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都営バス深川営業所

都営バス深川自動車営業所(とえいバスふかがわじどうしゃえいぎょうしょ)とは、都営バス路線のうち江東区南部(一部同区北部、墨田区に乗り入れ)、中央区、千代田区などを運行する路線を担当する営業所であり、東京都江東区東雲2丁目に所在する。最寄り駅は東雲駅、最寄りバス停留所は深川車庫前である。営業所内には東京都交通局の職員研修所と職員住宅である東雲寮、都営バス車両の整備工場がある。営業所記号はSを用いる。当営業所の前身は、東陽町駅至近にある東陽操車所の向かい、現在都営アパートの建つ場所にあった洲崎営業所。戦中いったん廃止されたものの、戦後江東の分車庫として営業を再開、1949年には営業所として独立した。当時は、19(→東19→門19)、26(→秋26)、27(→東21系統)の3系統を担当していた。その後、26系統は江東、そして葛西(現・江戸川)を経て臨海へと移管されたが、33系統(→業10系統)、61系統(→東15系統)が相次いで開業したことにより、管轄する路線は東雲、豊洲地区へと延びることとなった。以上のように、豊洲や東雲地区に路線が延びたことにより、1961年には東雲分車庫を開設した。しかし、需要が拡大していくことにより、洲崎営業所の土地は狭小となり、このため東雲分車庫とあわせて東雲鋼材置場に1968年、新たに深川営業所を新設することとなった。当時の地図を見ると周りは野原であったが、鉄鋼団地や辰巳団地など工業、住宅の両面から発展を遂げることとなり、これらへの旅客輸送を担うこととなった。しかし、1988年の有楽町線新木場駅開業により、豊洲や辰巳地区におけるバスの優位性は崩れ、橋14、東18両系統が廃止、門19系統も再編された一方、都市新バスの都05系統が設定された。平成に入ると、東京都交通局の芝浦にあった研修所を当地に移すこととなり、あわせて営業所も若干北方に移動し新たに東雲庁舎が完成した。この際、当営業所は整備工場などが併設されたため、都営バス全営業所の車両の整備も行うこととなり、都営バスの中で中心的な役割を果たす営業所となった。また、13号地と呼ばれたお台場地区の開発が進むこととなり、この方面への路線が積極的に新設されることとなった。その後、大江戸線やりんかい線の開業による再編、および営業所間での路線の移管が行われたため、当営業所は主に江東区・中央区南部の路線を所管する営業所となった。以下の一般路線の他、国展系統(東京ビッグサイト臨時便)も受け持っている。門前仲町を起点とし、越中島、豊洲駅、有明テニスの森、お台場地区を経由して、東京臨海地区の中心である東京テレポート駅に至る系統である。永代通りと清澄通りの門前仲町交差点から、永代通りを東京寄りに約150m程進んだところから発車する(到着は門前仲町交差点から清澄通りを清澄方面に約100mの位置)。門前仲町を出ると清澄通りを進み、越中島交差点で左折する。この先は東京海洋大学越中島校舎や清水建設技術研究所など、学校や工場などの合間を進んでいく。枝川から豊洲までは工場跡地を再開発した高層マンションや、ららぽーと豊洲などの商業施設が立ち並び、昔と違った活気を見せる。現在では、門前仲町から有明北地区付近にかけては生活や通勤の足として利用客が多く、有明一丁目まではほぼ終日10 - 15分毎の運行となっている。また、臨海副都心でのイベントの際には増発する事があるが、この場合は「臨時便」という札を先頭車の前面窓下に掲出する。門19系統のうち門19丁(門前仲町 - 海上公園)を統合し、東京港トンネルを挟んだ品川駅東口 - 海上公園 - 門前仲町の運転となり、本営業所と品川営業所が共同で担当した。この時もまだ船の科学館以外の施設は見られず、利用客の中心は門前仲町 - 有明テニスの森間(有明テニスの森ができる前までは有明中央)であった。その後、臨海副都心の開発が進められていった結果、道路網に変化が見られる様になったので、かつて台場のルートは現在の有明一丁目以西が異なり、湾岸道路を走行し、停留所も13号地トンネル入口は2回停車していた。