GNU General Public License(GNU GPLもしくは単にGPLとも)とは、GNUプロジェクトのためにリチャード・ストールマンにより作成されたフリーソフトウェアライセンスである。八田真行の日本語訳ではGNU 一般公衆利用許諾書と呼んでいる。GPLは、プログラム(日本国著作権法ではプログラムの著作物)の複製物を所持している者に対し、概ね以下のことを許諾するライセンスである。GPLは二次的著作物についても上記4点の権利を保護しようとする。この仕組みはコピーレフトと呼ばれ、GPLでライセンスされた著作物は、その二次的著作物に関してもGPLでライセンスされなければならない。これはBSDライセンスをはじめとするが、二次的著作物を独占的なものとして再頒布することを許しているのとは対照的である。GPLはコピーレフトのソフトウェアライセンスとしては初めてのものであり、そのもっとも代表的なものである。GPLはフリーソフトウェア財団(Free Software Foundation。以下FSFと略称)によって公開され、その管理が行われている。FSFが公開、管理する他のライセンスには、GNU Lesser General Public License(GNU LGPL)、GNU Free Documentation License(GNU FDL、またはGFDL)そしてGNU Affero General Public Licenseバージョン3(GNU AGPLv3)がある。GPLは1989年にリチャード・ストールマンによって、GNUプロジェクトのソフトウェアの配布を目的に作られた。オリジナルのGPLは、初期のGNU Emacs、GNUデバッガそしてGNU Cコンパイラの配布に利用していた類似のライセンスを基に、それらを組み合わせたものをベースとしている。前記3つのライセンスは、現在のGPLと似たような条文を含んでいる。しかし、それらは各プログラム固有のライセンスであり、似通っているとはいえ、互いの互換性は全くなかった。ストールマンの目標は、いかなるプロジェクトでも使用可能で、それゆえ多くのプロジェクトがコードを共有することを可能にさせる単一の汎用的なライセンスを作り出すことだった。GPLは幾度か改訂されており、1991年にはバージョン2がリリースされている。バージョン3がリリースされるまで、それに従うこと15年間、FLOSSコミュニティの幾人かは、GPLでライセンスされているプログラムを、ライセンスの意図に反し、搾取する事につながる"抜け道"("loopholes"; 抜け穴、ループホール)に対し懸念を抱くようになった。これらの懸念の中には、TiVo化(Tivoization。GPLでライセンスされたプログラムが含まれているにも関わらず、改変版ソフトウェアの稼動を拒絶するハードウェアについての問題)、Webインタフェースの裏側に隠れ公開されることのない改変版GPLソフトウェアの利用、AGPLバージョン1と同等の互換性問題、GNU/Linuxコミュニティと敵対するための武器として特許を行使する企てと見なされる、マイクロソフトとGNU/Linuxディストリビュータとの特許契約などがある。FSFならびにFLOSSコミュニティは、これら懸念に対し真剣に取り組むべく、バージョン3への改訂作業を始めた。2007年6月29日、GPLバージョン3は公式にリリースされた。GPLでライセンスされている傑出したフリーソフトウェアのプログラムには、LinuxカーネルやGNUコンパイラコレクション(GCC)がある。ストールマンは、ソフトウェアに対する自由とは何かという問題を提起し、そのひとつの答えを提示した。GPLは、「自由なソフトウェア」を、有償・無償に関係なく、頒布できるようにした、という単純な意味だけでなく、「ソフトウェアは自由であるべき」という思想が存在することを一般に認知させたという意味において極めて重要な意義がある。GPLにより付与される強力なコピーレフトはGNU/Linuxの成功にとって重要な役割を果たしているとも言われる。なぜなら、コミュニティに全く還元しようとしないソフトウェア企業にただ搾取されるのではなく、著作物が世界全体に貢献し、自由であり続けるという確証をGPLはプログラマに与えたからである。ちなみにGPL誕生以前、Emacsの頒布条件となっていたライセンス("Emacs General Public Licence")が生まれたきっかけは、ジェームズ・ゴスリンが作成し、当初自由な利用が認められていたGosling Emacsのコードが突如ゴスリンにより独占的な許諾条件にされてしまったことが契機となっている。この許諾条件の変更の影響により、ストールマンは自身のEmacsのコードを書き換えなければならなくなった。またGPL、GNUプロジェクトの誕生について、次のような逸話もある。