(8086相当CPUの機能を利用)、スタンダードモード(80286相当CPUの機能を利用)、386エンハンストモード(i386相当CPUの機能を利用)があったが、Windows 3.1では動作速度を3.0よりも高速化した一方でリアルモードを切り捨てた(これは米国内の開発者向けのカンファレンスでMicrosoftが吉報として公表し、開発者に熱烈に歓迎されたとされる)。386エンハンストモードでも動作するのは基本的に286プロテクトモード相当の16ビットアプリケーションのみである(むろんCPUがi386以上であればアプリケーション側で386命令も使用できる)。また日本語版Windows 3.1の内、Microsoft版、NEC版では80286も対応から外され、スタンダードモードにおいてもi386以降が必須となっている。Windows 2.xの80386専用版と位置づけられていたWindows/386の時点で既にOSが386の機能を活用するようになっていたが、アプリケーションはリアルモードという制限のままだった。しかしWindows3.xではスタンダードモード以上でアプリケーションも286相当のプロテクトモード動作となり、プロテクトメモリを自由に利用できるようになった。ただしCPUが386以上であっても16ビットのプロテクトモードという制限のため、メモリは64KBずつ使わなければならないという制限が残っている。グラフィカルユーザインタフェース (GUI) 機能を持ち複数のタスクを同時実行できるマルチタスクが可能なことが利点だったが、1つのWindowsプログラムがCPUを占有してしまいほかのプログラムが止まってしまうこともあった(ノンプリエンプティブ)。インタプリタ型の開発環境であるVisual BASICを使用していても同様で、プログラム中から適度にタスクを開放する命令を呼ぶ必要があった。386エンハンストモードにおける複数のMS-DOSプログラム間においては完全なマルチタスクを実現していた。MS-DOSコンソールでのグラフィック画面操作には対応していない。またMS-DOSのメモリ管理に基づいているためコンベンショナルメモリの確保についての知識が必要になるなど、周辺機器を追加し使いこなすには一定の知識が必要とされた。特に、Windows 3.0ではインストールの途中でconfig.sysをユーザーが手動で書き換える必要がありハードルが高い。Windows3.0ではリバーシ・ソリティアが、Windows3.1ではソリティア・マインスイーパが付属する。日本向けにローカライズされなかったものとして以下のものが存在した。折りしも発売時期がDOS/Vの登場とマニア間で起きたDOS/Vブームが重なったこともあり、日本でのIBM PC/AT互換機市場の形成に大いに貢献した。当時、日本でのパーソナルコンピュータ (PC) 市場は国内メーカーで市場をほぼ独占していた。さらに言えばNECのPC-9800シリーズで寡占状態にあった。PC/AT互換機は世界中で販売されるため開発コストは日本市場でしか販売できない国内専用製品と比べ物にならないほど安価だったが、日本語という障壁のため参入できない状態にあった。NECの製品展開は同社のオフィスコンピュータ(オフコン)などとの兼ね合いから同時期のPC/AT互換機よりも低い性能レベルに据え置かれ、価格も引き下げられなかった。しかし、安価かつ高性能なPC/AT互換機で日本語が扱え国産PCとも共通のアプリケーションが利用できるWindowsの事実上の完成により、国内におけるPC/AT互換機市場は急拡大することになった。NECも同社のPC向けにWindowsを提供していたが、MS-DOS環境において存在していたアプリケーションの優位性が失われる結果となった。日本語DOS/V版Windows 3.0では、標準VGAでも640*480/16色表示が可能で当時の主力機NECのPC-9800シリーズの640*400/16色を上回っていたうえ、当時すでにほとんどのDOS/V機ではSVGAモードを備えていた(もしくはグラフィック回路が拡張ボードとして独立しており交換が容易だった)ことから、市販のドライバで800*600の高解像度をWindowsから利用することができた。一部の英語版表示ボード・ドライバではさらに高解像度・多色(640*480/256色、800*600/256色、1024*768/16色など)のGUI表示を行うためのパッチファイルや英語版ドライバで日本語表示を行う DDD (Display Dispatch Driver) が販売されて上級ユーザを中心にPC-9800シリーズよりもハードウェア価格が安くて高性能なPC/AT互換機を求めるケースが増え、市場が立ち上がり始めた。次の日本語Windows 3.1では多くの英語版表示ボード・ドライバを直接使用しても高解像度・多色のGUI表示ができるようになる。また発売にあわせてTVCMも放映され、本木雅弘が「Windows!」を連呼するというインパクトのあるもので、国内においてWindowsの名前を広く知らしめたことにより、PC-9800シリーズにこだわる必要がないというユーザーが増えていった。日本語Windows 3.1からアウトラインフォント TrueType および、マイクロソフト版においてはかな漢字変換ソフト Microsoft IME が標準として採用され、各アーキテクチャ向けにて相違があった日本語の入出力環境の統一を図った。