臨海副都心の開発が進んだ1990年代後半より、双方の起終点から東京テレポート駅や東京ビッグサイトなど、台場地区までの折り返し運用が増える様になったり、フジテレビやテレコムセンターなどの新しい施設を経由する様にルートが一新されたりした。長い間、本路線が台場地区に於ける唯一の公共交通機関だったが、ゆりかもめや虹01系統など都心側からの速達性の高い交通手段が整備した事や、品川と台場をレインボーブリッジ経由で結ぶ虹02系統(廃止して数年後に波01出入系統として復活)が開通することとなる。1997年7月には品川駅東口 - 台場循環系統が設定されるが、これは全便が品川営業所の担当だった。その結果、東京港トンネルの渋滞による定時性の悪化もあり、品川側は利用価値が低下していった。このため、1999年に品川側の折り返し運用を担っていた品川駅東口 - 台場循環系統が廃止され、同時に品川営業所は本系統の担当から外れた。これにより、品川へ顔を出すのは朝夕のみのごくわずかに運転されるのみとなった。しかし、首都高速道路を通るためシートベルトを装備した専用車両(1991年度車)を充当してまでこの便を存続させる必要性は低下していた。その一方で、門前仲町側では利用客が増加しており、輸送力を増強する必要性や門前仲町側でのダイヤの維持が重要視される事となった。このため、2002年12月に並行するりんかい線の東京テレポート駅 - 大崎駅間の開通を機に品川駅 - 東京テレポート駅の区間が廃止され、本路線のみのバス停である「八潮団地入口」も同時に廃止された(並行路線の京浜急行バス大井町駅・大森駅 - 船の科学館駅〈井30・32、森30・40〉は存続し、停留所は都営から京急に譲渡された)。その結果、本路線は台場地区以東が残存する事となり、2006年3月にゆりかもめが豊洲まで延長されたが、なおその後も増便が続いている。2009年4月からは再び品川営業所との共管となり、2013年4月には門前仲町 - 東京ビッグサイト間の便が廃止となっている。京成バス新都心営業所の幕張ベイタウン線にも海01系統があるが、海浜幕張駅の海に由来するため、当系統とは無関係。都05系統は、東京駅と晴海埠頭を有楽町駅、銀座を経由して結ぶ東京都交通局が運営する路線バスの路線の一つである。主に晴海通りを走行する。都05系統の前身に当たる路線は、新宿駅と晴海埠頭を結んでいた銀71系統の折返し便である。なお、この当時の東京駅と晴海埠頭を結ぶ運行路線は、一旦、銀71系統の都市新バス化(都03系統)の際に廃止された。その後、営団有楽町線(当時)の新富町駅 - 新木場駅の開業に伴う路線見直しの際に、東京駅丸の内南口と晴海埠頭を結ぶ路線として、都05系統の系統番号が与えられ、新たに開業した。なお、同年3月に設定されていた都03・都04系統とともにグリーンアローズの愛称が与えられた。2007年3月には、土曜休日の日中に限り晴海三丁目から新たに開通した晴海大橋等を経由して、お台場地区を結ぶ東京テレポート駅発着便の運転を開始した。2013年4月1日には、東京テレポート駅発着便を廃止し、新たに全日ともに運行する東京ビッグサイト発着便を新設した。なお、この際、従来設置されていなかった「新豊洲駅前」と「かえつ有明中高前」停留所を新設した。品川営業所との共管路線。詳細は"都営バス品川営業所#波01系統"を参照。2000年12月12日にAL02系統として開通した。アクセスラインバスだったため運賃は100円。2003年4月に現在の形態に変更されたが、その際に一般系統化されたため、運賃は他系統と同じとなった。車両は当初千住と南千住営業所から転入した三菱ふそう・エアロミディが充当され、数ヶ月後には日産ディーゼル・RMのCNGノンステップ車が専用車として導入されたため、エアロミディは品川と南千住に転出している。現在は他の系統と共通化され、専用車は臨海支所に転属した。なお、運転時間帯は平日朝夕のみとなっている。前身のアクセスラインと同様に方向幕は黄色のものを用いるが、文字は黒色である。朝夕の最終2本は、四街区止まりで深川車庫へ回送入庫する。また、1日数本ではあるがキャナルコート側からの豊洲止まりがある。