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藤原師尹

藤原 師尹(ふじわら の もろただ)は平安時代中期の公卿。摂政関白太政大臣・藤原忠平の五男。小一条流の祖。天慶9年(946年)参議となる。同年備前守に補任。天暦2年(948年)権中納言。天暦5年(951年)中納言。娘の芳子を村上天皇に入内させ、天徳2年(958年)女御の宣下を受ける。芳子は容貌すぐれて天皇の寵愛が深く昌平親王と永平親王を産むが、いずれも病弱であったため東宮にはなれなかった。天徳4年(960年)権大納言。康保3年(966年)大納言。康保4年(967年)村上天皇の崩御に伴い冷泉天皇が即位すると、関白太政大臣に長兄の実頼、左大臣に源高明、右大臣には師尹が就いた。師尹は実頼と謀って、妃が高明の娘である年長の為平親王を外して、守平親王を東宮に立てた。安和2年(969年)3月、為平親王を奉じて乱を起こそうとしているとの謀反の密告により、左大臣源高明が失脚した(安和の変)。師尹は高明に代わって左大臣に昇るが、その半年後の同年10月に発音障害を伴う病により薨御した。安和の変は高明の失脚を謀った師尹の企みであったとされ、左大臣昇任後一年もたたずに薨御したことについて、世間では高明の恨みによる物と噂された。他人への対応について親疎や好悪により非常に区別を付け、いかにも癖のある取り扱いをした。また、後世の人に「腹黒シキ人」と評された。勅撰歌人として『後撰和歌集』に2首が採録されている。以下、公卿補任に拠る。子孫に小一条家、その庶流に飛騨国司家の姉小路家がある。

出典:wikipedia

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