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岡山シーガルズ

岡山シーガルズ(おかやまシーガルズ)は、岡山県岡山市を本拠地とする女子バレーボールクラブチームである。現在V・プレミアリーグに所属。1999年、前身の東芝シーガルズ活動停止をうけ、リーグ唯一のクラブチームとして同年よりVリーグ加盟。ホームタウンは岡山県。主なホームゲーム開催施設は桃太郎アリーナ。チーム名の由来は、海が近く、大空に飛び立つカモメを意味する。監督である河本昭義の影響で、同チームの選手は大阪のバレーボール名門校、大阪国際滝井高等学校の出身者が多くを占めている。このことについては滝井側も自覚しており、自他共に「シーガルズジュニアチーム」を公認している。シーガルズが参加するリーグ戦等での同校在校生による応援風景はこのチームならではの風物詩となっている。選手は一部プロ契約及び学生を除き、シーガルズ事務局職員として練習の合間に事務及び営業の仕事に従事している。チームの前身は、神奈川県横浜市にあった東芝京浜女子バレーボール部。後に「シーガルズ」を愛称とし、チーム名を「東芝シーガルズ」に改称する。1993年9月、大阪国際滝井高から河本昭義氏を監督に迎え、新体制を発足させ、翌年の全日本選手権(黒鷲旗)でベスト4入りを果たし、Vリーグ昇格を果たした。1996年シーズンにはヨーコ・ゼッターランドがチームに在籍していた事もある。諸般の事情により1999年5月をもって東芝の実業団チームとしての活動を終了。東芝の休部に際し、監督である河本昭義と関係者は、後継として、ヨーロッパなどに存在する地域に根付いたクラブチームへの移行を模索して活動。チームの資本金を一企業が総負担するのではなく、複数の企業から出資された資本金を元手に自立したチームを立ち上げるよう奔走した。1999年4月、選手はひとまずそれまで所属した東芝より、新たに立ち上げるチームの母体となる運営会社への出向という形をとることを了承される。出向としたのは、不測の事態のときに、選手が社員として東芝への復帰が可能とするための措置であり、これを見てVリーグは史上例のないクラブチームのリーグ参加について、下部への降格では無く、Vリーグに残って活動することに条件付の了承を出す。この措置は、同じ東芝のサッカー部を母体とした、コンサドーレ札幌と同様のものである。同年5月には、2000年富山国体への強化策の切り札として、富山県黒部市が本拠地として活動する場を提供。選手22名、監督以下当時のスタッフ全10名が、新たに複数の協賛企業によって立ち上げる運営会社へ移籍することが決まった。同年6月には、大阪のアイ電気通信社を中心とする関西・北陸の16社が、チームの母体となる株式会社ウォーク(社長・国方勲)を設立。この後、協賛企業は12社増え28社となり、それらの協賛企業が出資した資本金を元に、Vリーグ(現・プレミアリーグ)初のクラブチームとなった。チーム名称は冠名を付けず、マスコットネームの「シーガルズ」のみに変更された。この年の1999年Vリーグシーズンを迎えるまでに、協賛企業は36社、サポーターは1200人を集めた。初年度の運営費は1億3000万に上った。その後の運営費の捻出については、地域との交流、自治体からの支援、クラブの現在の基本概念でもあるファンクラブ会員による会費での運営を目指した。この形態は現在も続いている。河本昭義が岡山県笠岡市出身であることから、岡山県バレーボール協会の誘致などで2001年11月に、本拠地を現在の岡山市に移動した。2005年岡山国体の強化を見据えたもので、移籍したこの年より、大目標であった岡山国体をはさみ国体5連覇を達成した。岡山へ移転した頃から、チーム設立以来低迷していたリーグ戦での成績も徐々に安定していく。なかでも、2005年の第11回Vリーグでは、最終戦の結果次第で初のセミファイナル進出という所まで迫った(最終戦で敗れ、5位に終わる)。2006年4月1日に、岡山シーガルズにチーム名を変更。ここにいたり、ようやく地域名である岡山を冠にもつ地域密着型市民クラブチーム、岡山シーガルズとなり、改めて活動を活発化させていく。2007年10月、埋もれた人材を発掘し広く門戸を開くのを目的に、女子のトップチームでは初となるトライアウト(入団テスト)を実施。川崎右芙子が採用第1号となった。2008年、2007-08プレミアリーグにおいて女子クラブチームとして史上初となる上位4チームによるセミファイナルに進出し、前身の東芝時代も含めて最高成績の4位となった。2010-11プレミアリーグでは、怪我人が相次ぎ成績が低迷。10シーズンぶりに最下位が確定したが、2011年3月11日に発生した東日本大震災により、当期リーグ戦の残り試合が中止となり、チャレンジマッチも中止となったため、岡山シーガルズの来シーズンのプレミア残留が決定した。2012-13プレミアリーグでは、レギュラーラウンド4位で2シーズン連続してファイナルラウンドに進出し、チーム最高位となる3位を獲得した。2013-14プレミアリーグでは3年連続でファイナルラウンドに進出、セミファイナルで1位となり優勝決定戦に進出。決勝では涙を飲むもチーム最高となる準優勝を遂げた。2016年10月版2016年10月版※ 肩のスポンサーについては試合毎に左右の肩に2社表記される(試合によっては表記されない)。2008-09シーズンまでは、左右の袖にスポンサー表記があったが、2009-10シーズンからユニフォームの上着がノースリーブタイプに変更されたために、肩に変更された。(50音別)いずれも、2007-08シーズンまで。※上記は、中国銀行とともにチームのメーンスポンサーだった。

出典:wikipedia

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