なお、この系統は他系統と異なり、豊洲二丁目と深川五中前の両停留所には停車しない。以前33系統(新橋 - 銀座4丁目 - 豊洲埠頭 - 木場駅 - 菊川3丁目 - 緑町3丁目 - 業平橋駅 - 千束2丁目 - 日暮里駅)として運行されており、業平橋駅(現・とうきょうスカイツリー駅)以遠に通じていた。現在は、新橋を起点とし、銀座四丁目、豊洲駅、木場駅を経由してとうきょうスカイツリー駅までを結ぶ路線と、新橋・とうきょうスカイツリー駅からの深川車庫への出入庫路線からなる系統である。運転系統は新橋 - とうきょうスカイツリー駅間の運転が中心となるが、新橋・とうきょうスカイツリー駅から途中の豊洲駅を介して深川車庫への出入庫路線(豊洲駅と深川車庫の間の経路が2通り存在)や、途中の菊川駅・木場駅・勝どき駅折り返しなど多種に渡る運転区間を持つ。本路線の起点となっている「新橋」は、他の新橋駅前乗り入れ系統と異なり、唯一停留所名に駅が付かない。これは、通常使用している乗り場(始発 - 20時)が駅前のバスターミナルではなく、外堀通りを挟んだ北側の路地裏にある事による。20時以降は、数寄屋橋交差点における右折禁止解除に伴う渋滞の可能性から、かつての橋86系統のルート(新橋駅 - 銀座六丁目 - 銀座四丁目)にルートを変更して運行を行う。このため、新橋の停留所が駅前にある市01系統の場所へ変更となる。1942年に戦時の交通統制により市が継承した城東乗合自動車の路線をベースとしている。城東乗合は1932年時点で木場町(電停) - 緑町三丁目 - 観音裏 - 上根岸間のわずか1路線を有していた会社である。その後、都営となった当初も大きな変化はなく、33系統(木場三丁目 - 日暮里駅)で運行していた。1953年には新橋 - 木場三丁目間が開設され、本路線の基礎となる区間がこの時点で全線開通となる。1963年に33系統は、新橋 - 業平橋駅間と12系統(晴海埠頭 - 日暮里駅)に分割され、33系統はその後も一部区間で経路変更や区間便の廃止新設などが行われるものの、目立った動きは多くなかった(78系統は里12と改番され運行を続け、1976年に廃止された)。1988年に廃止された東18系統の代替的路線として、業10乙系統(新橋 - 月島駅)の運転を開始した。有楽町線全通後は早朝のみの運行でかつ路線案内にも記述されない路線となり、2003年に廃止された。1999年には業平橋駅から深川車庫への出入庫路線を毎日1往復東京ビッグサイトに延長する。ダイヤは催事に合わせた形になっているものの、一般客への認知度が低い状態が続いていたため、2007年に深川車庫止まりへと戻された。2012年に起点である業平橋駅前がとうきょうスカイツリー駅前に改称されたが、系統名には引き続き「業」の字が使用されている。東陽町駅から工場などの多い新木場周辺を結ぶ系統である。当初は、新木場にはまだ木場から木材工場が移転してきたのみで、利用客が殆どいない状態だったため、大赤字が続いた。しかし、新木場周辺は京葉線や有楽町線がまだ通っておらず、交通アクセスが非常に悪かったため、港湾局から補助金を受ける事で存続していた。その後、新木場への工場などの集積などもあり、徐々に利用客は増えていく。また、夢の島や若洲などの公園整備などによりこれらへ向かう人々の利用も発生した。その後、京葉線などの開通があったものの、京葉線の東京駅はホーム立地があまりよくないため、新木場方面へは東西線と本路線を利用したルートも利用客は多いようである。かつては東陽七丁目発着であったが、木場駅発着に短縮されている。ダイヤとしては、基本的に東陽町駅発がメイン。木場駅発着は主に出入用となっている(木場駅前で折り返せないため)。そのため、全日とも木場駅前行きが特定の時間帯に連続で来る形となっている。本線はメインの新木場循環や、途中で分岐し若洲キャンプ場へ行き、折り返して再び循環部分の後半に入る運用のほか、終車間際にヘリポート方面を循環しない新木場駅行きの運行があり、明治通り沿線の通勤に特化した運行形態を採っている。また、この系統の東千石橋付近に有楽町線の和光検車区新木場分室があり、イベントが同区で行われるとこの路線がアクセス路線となるため、新木場循環の部分のみを運行する臨時便が運行される事が多く、普段の休日は閑散としている循環部分が満員となる。