当時、ストールマンはMIT人工知能研究所でSymbolics社製のLISPマシンで動くソフトウェアを開発していたが、ストールマンがSymbolics社に対して提供したソースコード(ストールマンが作ったものであるが、パブリックドメイン版であるもの)の改変版について、同社が著作権を根拠にソースコードを開示しなかったことに腹を立てGPLを考案したといわれる。いずれにせよ、これ以降いかにしてソースコードの自由な利用を保証するかということにストールマンは腐心するようになる。GPLはフリーあるいはオープンソースソフトウェア用のライセンスとして圧倒的な人気がある。きわめて大きいソフトウェア・アーカイブをもつの1997年の調査では、約半数をGPLのソフトウェアが占めていた。2001年の調査では、Red Hat Linux 7.1 に使われているソースコードの 50%がGPLでライセンスされている。2006年1月の時点で、SourceForge.netにホスティングされているプロジェクトの約68%が、2007年8月の時点で、Freshmeatに掲載されている43,442のフリーソフトウェア・プロジェクトのうち65%近くが保護されるライセンスとしてGPLを使用している(両サイトを運営しているのはLinuxとGPLに造詣の深い企業Geeknet社である)。バージョン1は、1989年2月にリリースされた。このライセンスは、ソフトウェア頒布者が制限しようとする主に2つの手段から、フリーソフトウェアの定義たる自由を守る働きを持っていた。第一の問題は、頒布者がバイナリ、すなわち実行ファイルのみを公開するかもしれないということである。しかしながらバイナリは人間にとって読み取れる形式ではなく、また改変もできない。このことを防ぐため、GPLv1では、バイナリを頒布するいかなるベンダーも、同じライセンスの条項のもと、機械可読なソースコードの形で利用できるようにしなければならないとしている(ライセンスの第3a節、第3b節を見よ)。第二の問題は、ライセンスに追加の制限を加える、もしくは頒布において別の制限があるソフトウェアを組み合わせることのどちらかにより、頒布者が追加の制限を加える可能性があるということだった。もしこのことが成されれば、その時、制限の2つの集合の和は、組み合わされた著作物に適用されるだろうが、それはすなわち、受け入れられない制限が加えられたことに等しい。この様な事態を避けるため、GPLv1では、改変版は、全体として、GPLv1の条項の下頒布されなければならないと規定している(ライセンスの第2b節、第4節を見よ)。このため、GPLv1の条項の下頒布されているソフトウェアは、それよりも緩やかなライセンスで保護されるソフトウェアと組み合わせて頒布することが可能となる。なぜなら、組み合わせによって全体を通して頒布に係るライセンス条項に変化はないからである。しかし、GPLv1の条項の下頒布されているソフトウェアとそれよりも制限の厳しいライセンスで頒布されるソフトウェアを組み合わせることは、GPLv1の条項の下全体が頒布されるという要件と衝突するため、できない。リチャード・ストールマンによれば、GPLv2で最大の変更は第7節、彼に言わせると、パトリック・ヘンリーの名文句「"自由か然らずんば死を"」("Liberty or Death")の一節である。他の利用者の自由を尊重するような方法で、GPLで保護されたソフトウェアの頒布が"妨げられる"場合(たとえば、法的規制によりソフトウェアをバイナリ形式でしか頒布できないとき)、この節に従えば、頒布は一切できない。GPLv3でも同様の条項が存在し、幾分簡素化されたうえ主旨が明確になっている。これは、フリーソフトウェア開発者や、フリーソフトウェアを単に使用する者から金を脅し取ろうと特許を行使する企業の企みをすこしでも減らすことを見込んでいる。1990年までには、現存するプロプライエタリなライブラリと本質的には同等な機能を持つCライブラリや、その他のソフトウェア・ライブラリに対しては、制限の緩いライセンスのほうが戦略的に有効なことが明らかになってきた。1991年6月にGPL第2版がリリースされた際、第2のライセンス、つまりLibrary General Public License (LGPL) が、(初版にもかかわらずGPLと相補的なことを示すため第2版として) 同時に導入された。GNUの思想における位置づけを反映させるため、Lesser General Public Licenseと名を変え、1999年、LGPL2.1がリリースされた。GNU General Public License version 3(略称GNU GPLv3、単にGPLv3とも)は、ソフトウェア(プログラム・ライブラリなど)を含む著作物に対し、著作物の著作者・著作権者やライセンス受諾者の権利や、プログラムの受領者のためにライセンス許諾者が与える権利、またソフトウェアの自由と衝突するような法や法的権利の制限(DRM、特許の利用、他者を差別するような特許ライセンスの排除)などに関する基本理念を以前のバージョンのライセンスより明文化している。