さらにPCパーツ店による組み立てPCや外国のPCメーカーによるこの組み合わせでの新規参入も相次ぎ、市場ニーズがPC/AT互換機へシフトするきっかけとなる。とは言え、まだこの段階ではPC-9800シリーズも強力だった。オープンであるがゆえに規格の統一が今ひとつのOADG規格とその派生製品はこれらのオプション類の利用にPC-98シリーズより手間を要した。当然、日本のパソコン周辺機器メーカーはPC-9821シリーズのWindows3.1用の周辺機器も発売し、量販効果ですぐに値下がりした。企業ユースやゲーム市場では、MS-DOSアプリケーションのニーズもまだ相当数存在していた。更に、製造元であるNECやPC-98互換機メーカーであるセイコーエプソンによる価格引き下げなどの対抗策もあり、一定のシェアを確保し続けた。この流れが本格化するのは、機器の相違をデバイス仮想化などの方法によってOS側で吸収したWindows 95以降である。以下の事情により真の意味でのGUIが実現されたとは言い難いものであり、MS-DOS上で動作しているデスクトップ環境とでもいうべきものだった。Windows 2.xからルック・アンド・フィールは一新されたが、この点においては大きな変革はない。Windows 3.0は当初動画や音声を扱うことができなかった。それらのマルチメディア機能を初めて利用できるようになったのはWindows 3.0 with Multimedia Extensionsがリリースされてからだが、これはWindows本体とは別売だった。その後、Windows 3.1では標準でマルチメディア機能が搭載された。マイクロソフト等により規格が策定されたが、最初のバージョンにおける最小構成のPCでは事実上マルチメディアを利用することは不可能だった。この時点でMac OSやTownsOSなどと比較するとたいへんに遅れていたのだが、元々オフィス向け・業務用のコンピュータであり娯楽のための機能が標準で用意されていないIBM PC/ATとその互換機に乗るOSとしては仕方がなかったとも言える。日本でも、当時標準でマルチメディア機能を使えるWindowsの存在したPCはFM TOWNS程度だった。ただし細かいことを言えばPC-9800シリーズでも当時のモデルにはFM音源搭載機が少なくなく、(FM音源によるMIDI再生は音質が低下するものの)Windows 3.1をOSとして選択することにより、別途ソフトを用意せずとも標準搭載のメディアプレイヤーで音楽が再生できるようになった。MPC規格のバージョンアップはPC/AT互換機ではWindowsの環境改善よりもDOSの環境改善としての効果が大きく、結果としてゲームプレイには最低の環境だったPC/AT互換機を一気にPCゲーム標準機まで押し上げることになった。ただしこのことがゲーム環境のWindowsへの移行を遅らせる原因になり、マイクロソフトがWinGやDirectXを開発する強い動機となった。Windows 3.1の時代にVideo for Windowsも発表されている。から見ると解像度も低くおもちゃ程度にしか使えない仕様のものだったが、AVIが再生できるようになるためマルチメディアCD-ROMソフトがWindows 3.1向けに発売されるようになっていた。Windows 3.0、3.1では、標準でネットワーク (LAN) 機能自体が搭載されておらず、LAN Manager ClientなどDOSベースのネットワーク機能に頼っていた。LAN Manager ClientはWindows NT ServerのCD-ROMなどに収録され、TCP/IPやNetBEUI、NetWare互換プロトコルなどのプロトコルが使えた。また、Windows for Workgroups (WfW) 3.1はWindows 3.1にWindowsベースでのネットワーク機能を付加するアドオンとして発表、販売された。ただし、この段階ではネットワークプロトコルとしてNetBEUIかNetWare互換プロトコルしか選択できなかった。その後、WfW 3.11が完全なWindows製品として発売され、後にこのWfW3.11向けにTCP/IPプロトコル用ドライバも提供された。なお、WfWは日本語版は開発されていない。インターネットが普及してくると、Windows 3.1およびWfW 3.11向けにInternet Explorer(16bit版)が公開され、これにはOutlook Express(16ビット版)や電話回線経由でインターネットに接続(ダイヤルアップ)するためのダイヤラーなどが添付されていた。インターネットの閲覧やメールの送受信はInternet Explorer添付のダイヤラーを使ったダイヤルアップの他、LAN Manager Clientをインストールしてある場合やWfWではLAN経由でも可能である。ちなみに、Internet Explorer標準添付のダイヤラーはPC/AT互換機用だったため、PC-9800シリーズやPC-9821シリーズなどでダイヤルアップ接続する場合は市販ソフトなどを別途用意する必要があった。