このほか木11乙系統(東陽町駅 - 潮見駅)も存在するが、これは臨海支所の管轄である。当初は75系統を名乗り地名が現在と違っていた(錦糸町駅 - 住吉町1丁目 - 須崎弁天町 - 豊洲 - 貿易センター前)。現在も錦糸町駅前を起点とし、東陽三丁目、豊洲駅を経由して晴海埠頭を結ぶ甲系統と、錦糸町駅を起点とし、辰巳駅経由で深川車庫を結ぶの乙系統の2系統がある。ラッシュ時を中心として、豊洲駅発着やIHI前発着が運行される。開通した当初から、大きな経路変更や路線の延長、短縮は行われていなかったが、地下鉄有楽町線の新木場延伸時に乙系統の辰巳駅(旧、辰巳二丁目) - 深川車庫間は新辰巳橋経由から新末広橋経由に変更され、その後1990年代半ばに錦糸町駅 - 住吉一丁目の晴海・深川車庫方面の経路が江東橋三丁目、江東橋一丁目経由から住吉駅経由に変更された。2000年代中頃に江東営業所管轄便が設定されていた時期もあったが、錦13系統の江東営業所との共管はごく短い期間で終わった。錦糸町駅から住吉一丁目の間は経路が錦糸町駅行きと晴海埠頭、深川車庫行きで異なる。すなわち、錦糸町駅前行きは江東橋を経由し、大門通り→京葉道路の経路を走行するのに対して、晴海埠頭、深川車庫前行きは四ツ目通り→新大橋通りの経路を走行する。なお、晴海埠頭と深川車庫前との間の出入庫に関しては、入庫系統は錦13出入を名乗るが、出庫系統は都05出入を名乗る。錦13折返系統は2012年4月2日より運行を開始した系統で、運行開始当初は豊洲駅までの運行で、平日朝夕のみ運転であった。東陽町駅は既存停留所を使わず、乗車は東陽町駅前交差点南側の四つ目通り路上、降車は東陽町駅前交差点西側の永代通り路上となる。豊洲駅前停留所はロータリー内に発着し東陽町駅前行は晴海通りを経由して豊洲フロント前で右折しスーパービバホーム手前で再度右折、その後三ツ目通り支線へ左折する。そのため錦13甲系統の豊洲駅前停留所には停車しなかった。2014年3月24日より昭和大学江東豊洲病院まで延伸され、毎日運行となるとともに豊洲駅付近での経路・乗り場変更が行われ、昭和大学江東豊洲病院行きは晴海通り上の門19系統深川車庫方面行きの停留所を使用、東陽町駅行は錦13甲系統と同じ停留所を使用するようになった。当初は洲崎営業所が深川営業所として移転する前で、61系統:東雲都橋 - 豊洲埠頭 - 晴海町 - 明石町 - 宝町1丁目 - 東京駅八重洲口間の路線だった。一時期は様々な派生系統を誇ったものの、東16系統の分離や鉄道の新線開業などに伴い、現在に至る。朝のみ辰巳廻り便が運行されるが、この辰巳経由が有楽町線全通までのルートであり、地下鉄開通で廃止された別路線が経由していた都橋付近の路線消滅を避ける目的で変更された。しかし、朝の通勤時間帯に辰巳団地から東15系統で東京駅方面へ向かう通勤客が多く、住民から復活の要望が多かったため半年後に開通した。こちらは側面方向幕で辰巳駅の部分が水色になっている。当初は東15乙系統として東京駅八重洲口 - 住友ツインビル間のみの運行であった。その後、八重洲通りの延長上に隅田川を渡る中央大橋が開通したため、豊洲駅経由で深川車庫まで延長、東京駅から月島・豊洲地区へのショートカット路線となった。その後、臨海副都心開発の進捗により、深川車庫より先を東京ビッグサイトまで延長された。これを機に系統番号を東16系統に改めて東京テレポート駅まで延長され、東京駅と有明・お台場地区を直結する路線として発展した。現在の都04系統の前身の旧・東16系統とは無関係。2003年には東京テレポート駅発着便の経路を従来の深川車庫経由から有明テニスの森・東京ビッグサイト経由に変更させ、東京ビッグサイトに立ち寄る形となり、東京テレポート駅発着便の多くが東京ビッグサイト折り返しに振り替えられた。2007年には都05系統が土曜・休日の日中のみ東京テレポート駅に乗り入れたことに伴い、東京ビッグサイト - 東京テレポート駅間を短縮している。2012年4月1日に有明一丁目行きの系統が新設された。