ストールマンによると、もっとも重要な改訂点は、ソフトウェア特許、他のフリーソフトウェア・ライセンスとの"両立性"("compatibility"; 互換性)、「ソースコード」とは何を指すのかの定義、ソフトウェアの改変に関する("TiVo化")そしてデジタル著作権管理(Digital Rigits Management, DRM)との関連がある。その他の改訂点は、国際化、ライセンス違反時の対処手段そして可能ならば著作権者により"追加的条項"("additional terms")を与える手段に関連している。他注目に値する改訂点としては、GPLv3で保護された著作物の著作権者が、パッチなどを提供しそれに改変を加えた"貢献者"("contributor")に対し、ある種の条件または要求を課すということを許諾する条項が加えられている。これらに加えて、新しく導入された要件の一つには、時折"Affero条項"("Affero clause"、"Affero節")とも呼ばれるが、Software as a serviceのようなASPモデルによるGPLの条項を回避しようとする試み("ASP loophole"; ASPの抜け道)に対し、これを封じようと意図しているものも含まれる。この条項が追加された結果、GNU Affero General Public Licenseバージョン3(GNU AGPLv3)が作成されている。GPLv3とAGPLv3は互いに両立はしないが、リンクや結合のみを認める相補的な条項を共に持っている。また、GPLv3で許諾されるソフトウェアは、米国のDMCAや日本の著作権法、不正競争防止法が規定している「技術的制限手段」(技術的保護手段、例: DRM)の「解除」を認める条項が追加されている(詳細はセクション"技術的保護手段回避を禁ずる法への対抗措置"を参照)。2005年後半、FSFは、GPLバージョン3(GPLv3)の策定に関するアナウンスを行った。2005年の時点でGPLは様々なFLOSSプロジェクトのソフトウェアに採用されていたこともあり、FSFが単独で改訂することにより起こりえる問題を回避するため、改訂プロセスは公開で行うことが同時に発表された。2006年1月16日、GPLv3の最初の"議論用草稿"("discussion draft")が公開され、公開協議プロセスを開始した。当初公開協議は9ヶ月から15ヶ月を想定していたが、終わってみると、4つの草稿公開に延べ18ヶ月にまで要した。公式のGPLv3は2007年6月29日、FSFにより発表された。GPLv3は、リチャード・ストールマンにより起草され、エベン・モグレンならびにSoftware Freedom Law Center(SLFC)による法的助言を受けている。公開協議プロセスは、FSFを調整役、SFLC・Free Software Foundation Europe(FSFE)その他フリーソフトウェア開発組織による支援のもと進められた。この間、"gplv3.fsf.org"というウェブポータルサイトが立ち上げられ、ここを経由し多くの一般からのコメントが集められた。このポータルサイトは、策定プロセスのために開発された"stet"というソフトウェア上で稼働している。これらコメントは、およそ130名ほどから成る4つの"協議グループ"("committee")に渡された。この130名はFSFの目標に対しそれを支持する人物並びにそれと対立する人物双方が含まれている。これら協議グループは一般から提示されたコメントを精査し、新しいライセンスがどうあるべきか決定するため、ストールマンにその要約を回付した。公開協議プロセスを経て、初回の草稿には962ものコメントが提出された。終わってみると、延べ2,636ものコメントが提出されていた。初版の草稿公開ののち、GPLv2とGPLv3の非公式な差分(但し、これはdiff出力による行単位ごとの単純な差分)が、FLOSSコミュニティ向け法律サイトGroklawにより公開された。2006年7月27日、GPLv3の討議用第2次草稿が、LGPL第3版(GNU LGPLv3)の初版草稿とともに公開された。初稿と第2稿の差分は、FSFとFSFEからそれぞれ提示されている。第2稿ではDRMに対抗する明確な目標が取り入れられている。第3稿は2007年3月28日に公開された。この草稿は、かの物議を醸したマイクロソフトとノベルが締結したような"特許相互ライセンス"("patent cross-license")を排除する意図を持つ文言を含んでおり、反TiVo化条項("anti-tivoization clauses")は"ユーザ製品"("User Product")・"コンシューマ製品"("Consumer Product")といった一般家庭で使用される製品に限定する旨定めている。