その他、サードパーティ数社(Trumpet等)もPC-9800シリーズなどでもダイヤルアップ可能なインターネット接続ソフトを提供し、TCP/IP機能やウェブブラウザ(MOSAIC等)などを発売した。Windowsは3.0のスタンダード・モードおよびエンハンスト・モードからプロテクトモードのサポートが始まった。厳密には、WindowsはWindows/386 2.xからプロテクトモードを利用しているが、このバージョンでは内部的に80386で導入された機能をプロテクトモードで使用し、アプリケーションには仮想86モードを提供するというものであり、アプリケーションからはプロテクトモードの導入に伴うメリットは非常に限定的だった。これがWindows 3.xのスタンダードモードとエンハンストモードは、Windowsの大半のモジュールがプロテクトモードで動作する16ビットのコードで構成され、アプリケーション(WIN16アプリケーション)もプロテクトモードで動作する16ビットのコードで構成されるように変更された。さらにエンハンストモードでは、80386で導入されたメモリ管理機能をプロテクトモードで動作するシステムのコードに実装し、IA-32のページングを利用した仮想記憶もサポートし、実メモリ以上のメモリをアプリケーションが確保できるようになった。また Windows 用のデバイスドライバとして、80386で導入された機能をプロテクトモードで活用した VxD デバイスドライバもサポートされた。従来のWindowsは常にメモリが不足気味だったが、3.0からのプロテクトモードをサポートした結果、Windows自身とそのアプリケーションは、(コンベンショナルメモリ)+(EMS)よりも高速で大量のメモリを使用可能なプロテクトメモリを利用可能になった。そのため、MS-DOSではメモリ不足から実現不可能だった大型アプリケーションも、Windows用に開発されるようになった。このことは、Windowsが次世代アプリケーションの実行環境としてMS-DOSの後継の地位を築く理由の一つになった。なお、ここで言うメモリの速度とは、ハードウェアの速度のことでは無く、EMSはバンク切り替えがあるためにその切り替えのオーバーヘッド分低速であるということである。実際、プログラムをEMSにロードすることにより、リアルモードでも実行可能な大規模アプリケーションも存在したが、ほぼ常時バンク切り替えを繰り返すために低速だった。Windows NTの登場による32ビットOSへの移行を促す意味もあり、Win32sというドライバ/APIがマイクロソフトから供給された。これはWindows 3.1の386エンハンストモード上で動作する32bitプログラムのためのドライバ/APIであり(WinNTのAPIであるWin32のサブセットなのでWin32s)、これにより初期の32ビットアプリケーションの開発を多少容易にした。また、ファイルシステムにおいてはBIOSを介した16ビットディスクアクセスが基本的に用いられていたものの、Windows 3.1の386エンハンストモードでは常設スワップファイルに対してのみ32ビットでのアクセスが可能となった。さらに、Windows for Workgroups 3.11では完全な32ビットディスクアクセスが実現された。Windows 3.1からは、Windows 95かWindows 98(Second Editionも含む)にのみアップグレードできる。その後継であるWindows Meや、Windows 2000にできない。また、Windows 95かWindows 98のどちらにアップグレードしても、後にそのバージョンをアンインストールしてWindows 3.1に戻せる。個々のプログラムの設定は、それぞれのプログラムが持つiniという拡張子が付けられたファイル、もしくはwin.iniやsystem.iniなどのWindowsのシステムファイルで行っていた。Windowsそのものの設定もwin.iniとsystem.iniで行っていた。これらはテキストファイルであり、テキストエディタで編集を行うことができたため、何かしらの設定変更の後Windowsが立ち上がらなくなっても、MS-DOS環境などからwin.iniやsystem.iniの中身を修正して復旧することができた。Windows 3.1で採用された頃のレジストリは、ファイルの関連付けなどに使用される程度だった。Windows 95以降、レジストリを中心にWindowsのコンフィグレーションがブラックボックス化されてしまったのに対し、Windows 3.1以前のWindowsは比較的中身の理解しやすいシステムだったと言える。Windows 3.1時代のシステムの柔軟性を生かして、日本で未発売のWindows for Workgroupsの差分のシステムファイルを日本語版Windows3.1(DOS/V版)に移植をしたり、i286で動作する英語版Windows 3.1や日本未発売のWindows for WorkgroupsにWin/V等の日本語パッチを当てるということも出来た。本OSの起動音「tada.wav」は、以降のWindows OSの全てに搭載されている。
出典:wikipedia
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