東京駅八重洲口 - 豊洲駅間は需要が高いため、運行頻度が高くなっている。京浜急行バス三崎営業所の三崎口線にも東16系統が存在するが、これは「三崎東岡」の東に由来するため、当系統とは無関係。戦後の1946年に開設された。当初は東京駅丸の内南口から日本橋や門前仲町を経由して豊洲・東雲地区へ運行されていた。その後も膨張を続け、海上公園や豊洲鉄鋼埠頭、有明橋(有明終点)までの様々な路線が東19系統を名乗るようになったが、1976年10月に門前仲町発着に短縮、門19系統となった。1982年12月26日に実施した再編時のダイヤ改正で、海上公園発着の門19丁系統が海01系統へと統合され、豊洲鉄鋼埠頭発着の門19丙系統は廃止され、その代替として門前仲町 - 豊洲埠頭の区間便が一時設定された。後に有明終点発着の門19甲系統も海01系統へ統合されるなどしたため、残った辰巳経由の深川車庫行(門19乙系統)のみが門19系統として残った。その後2000年12月12日に、海01系統と重複していることや東京駅 - 潮見駅を結んでいた東17系統(急行)が廃止された代替として豊洲一丁目経由に変更され、豊洲一丁目経由が門19甲、塩浜一丁目経由が門19乙になった。そして、2005年春にはがん研究会有明病院への足として昼間の時間帯のみ国際展示場駅発着となった。現在では、従来の塩浜一丁目・枝川経由の経路で運行されるものは海01系統運行時間外の始発・終発の数本に限られ(誤乗防止のため方向幕には主要経由地である「塩浜一丁目」がで強調されている)、車内放送でも運行時間についての注意放送を流している。なお、2006年3月より全便がノンステップバスに統一され、現在は主に日野レインボーHRを使用するが、大型車のいすゞエルガや日野ブルーリボンIIが運用に入る場合もある。その他早朝・夜間には海01系統の出入庫として運行される便もあり、該当便には海01系統の配車の関係で大型車で運行されることもある。塩浜から豊洲に経路変更されて以降、利用客は増加しており、朝夕などは門前仲町発車の時点で大変な混雑になっている便もある。また、本路線のみ経由する豊洲一丁目は、この経路変更により朝夕のみ(東17系統のみ停車)から日中も利用できる停留所になった。しかし、大江戸線の開業時に大幅に減便され、日中は1時間に2本に減ったものの、終日に渡って海01系統とは違った固定利用客を確保している。2013年4月に東京ビッグサイトまで区間延長を行った(入れ替えに海01系統のビッグサイト発着便が廃止)。それ以降は同施設への利用者を配慮してか、大型車の運用が増えている。2003年秋、辰巳・潮見・枝川地区の既存交通では不便な地域での高齢者等の公共交通確保のために、江東区が試験運行を開始したのが始まりである。午前9時台 - 午後4時台まで1日9便、運賃は100円で、現金のみの利用だった。試験運行は予定通り3か月で終了し、期間中のアンケートや議会での議論などで今後の運行のあり方の検討を行った結果、2005年11月に本格運行へと移行し、専用車日野・リエッセを投入した。専用車は1台のみのため、愛称・デザインは江東区報などを通じて2005年7月21日 - 8月5日の期間で公募され、現在のデザインと「しおかぜ」という愛称に決定した。さらに江東01系統という系統番号が与えられ、幕などには掲示がないものの、交通局からのリリースやバス車内の路線図などで使用される。なお、現在でも東京都シルバーパスや一日乗車券に加え、PASMO・Suicaも利用できず、バス共通カードにも未対応であった。海02系統は、有明埠頭からのオーシャン東九フェリー(東京 - 新門司)、マルエーフェリー(東京 - 那覇)利用者、港湾勤務者のために開設された路線。フェリー埠頭に一番近い駅から運行するため、京葉線や臨海副都心線(現・りんかい線)の開通に併せて順次路線を短縮して運行したが、東京港フェリーターミナルの利用客が少なかった事などから利用客は多くなく、他系統の「フェリー埠頭入口」から代替できる事などから廃止された。現在はフェリー会社が国際展示場駅からフェリーの時刻に合わせた形で有料の送迎ワゴンを設定して、足を確保している。