また、公開協議開始時点で削除が予告されていた"地理的(頒布)制限"("Geographical Limitations")の項については、明白に削除されている。最終稿となった第4の議論草稿は2007年5月31日に公開された。この草稿では、Apache Licenseとの組み合わせを可能にする条項が導入された他、外部"契約者"("contractor")の役割を明確化し、マイクロソフト–ノベル間の契約のような明白な問題を回避する例外条項を加えている。この最後の例外条項は、第11項第7段落に次のように記載されている(条文は正式公開版と同一である)。これは、そのような契約を将来に渡って無効化することを目的としている。また本ライセンスは、マイクロソフトが、あるGPLv3ソフトウェアを利用するノベルの顧客に許諾したような特許契約(特許ライセンス、特許許諾、パテントライセンス)を、まさにそのGPLv3ソフトウェアを利用するユーザーすべてにまで(ユーザーの行為如何に全く関わらず)自動的に拡大適用することを意味する。ただし、マイクロソフトが法的にGPLv3ソフトウェアの"伝達者"("conveyor"; "譲渡者")でもない限り、それは不可能である。これはある種、特許契約に対しそれを他者に無制限に提供してしまうことから、ポイズンピルのような働きを持つとの意見もある。ただし本条項導入の直接の契機となった、ノベルの行為そのものに対しては、本項第7段落最後に例外を設け、を適用している。一方、態度を鮮明にしている幾人かの有名なLinuxカーネル開発者は、マスメディアに対しコメントを出し、議論用の初稿ならびに第2稿の一部に反対する旨の声名を発表した。リーナス・トーバルズは、GPLv3の反DRM条項により、GPLv3でライセンスされたソフトウェアがDRMを利用したコンピュータ・セキュリティのメカニズムを享受できなくなるとして、LinuxカーネルのGPLv3への移行には明確に反対している。リチャード・ストールマンは、2007年初めにもこの動きは収束すると期待していた。第3稿に関しては、(反TiVo化条項が幾分緩められたため)リーナスは「満足している」と語っていた、が最終稿が提出された後のコメントで、GPLv3はGPLv2と比べ(両者のデュアルライセンスが可能か考慮に入れた上、コードの全著作者からライセンス移行の合意を得るという途方も無い手間を掛けたとしても)移行するメリットはないと述べていた。概ねこれらの議論は本質的には全く同じ視点に立ってはいるが、主にソフトウェアのコードの自由を重視するオープンソース陣営とそれのみではなくソフトウェアを利用するユーザーの自由の最大化を目的とするフリーソフトウェア陣営の考え方の違いが浮き彫りになったに過ぎない。ソフトウェアの自由な利用のためには、ソフトウェアの範疇に留まらず、広く働きかけることを厭わないとする後者の考え方が、GPLv3には色濃く出ている。GPLv3はGPLv2と比べ、条文の大幅な変更にも関わらず、内容自体には大きな変更はないとも言える。しかし全く無いわけではなく、とりわけGPLv3の特許関連条項と、(反DRM条項改め)反TiVo化条項などは、GPLv2の第6節にある「(GPLv2で認められた)"これ以上他のいかなる制限"」("further restriction"、同様の条項がGPLv3の第10項の"さらなる権利制限")に相当するため、原則GPLv3はGPLv2と両立しない。ただし、GPLv2で保護される著作物が“version 2 or later,”でリリースされていれば両立する。「GPLが適用された著作物の複製を受け取る全ての者」(Recipients; 受領者)は、GPLの"条項と条件"("terms and conditions"; "利用条件")を遵守しなければならない。利用条件を遵守するライセンシー("the licensee"; "被許諾者"、"ライセンシー")は著作物を改変する許諾を与えられるのと同時に著作物または二次的著作(派生 "derivative")物の複製と頒布を許諾される。ライセンシーは、このようなサービスを提供するのに料金を課してもよいし、また無料で行ってもよい。この後者の許諾は、GPLと商用再頒布禁止のソフトウェアライセンスとの相違点である。FSFは、フリーソフトウェアは商用利用を制限するべきではないと主張している。また、GPLは、GPLが適用された著作物を如何なる値段で販売しても良い旨、明確に述べてある。加えて、GPLは、頒布者が"GPLにより許諾される以上のさらなる権利制限"("further restrictions on the rights granted by the GPL")を課してはならないと述べている(GPLv2第6節、GPLv3第10項)。これは(純粋に契約である)秘密保持契約("non-disclosure agreement
出典:wikipedia
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