城南町(じょうなんまち)は、熊本県の中央部にあった町で、下益城郡に属していた。現在は全域熊本市南区となっている。町名の由来は熊本城の南に位置することから。向坂山を水源とし、山都町・美里町・甲佐町・御船町を通って城南町の北を西に向かって流れ、嘉島町や熊本市との境界になっている緑川と、宇城市豊野町に発し、城南町の東南から北西を貫流し富合町を経て緑川に注いでいる浜戸川という2つの河川を有している。町の北部は肥妖な水田地帯を有し、嘉島町のイオンモール熊本にも程近い杉上地区(旧杉上村)、中部は役場や中学校、商店街や城南町B&G海洋センターなどがあり、城南町の中枢を担っている隈庄地区(旧隈庄町)、南部は塚原古墳公園やくまもと城南カントリークラブ、くまもと城南温泉スポーツ文化センターなどがあり、雁回山の一部を有する豊田地区(旧豊田村)となっている。3地区は元々別々の自治体だったが、元来結び付きが強く、1955年(昭和30年)に合併することとなった。山や海に近く、狩猟や海産物の取得など原始生活がしやすい土地環境であったことから城南町エリアには古代より多くの人が居住していた形跡があり、町内には貝塚(阿高貝塚・御領貝塚)や塚原古墳群などの遺跡が存在している。また、熊本県内で一番古い寺とされる「陳内廃寺」(8世紀初頭)の建立や、9世紀の「益城国府」の推定地としても有力視されているなど、古くから開けていた土地であった。また、中世には益城地方の重要な城として隈庄城が築かれている。2007年11月15日から2007年11月26日まで往復はがきによる無記名回答方式で合併に係る住民アンケートを実施された。その結果、合併に賛成 (68.6%) が合併に反対 (30.0%) を上回った(回収率56.1%)。そのうち、合併相手先は熊本市 (69.4%) が最多だった。このアンケートの結果を合併推進派の城南町長八幡紀雄は以前からの熊本市との合併推進の方針の根拠として2008年1月11日に合併協議会を設置した。その後、紆余曲折があったが、同年の10月2日に法定協議会を設置した。合併反対派は合併推進の根拠となるアンケートの有効性に疑問を呈し民意を確かめるために早い時期での住民投票を要求していたが町長の反対などにより実施がなされず、妥協点として法定協議会がすべて終わったあとでの住民投票条例が制定された。また合併の賛否をめぐり賛成反対両派による議員、町長のリコール合戦に突入している。その後議員に対する解職請求は取り下げられたものの、合併反対派が町長への解職請求を続け、町は混乱の中にあった(合併反対派は地元マスコミの取材などに対して、この解職請求が合併問題と直接関係がないことを明言している)。なお、4月末に解職請求が有効かに関する裁判の判決が出され、解職請求が無効であるとの裁決が出された。2009年6月28日に植木町とともに合併の是非を問う住民投票を実施、両町とも過半数以上の賛成票を獲得したことで、7月10日の臨時町議会で廃置分合案が可決された。さらに9月14日には熊本県議会で廃置分合案が可決したことから10月16日には官報告示され、2010年3月23日の合併が正式に決定した。465億円(2004年度)町長
出典:wikipedia
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