海03系統は、中央防波堤にある清掃局への交通手段として開設された。中央防波堤自体は清掃局を除けば何もなかったため、平日・土曜・祝日の朝夕と日曜の朝の2本に偏った運転となっていた。2003年に一旦廃止され、代替として東京テレポート駅とタイム24を結ぶ送迎バスの一部を環境局経由に改めて対応していた。2006年4月より波01系統を開設し、本路線とほぼ同一区間を結んで中央防波堤地区へ乗り入れる路線を復活させた。2003年4月1日に廃止されたが、最終運行日は3月31日だった。中央区と交通局間の「新規バス路線運行に関する協定書」に基づき新設された。晴海埠頭の東京国際見本市会場跡地に建設された「ほっとプラザはるみ」などへのアクセスとしての設定で、本路線開通後に中央区からCNGノンステップバスが無償で譲渡され、都営バスの路線で最初にバリアフリー車率100%を達成した。この車両自体は他の同型車と同じいすゞ・エルガで、中央区のマークが控えめに貼付されている以外は一般車と変わりはない(但し細部の仕様は違うものである)。従って都05系統など深川営業所所轄の他路線で使用される機会も多く、また、本路線に中央区からの譲渡車以外のノンステップバスが使用される事もある。協定書の期限終了の後、2012年4月1日に当路線は廃止された。廃止後は東16折返が新設され一部便が振り替えられたが、東12沿線の住民からの不満は多く、2015年(平成27年)には中央区議会で『都バス「東12」路線廃止により生じた日常生活の不便の解消を求める請願』が採択された。東12系統の廃止後、中央区購入車は深川所属の他車と共通で運用されたが、後に全車が臨海支所へと転出している。東京駅八重洲口 - 月島駅間が東16系統と同経路であった。1963年7月に33(→業10)系統から分割されて発足したが、1976年10月に廃止となった。なお、業10系統は現在も運行されている。1953年3月に47系統として設定された路線で、当初は東雲都橋までの運行だったが、1971年に深川車庫へ延長された。1972年の系統番号整理で橋14系統となる。新橋では業10系統と同じく、夜間の20時以降は数寄屋橋交差点での右折の関係で乗用車の右折が可能となり、右折車の渋滞が起きることから新橋駅前の停留所から出発し銀座通りを走る経路をとっていた。1988年6月の有楽町線新木場延伸に伴う改編により廃止、業10系統の出入庫便に統合された。1952年に開通した路線で、当初は新宿営業所(現・新宿支所)が担当だった。その後深川営業所の開設による移管を経て1982年12月に渋谷営業所所管だった銀86系統と統合、銀16系統となり同時に江東営業所へ移管、勝どき五丁目経由便も存続した。その後、都市新バス化を経て2003年(平成15年)4月に深川営業所へ移管されたが、2009年(平成21年)4月1日に江東営業所に再移管された。この際、勝どき五丁目経由便が廃止となっている。現在、豊海→勝どき五丁目→勝どき駅にかけての区間には中央区コミュニティバス「江戸バス」の南循環が運行されている。東京駅〜都立三商で急行運転(主要停留所のみ停車)を行い、隅田川を佃大橋で渡る路線であった。東京駅 - 豊洲駅間を結ぶ路線としては晴海三丁目経由の東15系統に対して所要時間が短く、通勤対策の意味合いが強い路線であったが、1993年に主要区間が重複しながらより速達性が高い東16系統(開設当時は東15乙系統の延長扱い)が新設された事、独自性の強い越中島・潮見両駅付近の経路も、大半が京葉線両駅の徒歩圏であるなどの理由から必要性が薄れ、2000年12月の路線再編で廃止された。単独区間のうち都立三商 - 豊洲一丁目 - 豊洲駅間は、同時に行われた門19系統の経路変更(豊洲一丁目経由に)により経由便の消滅が避けられ、その結果豊洲一丁目地区の利便性が大幅に向上した(朝夕のみの東17系統時代に比べ、門19系統では日中も毎時2回運行されている)。終戦時から月島三丁目 - 東京駅間が存在していた路線だが、1988年6月の有楽町線新木場延伸時に廃止。東18乙系統は東15系統に編入のうえ東15丙系統となるが、これも1988年12月1日に廃止となった。19系統として1946年(昭和21年)5月20日に運行を開始した路線。