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諭鶴羽山

諭鶴羽山(ゆづるはさん)は兵庫県の淡路島南部をほぼ東西に連なる諭鶴羽山地の西部にある標高607.9mの山である。諭鶴羽山地の最高峰であり淡路島の最高峰でもある。南あわじ市の神代浦壁・北阿万稲田南・灘惣川の境界に位置する。一等三角点設置。柏原山、先山とともに「淡路三山」の一峰。古名に譲葉山とも。山名はユズリハが多く見られることから、また、この山に群落をなす照葉樹が春から夏にかけて葉を更新して(若葉に譲って)いく様から名付けられたとされる。紀伊水道に浮かぶ沼島との間を通る中央構造線の北側にあたり、堆積岩である白亜紀の和泉層群の砂岩・礫岩などで成り立っている。南斜面は断層崖となっているため急傾斜で海岸線まで落ち込んでいる。これに対して東西の尾根は起伏が少なく穏やかに伸びている。瀬戸内海式気候に含まれる諭鶴羽山一帯は温暖で冬季に雨が少なく、北側山麓には灌漑用の諭鶴羽ダム・牛内ダム・大日川ダムがある。瀬戸内海国立公園に属し、山頂一帯の諭鶴羽神社の社叢林は国立公園の特別地域に指定されている。照葉樹林が広がり、標高450mあたりから上のアカガシの極相林は県内一といわれ、1974年(昭和49年)に兵庫県指定天然記念物に指定されている。また南側斜面にはスイセンが約7haにわたって自生していて、灘黒岩水仙郷として例年12月下旬から観光客を集めている。哺乳類ではニホンジカ、イノシシ、ニホンザル、タヌキなどが生息している。山頂の南側約400mに鎮座する諭鶴羽神社は創建が開化天皇の治世と伝えられる古社である。祭神は伊弉冉尊・速玉男命・事解男命。三角点のある山頂は諭鶴羽神社の御旅所で、毎年4月第2土曜日に行われる春の例大祭には神輿が上がる。自然崇拝に始まったとみられる諭鶴羽参りは平安時代になると修験道の一大道場として隆盛を誇った。長寛元年(1163年)に書かれた『長寛勘文』の「熊野権現御垂迹縁起伝」によると、熊野神は英彦山から石鎚山、諭鶴羽山を経て熊野新宮・神蔵の峯へ渡られたとされる。一帯に28宇の伽藍が建ち並び、熊野権現元宮・熊野本宮と称えられて京の都にまでその名が聞こえた。『枕草子』にも「峰は ゆずるはの峰 あみだの峰 いや高の峰」とある。しかし康正2年(1456年)に戦乱で全山が焼失。天文年間に美作藩主の助力で18宇を再建したが、天文18年(1549年)6月9日に石川紀伊守の乱で再び焼失。再興の望みがないため資料を後世へ伝えるべく天文21年、美作の乗蔵らが各社堂・神仏を碑石に刻んで残した。これらの碑石が奥宮・十二所神社に安置されている。その後、承応年間(1652年から1654年)に徳島藩主の蜂須賀氏により本殿、拝殿などが再建されたが、明治初年の神仏分離令によって衰退した。参道である諭鶴羽古道は、表参道が一の鳥居のある灘黒岩から18町。裏参道が神代浦壁・賀集牛内から30町。1町毎に町目地蔵が安置されている。また古道から発掘された町石は建武元年(1334年)銘で、在銘町石として県下最古のものである。また社叢林の原生林には前述のアカガシの他にタブノキの群落も見られる。通行時及び送迎(公共交通機関が無い為)に関しては諭鶴羽神社・諭鶴羽山送迎のご案内/登山道情報を参考されたい。南北どちらからも尾根までに急登がある。南北どちらも狭隘道路で、中型自動車(マイクロバスなど)以上は通行できない。また、小石程度の落石もある。諭鶴羽神社前の駐車場から山頂までは諭鶴羽古道(裏参道)で約400m。

出典:wikipedia

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