戸田漕艇場(とだそうていじょう)は、埼玉県戸田市の戸田公園内にあるボート競技コースである。別名「戸田ボートコース」。ナショナルトレーニングセンターボート強化拠点施設に指定されている。2014年度(平成26年度)の有料施設(漕艇場・会議室・宿泊所)の利用者数は8万0739人/年度、利用料収入は452万0450円/年度だった。東西約2500mの水路の内、戸田公園大橋から西端までの500mは戸田競艇場としても利用されている。1937年(昭和12年)、東京オリンピック (1940)のボート競技会場、および、荒川の治水対策のために建設開始された。しかし、日中戦争(支那事変)の激化を理由に同オリンピックの開催権を日本が返上したため、同オリンピックでの使用はなくなった。ただし治水対策の面もあったため、建設工事は規模を縮小しながらも続けられ、1940年(昭和15年)に完成した。1964年(昭和39年)開催の東京オリンピック (1964)の会場となったため、拡幅工事や周辺整備をした。隣接する道路にはオリンピック通りという名前がつけられている。水はもともとコース西端の笹目川から引いたものであるが、そのための水門は東京オリンピック以後開いたことはない。したがって、現在は雨水と湧水でできている。水面の長さは、東のほうは新幹線や埼京線の高架の近くから、2.5kmに及ぶ長大なものである。西端から500mの地点に戸田公園大橋という歩行者用のつり橋がかかっており、その橋から西側については、競艇場としても利用されている。水面の東端には国立スポーツ科学センター戸田艇庫、埼玉県立戸田艇庫があり、東京大学や東京工業大学、筑波大学、慶應義塾大学、早稲田大学、日本大学、一橋大学、東京経済大学、日本体育大学等の大学の艇庫や、三菱艇庫などの実業団チームの艇庫が並んでいる。戸田漕艇場は北側から1-6、回漕レーン(0レーンなどと呼ばれることもある)となっている。通常は1-3レーンが往路、4-6,回漕レーンが復路となり、内側のレーンを速い艇が、外側のレーンを遅い艇が進むことになっている。コース内でレースが行われている場合は回漕レーンが往路となり、1-6レーンが復路(レースコース)となる。以前(1999年頃まで)は回漕レーンの隣が1レーンであったが、現在は6レーンとなっている。回漕レーンが0レーンと呼ばれるのはこの頃の名残である。最も西側に位置する。2000mレースが行われる場合、ここがスタートする所となる。この区域は戸田競艇場にもなるので、競艇開催時には閉鎖となる。500m地点には戸田公園大橋がかけられている。戸田公園大橋の東側に位置する。ここから競艇場の施設がなくなるので、伴走が可能となる。1000mレースでは1000m地点がスタート地点となる。500m地点~1500m地点の南側の岸は上段、下段の2層構造になっている。伴走者は普段は下段を走ることが多いが、レース時は主に大会スタッフが下段を使用する事が多いので、上段を走る事になる。この区域の南側の岸は土手となっており、500m地点~1500m地点に比べると開放的である。またこの区域の南側には中央大学や埼玉県の艇庫や、観客席、管理棟が並んでいる。レースが終わった艇は、しばらくの間ここに浮くことになる。この区域は多くの大学・実業団の艇庫が立ち並んでいるので、多くのチームが練習を開始・終了する場所となる。また、レースの開催されていない日でも徐行区域とされている。ボートコースの南縁にはコーチ用の道路があり、この上をジョギングする姿も見られる。現在は全面的に釣り禁止となっているが、ボートコースはかつて釣りのメッカとしても有名であった(競艇場エリアは以前より釣り禁止)。昭和50年代にはテナガエビやハゼ等が豊富で休日にはボートコース沿いや東端の桟橋周辺は大勢の釣り人やファミリーでにぎわっていた。当時一般的になりつつあったルアーに興じる小中学生も多かった。管理事務所の所在地(国営のため、所管は文部科学省)埼玉県戸田市戸田公園5-27JR埼京線戸田公園駅から徒歩約15分毎年、全日本選手権や学生選手権をはじめ、市民大会や大学内での大会 (学内レガッタ)、オール三菱レガッタ等が行われている。1920年(大正9年)に始まり、日本で最も長い歴史を誇る対校競漕大会である、開成高校対筑波大学附属高等学校の試合もここで数十年行われ続けている。テレビ朝日系列で放送していたドラマ「レガッタ〜君といた永遠〜」の舞台はここ戸田漕艇場であり、連日撮影に来ていた。
出典:wikipedia
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