1963年(昭和38年)4月10日には朝夕のみ運行の豊洲鉄鋼埠頭発着便が、1969年(昭和44年)4月15日には深川車庫発着便がそれぞれ設定された。その後1976年(昭和51年)10月10日に門前仲町までに短縮、現在の門19系統となる。豊洲鉄鋼埠頭発着便は1982年(昭和57年)12月26日に廃止となった。以前27系統(北砂町5丁目 - 木場3丁目 - 明石町 - 銀座4丁目 - 東京駅南口)として運行されてきた路線である。1988年6月の有楽町線新木場延伸時に廃止となった。本系統の代替という名目で門21系統が設定されたほか、東陽町駅から北砂七丁目にかけては亀21系統が現在も運行されている。中央区からの委託を受け、1992年3月30日から2000年2月まで運行されていた観光客向けの路線。専用車を用い、「銀ブラバス」と名付けられていた(「銀ブラ」とは「銀座をぶらぶら歩く」という意味の俗語)。休日は中央通りで歩行者天国が実施される関係で、平日と休日のルートが異なり、上記のようになっていた。車両は、日野のセンターアンダーフロアシャーシに東京特殊車体のオリジナルボディを架装したレトロ調バス。最後尾にはデッキを備え、座席には液晶テレビを備えていたが、東京国際見本市会場の閉鎖(東京国際展示場への移転、1996年)による需要の落ち込み(都営地下鉄大江戸線の全通でさらなる減少が見込まれた)に加え、広告収入の減少で赤字が増えたことから廃止された。運行廃止後、車両は山形県東根市と岡山県玉野市に譲渡された。しかし両市ともに運行は長続きせず、玉野市は譲渡1年後にはおもちゃ王国に移管された。東根市では山形空港の連絡シャトルバスとして使われたが、2003年には車検切れが到来した。その後の消息は不明だが、1台が富山県氷見市で運行されていたという情報がある。2000年12月12日の路線短縮(新宿駅西口 - 四谷駅間を廃止)と同時に杉並営業所(現・杉並支所)から移管された路線である。その後、2012年4月に港南支所へと移管、都市新バス系統としては初のはとバス委託路線となった。主管は港南支所であったが、1998年2月から深川営業所も一部を担当していた。しかしはとバス委託に伴い撤退した。その後2013年4月に廃止、ケイエム観光バスのkmフラワーバスへと引き継がれた。夢01系統は休日のみ運行のホリデー路線として1990年3月に運行を開始。のち2000年12月にお台場まで延長のうえ土曜・休日運行の急行05系統に変更、その後夢01系統と同経路で平日のみ運行の錦18系統が2002年12月に開通した。2系統とも2005年4月に江東営業所に移管、その後急行05系統はお台場地区の経路変更を経て現在は日本科学未来館発着となっている。1974年(昭和49年)5月に開通。この系統は過去に深川・江東営業所の間で何度か移管されている。当初は深川営業所が担当したが、その後江東→深川の順で移管され、2000年(平成12年)12月には江東営業所の担当に落ち着く。第2期深川所管時代には大島駅で都営バスと都営地下鉄との普通運賃において、乗継割引実証試験が1年間試行されていた。1988年6月8日に運行開始。名目上は東21系統の代替として設定された系統である。当初は本営業所の管轄だったが、1990年7月の葛西営業所との共管化を経て1993年3月に撤退。現在は臨海支所が担当している。京葉線の潮見駅開業に伴い1990年3月に運行開始、2009年4月にはとバス委託で臨海支所に移管。なお、木11甲系統は引き続き深川営業所が担当している。指定車種:いすゞ自動車音声合成:ネプチューン→レゾナント・システムズいすゞ車は、1995年度までCNG車やリフト車を除き富士重工業製車体が指定されていた。現在はいすゞと日野を中心に三菱ふそうとUDトラックスからなる4メーカーすべてを保有している。以前はいすゞのシリーズ式ハイブリッド車(EHCK480型)をはじめ、銀座地区の観光路線だった日野製の銀座01系統(銀ブラバス)専用車も配置されていた。