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斎藤十朗

斎藤 十朗(さいとう じゅうろう、昭和15年(1940年)2月5日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属。参議院議員(6期)、厚生大臣(71代)、参議院議長(21・22代)、自由民主党参議院議員会長を歴任。厚生大臣・警察庁長官を務めた斎藤昇は父。妻は表千家家元千宗左の妹。三重県伊賀市(旧伊賀町)出身。1958年(昭和33年)に東京教育大学附属中学校・高等学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。慶應義塾大学卒業後、三井銀行を経て、父・昇の死去に伴う1972年(昭和47年)の参議院議員補選に父の後を継いで立候補して初当選する。連続当選6回。自民党内では田中派→竹下派→小渕派→橋本派に所属。1986年(昭和61年)に第3次中曽根内閣の厚生大臣として初入閣した(父・昇は第2次佐藤内閣・第3次佐藤内閣で厚相を務めており、親子2代での厚相就任となった)。また、自民党国会対策委員長、自民党参院幹事長、自民党参議院議員会長などを歴任。「参議院のプリンス」「ミスター参議院」と呼ばれる。1989年(平成元年)の参院選惨敗によるねじれ国会下で消費税廃止法案の審議で自民党参院幹事長として対応に苦慮していたが、「審議時間は長く取れても、最終的には採決・可決・衆議院送付せざるを得ない」と小沢一郎幹事長ら党執行部に対して話すことになり、消費税廃止法案が参議院本会議で可決された。1995年(平成7年)に、55歳で第21代参議院議長に就任して、慣例に従い自民党の党籍を離脱した。1998年(平成10年)の改選時には異例の議長再任を果たした。この背景には斎藤の仲人をつとめた竹下登元首相の後押しもあった。議長として参議院改革に尽力し、押しボタン式投票を導入した。1999年(平成11年)8月12日の通信傍受法など「組織犯罪対策三法」採決では、野党が牛歩戦術を取った際、斎藤は議長職権で投票時間を制限して、牛歩を封じた。2000年(平成12年)に選挙制度改革をめぐり、参議院の特別委員会において野党が委員会への委員名簿の提出を拒否する審議拒否戦術に出ると、斎藤は議長権限で野党の委員を選出した。10月19日、選挙制度改革をめぐる与野党調停に失敗し責任をとる形で議長を辞任した。その後もしばらくの間無所属のままでいたが2001年(平成13年)4月2日、自民党に復党。三重県連会長となる。2004年(平成16年)に、政界を引退した。第20回参議院議員通常選挙には津田健児が代わって立候補したが、民主党の芝博一に敗れた。3年前の第19回参議院議員通常選挙でも自民党候補は敗れており、これで自民党は参議院三重県選挙区での議席を失った。2013年第23回参議院議員通常選挙で吉川有美が勝利するまで、参議院一人区では数少ない自民党の空白区となっていた。政治家の年金未納問題が注目された際に年金の未納が発覚している。議員引退後は、全国社会福祉協議会、中央共同募金会、全国老人クラブ連合会の各会長を務めている。また、2002年(平成14年)からは三重県遺族会会長も務めている。

出典:wikipedia

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