大規模な車両工場を併設する営業所であるうえ、車両整備工場の小規模化が行われた後は、都営バスで1台しかいないような希少車など当営業所にしか在籍しない車種も多く、三菱ふそう・エアロスターCNGのツーステップ車であるS-E369・370号車や日野・ブルーリボンCNGノンステップバスのS-F463号車なども在籍していた。CNG車は1994年度のA代ツーステップ車が、いすゞ製とUD製で導入されたのが最初で、以降はいすゞを中心にUDと三菱ふそうの車両が導入されてきた。このうちのS-A476号車は南千住営業所から転入した元グリーンリバー専用車で、かつ日本初のCNGバスでもある。北営業所がCNG設備の使用を中止した際にはF463号車とともにフルフラットノンステップCNG車であるUD製のKC-UA460KAM改(F448号車。富士重工業製17Eボディ架装)が転属して来て注目を集めていた。これは上記の通りかつていすゞ/富士重工業製の車両が指定されていたことと、深川営業所で2013年現在ついにこのS-F448号車が最後の富士重工業製ボディ車になったことである。CNG車ということででKC-の記号を持つ車両が使えるので、西武バスや関東バス、京王バス東などで同形式のディーゼル車が皆無となった後も新宿支所の同形式であるC-F445 - 447号車(これらもF448号車とともに北営業所に配置されていた)とともに注目を集めている存在だったが、2013年(平成25年)8月にF代の富士重工業製のUAノンステは全車が除籍された。これら同形式の車両は最近の書籍に紹介される事が増えている。後にCNG車はしおかぜ用のリエッセを除き全車が臨海支所などに転出した。東12系統の項通り、S-H100 - 106号車は中央区が購入し都営バスに譲渡するスタンスの車両となっている。この車はH代でも先行投入車に当たるため、前面の車番札がF代以前と同じ大型のものになっている(同年は三菱ふそう車も大型タイプ)。側面方向幕の下に中央区のロゴマークの入ったシールがある。長年、本用途である東12系統に多く充当されたが2012年(平成24年)3月31日に路線が廃止されると運用上の制約はなくなり、その後ほかのCNG車とともに臨海支所に転出した。このほかにも日野・ブルーリボンシティといすゞ・エルガのハイブリッド車が在籍するほか、UD・スペースランナーRAのP代車も3台が在籍している。スペースランナーは2008年度にもS代が配置されたが、これらは後に早稲田営業所と江戸川営業所に転出した。方向幕は後面は系統番号と行先のみの表示。都営では基本的に後面には始発地も表示しているが、当所と青梅支所、品川営業所や港南支所などは始発地が表示されていない。さらに深川営業所から移管した江東営業所や臨海支所などの系統も同じく行先だけの表示としている(深川、青梅、品川、臨海、江東からはすでに方向幕車が消滅)。2003年(平成15年)8月、トヨタ・日野による燃料電池自動車FCHV-BUS(S-L111号車)が試験導入され、海01系統を中心に都03・05系統で2004年12月まで運行していた。2009年(平成21年)4月13日 - 4月24日、日野・ブルーリボンシティハイブリッドを改造した非接触給電(IPT)ハイブリッド車(S-T175号車)の実証試験運行が都05系統で行われた。2011年(平成23年)1月31日 - 2月14日にもIPTハイブリッド車の実証実験運行がS-V777号車を使用して都05系統で行われ、後者では深川営業所の他に東京駅と晴海埠頭にも充電コイルが設置された。2011年(平成23年)には更に12月2日 - 12月18日にもS-W777号車を使用して豊洲駅 - 東京ビッグサイト間で行われ、東京ビッグサイトに充電コイルが設置されている。2014年(平成26年)7月12日には、みんくる誕生15周年特別ラッピング車両(S-R543号車。日野・ブルーリボンII)が登場している。又、同年の9月23日には都営バスのKC代として最後の1台であった日野・ブルーリボンノンステでKC-HU2PMCEのS-F451が最終運用に就き、翌日に除籍された。これにより、都営バスよりF代が全廃になった。

出典:wikipedia

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